(9)タキシード率
バイロイトを詣でるに当たって、服装をどうするかが大きな悩みだった。
聞くところによると、祝祭歌劇場では、男はタキシードを着けるのが普通だとのこと。
私は保育園や幼稚園には行かなかった。そのためか、粗野なところがあり、それが現在まで残っている。タキシードを着ても似合わないのは目に見える。
かといって、タキシードを着ないと、周りから浮き立って、鑑賞に集中できないのではないか。
このような考えが堂々巡りして、相当期間悩んだ。
ある時、心を決めて、平服で音楽祭に参加することにした。
さて、実際にバイロイト音楽祭に行ってみると、いるわ、いるわ、タキシードを身に着けた男とイヴニング・ドレスを身にまとった女が集まっている。ざっと見たところ、タキシード率は70%。
しかし、平服にネクタイの人もかなり混ざっている。
ビル・ゲイツ(マイクロソフト前会長)も見えたが、彼は、普段通り、Yシャツを着流しただけ。
服装が目立つのは、開幕前と幕間。歌劇場の前に大きく広がる公園を、盛服の男女がそぞろ歩く情景は絵になる。まるで、ボテロの絵のようだ。
しかし、いったん幕が開くと、場内は真っ暗。互いの服装を気にする必要はまったくない。これに気がついて、いっぺんに肩から力が抜けた。無理して、タキシードを着ることはない。
(10)坂道の記録
祝祭歌劇場に到達するには、手前の緩い坂道を上る。この約5分の道程がこの上もなく優雅で贅沢なものであることは経験して初めて分かる。来るべき開演に向けて、期待がいやが上にも高まる。それが坂を上るリズムに表われる。
坂道の両側は手入れの行き届いた公園で、ここで休息するもよし、演目のリブレットに目を通すもよし、池を眺めて時を過ごすもよし、だ。
さて、「ノルトバイエリッシャー・クーリエ」紙の「2009年音楽祭特集号」に一連の記録写真が載っている。祝祭歌劇場へ続く坂道の歴史的変遷を記録したものだ。
1876年の歌劇場開設時には坂道は舗装が済み、その両側は、現在とは異なる畑地が広がっている。当時の「足」の主流は馬車で、歌劇場に送り、帰る馬車で、坂道は溢れている。着飾った婦人たちや交通整理をする制服警官がにぎにぎしく振舞っている。
19世紀末には、屋根つき馬車が歌劇場に続く坂道を埋め尽くしている。
そして、1930年代には、ナチスの要人を乗せる高級乗用車(リムジン)が大挙押しかける。
1940年の坂道の両側にはナチスの鍵十字旗が我が物顔に林立している。
戦後、1953年は再開後3年目に当たるが、歌劇場に向かう乗用車が列をなす光景が復活している。
祝祭歌劇場に到る坂道は、その時々の政治・経済・社会を如実に写す鏡のようだ。
とくに、1930年から1945年までは、ナチスの台頭にバイロイト音楽祭が翻弄されたことはドイツ人の記憶に苦く刻まれている。バイロイト音楽祭とナチスとの蜜月関係を築くにあたっては、ワーグナーの息子・ジークフリートの嫁、イギリス人のウィニフレッド・ワーグナーの働きが大きかったが、この件はまた後に触れる。 (2009)