「日本が銃社会だったら、お母さんを撃ち殺していた・・・。」久しぶりの家族全員揃っての和気藹々の時間、夕食時の長女の発言に 森家、娘婿、孫 男性三人の間に 凍り付いたような空気が一瞬流れる。
誰も一言も発しないままに、元の雰囲気に戻る。
観ているテレビの番組に関しての発言。私にショックは全くない。
言い分はいろいろあるけど、ひどい母親であったことは事実である。口に出して言えるようになったのは、長女の中で、私に対する感情が落ち着いてきたと言う事だろう。
今は、二人の子供が、許容範囲の中で成人してくれたことに感謝。
二人とも今もって、身体が弱い。頭から押さえつけ怒鳴り通しの成長期だった所為と、自分の過ぎし日の仕業が悔やまれる。どうすることも出来ない。
小さい頃からひどい喘息に苦しむ次女に、当時私が習っていた油絵の先生から「ピアノを辞めさせたら」。
四条派の日本画家から人気挿絵画家に変身されていました。横須賀・鷹取時代の事です。牛糞をセメント袋一杯を土に混ぜ、薔薇やジャ-マンアイリス等、季節の花々を植えこんでくださいました。60代で肺がんで旅だたれました。
折角の先生の忠告は無視。自分の思い通りに突っ張ってきた私。
しょっちゅう顔を会わせていた神谷町の前の家の男性。具合が良くないとは聞いていたけど、「4月3日に亡くなりました。こんな時期なので、町会にも知らせんませんでした。転んではいけませんね。最後は誤嚥性肺炎・・・」昨日聞いたばかり。ポッカリ、胸に空洞が出来たような・・・。
やたら過去が気になりだした昨今です。