更なる ときめきを求めて!

「七色唐辛子+一味唐辛子の会」は、卒業しました。

地理学者 水野先生との出会い

2024年05月06日 | 日記

  昨日、ズッシリと手ごたえのある封書が、出版社から届いていました。

 開けてみると、京都大学地理学者・水野一晴氏の著書 ”何を調べに辺境へ”とありました。出版社からの、”謹呈”です。

分厚い本。重い!本をリュックに背負って、電車で読み始めています。水野氏に纏わるいろんなことが 想い出されます。

 

 

 水野氏は、横須賀時代の今は亡き親友、末次夫婦の甥にあたる方です。水野先生、10ケ月のドイツ、レーゲンスブルグ大学へ交換教授として赴任された折、水野先生のご両親、末次さん私の5人でかの地を訪れました。暑い時期の事でした。

 ウイーンとチエコスロバキアへ向かった時の列車内の雰囲気が全く違っていたこと等が、昨日のことのように思い浮かびます。共産圏と、民主主義圏の名残が、生活の中に未だ色濃く残っていたと、云う事でしょう。1999年頃の旅です。

 国内も葛飾区や京都あちこちに ご一緒していますが、21世紀に入って、アフリカはケニア、タンザニアに、池田理代子さん達と、ご一緒させて頂きました。ケニアの世界一のスラム街や、「マサイマラ自然保護区、マサイ族の牛糞で出来た家屋?を訪れた事。たくさんの蚤に噛まれましたが、不思議と糞の匂いは  しませんでした。

 客のおもてなしに、目前で山羊を殺して、差し出された目玉を、私が代表で食べたこと・・・。他では経験できない事がいくつもありました。

出発前の予防注射接種が大変だったことも印象に残っています。

先ほどお礼の電話をして、「お食事でも・・・」と云う運びになりました。

 昭和3年生まれの末次さんが亡くなられて、先生をテレビで見た時はメールや電話の交流はありましが、私も齢を重ね 直接会うことが少なくなりました。

 先回ブログにアップした武部先生、今回の水野先生 他にもまだまだ 横須賀時代の7年間には、個性的な素晴らしい人たちとの出会いがありました。私たちが住んでいた家も未だあります。

 たいせつな知友人がどんどん少なくなっていきます。寂しい事です。

人との出会いは、何物にも代えがたい財産です。

コメント    この記事についてブログを書く
« 薫習(くんじゅう) | トップ | 終わりました »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事