今朝のZoom勉強会は”歌麿と栃木”。私の好きな分野です。コロナが騒がれ始めた、今年の2月、今日のスピ-カ-所属の「栃木まちづくり協議会」主催 歌麿を取り上げた創作劇を観ました。”恋しや恋し 母子草” 会場の深川江戸資料館は、満席でした。
半年過ぎて、コロナの状況は益々深刻になっています。
この”女達磨図”は、20年前、テレビ番組の”ナンデモ鑑定団”で偽物と言われ、その後浮世絵研究者に依って歌麿肉筆画に間違いないと判定され、今、栃木にあるそうです。世界に40数点しかない歌麿の肉筆画は、栃木にその何点かが あるようです。
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歌麿は本当に栃木に来たのか・・・? 話のテ-マです。
小江戸と称せられる栃木と江戸は、巴(ウズマ)川の存在で、往来する地の利が良かった。
当時 狂歌が流行り歌麿の絵に豪商たちがたくさんの歌を寄せている。”雪月花”で有名な 品川の月、吉原の花、深川の雪の三作品。品川の月は 今はアメリカの美術館にあるが、かっては栃木にあった。銀座の松坂やで展示されたことがあったそうです。
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”大首絵”が 流行った歌麿の全盛期の天明期(1781~89)。その後、奢侈を禁じる”寛政の改革”があり、歌麿は、50日の手鎖の刑を受け、心身共に衰弱し、2年後に亡くなったそうです。厳しい晩年だったようです。
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ボストン美術館所蔵 狂歌五作品
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栃木の人口、5万人が 現在30万人に増えているそうです。歌麿に依る町おこしが功を奏しているとの事でした。
蔵の街・栃木はわたしも好きな街の一つです。親友が栃木出身で、数回訪れてています。山車会館の山車も迫力があります。浅草から1時間30分です。
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