・・・先月、案山子の田圃を紹介した。
散歩道は田んぼの真ん中を通る農道なので、散歩の度に、稲の生育は気になって観察して居る。
今はかなり、稲が重くなっている田圃もある。
案山子のマネキンの金髪の頭がある畑も、稲穂が重くなってきました。
自分が畑をしていると、田んぼに生えている草が気になる。
時々、いまどきの畑では草の生えた田圃を見受ける。
・・・先月、案山子の田圃を紹介した。
散歩道は田んぼの真ん中を通る農道なので、散歩の度に、稲の生育は気になって観察して居る。
今はかなり、稲が重くなっている田圃もある。
案山子のマネキンの金髪の頭がある畑も、稲穂が重くなってきました。
自分が畑をしていると、田んぼに生えている草が気になる。
時々、いまどきの畑では草の生えた田圃を見受ける。
・・・太田茶臼山古墳は大阪府茨木市太田にある古墳で、 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により第26代継体天皇の陵として、管理されている。
しかし、最近の考古学の研究成果により、この古墳は5世紀中期に築造されたことが分かっている、しかし、継体天皇は530年ころに亡くなったことが、日本書紀等に、記録されている。
太田茶臼山古墳は継体天皇の陵に治定されているが亡くなった時期と約百年の食い違いがある。
付け加えると、継体天皇の真の墓としては、少し北に離れて位置する今城塚古墳が年代も史料の記述ともあうことが明確になっている。
最近、読んで良い本だと思った本に「埋葬から見た古墳時代」著者 清家章 がある。
著者は首長位の継承を考古学的知見から、論理的に解明し、それを元に王位の継承を試論的に展開した。
それによれば、太田茶臼山古墳は誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵、五世紀前半 履中、反正天皇陵?)に関連する王族が分派し三島の地に作った古墳をである事を書いている。
太田茶臼山古墳は考古学的に見ても埴輪の形態や作り方、古墳の墳丘形態、等々から誉田御廟山古墳の血液関係のある王族の墓と試論に書いており、それゆえ、継体天皇は三島の祖先の地に自分の今城塚古墳を作ったという。
この彼の試論に、論理的にも、感覚的にも、私は長く持っていた、疑問の答えを得たように思った。
・・・我が家の栗の木の収穫を始めました。
我が家の栗の木は植えてから、間が無いのでまだ充実した枝振りではありませんが、とてもよく実を付けてくれています。
果樹を育てるのは、私にとって、野菜づくりより、簡単なので、今度は梨の木を植えることにした。
梨の木の品種は「幸水」と「豊水」です。
雑草に負けずに育てばいいのですが。
・・・ラジオでの講演を聞いていて、私にとって、目新しく、面白いことを勉強した。
その時の話し手は書道家であった。
話の内容は、
かな文字は漢字と違って、表音文字であるから、言葉として、いくつかのかな文字が続けて、一つの単語を表す。
したがって、かな文字は原則として、字を縦に続けて書けるような形と筆順でできているという。
即ち、かな文字は筆で書きやすいように、画数はニ画、三画からなり、最初は縦棒、横棒、点からなり、描き始めやすく、丸を書く時も、右上がりの楕円です。
文字の最後のはらいや、止めは、次の文字につながるような仕組みに、なっているという。
そういわれてみれば、昔のかな文字の文章は、筆で続き文字で書かれている。
同じ、表音文字であるアルファベットも続けて書けるような筆記体の文字が存在する。
今まで、考えたこともないことがらなので、こんなこともまた、勉強してみたいと思った。
・・・散歩は毎日の事なので、日々、色々と歩くコースを変える。
わが町に伊勢湾岸道路と云う交通の要の道が有り、その下を国道302号が通っている。
国道は贅沢に作ってあるので、道に沿った花壇も、立派なものが道沿いにある。
そこに今咲いている花の写真を撮ってきた。
花の名前はわからないので、写真のみ載せる。
以上です。
・・・阿倍野ハルカスに行った時に、下に見えた四天王寺にも行ってきた。
四天王寺は推古天皇の時に、聖徳太子が1400年前に創建した日本最初の仏教官寺であると書いてあった。
したがって、太子の像が安置した太子殿と彼にまつわる品物が収めてある宝物殿がある。
上の写真は左から宝物殿と太子殿です。
上の写真は高層ビルの60階のハスカル展望台から見た四天王寺境内。
聖徳太子時代時代創建の五重宝塔ですが、何度も火災に合ったのですがその度に建造されているのですが、今の塔はコンクリート製で1959年に作られたものです。
この党の特徴は金色の相輪(一番上の飾り)の高さが全体の1/3を占める大きさがあることです。
・・・散歩の道沿いの小河川に亀が多くいます。 集まっているところは、何時も場所が決まっていて、その小河川に、周囲の住宅から下水が流れ込んでいるところです。
上の写真では革の手前に5~7匹集まっているのが判る。
話は変わるが、魚釣りに堤防や、港に行くと、魚が集まっているところも下水や排水の流れ込む場所に、魚が多く集まって、よく釣れる。
私の趣味の古代史に関連して、旅行して訪れる古墳や遺跡の多くは、交通の要所の河川が湾曲して、流れがよどんだ、港のようなところに、人間も古代では住みついている。
亀を見ていて、魚や、人間とも共通して、集まって生活する場所に共通点を見出したことに、生き物の面白さを感じた。
・・・先日、大阪の天王寺の阿倍野ハルカスの展望台に行った時に、展望ガラスを通して、下を見ていると、急にガラス拭きのゴンドラが現れた。
バックの景色を見ていただければ、作業している高さがわかってもらえる。
すごい商売である。
反対側の展望フロアーから、このゴンドラのシステムの写真を撮った。
写真を撮った時は、丁度、下の階の木の後ろに掃除のゴンドラが差し掛かっている。
・・・自宅菜園のキュウリとトマトは終わりました。
今日は畑に植えてある栗を収穫してきました。
上が今日の収穫品の写真です。
枝豆は、しっかりと実が入っています。
栗も、ゆでて食べてみましたが、甘かったです。
九月に入って、我が家の畑では、収穫する野菜のメンバーが変わりました。
・・・大阪の両親の墓に行ったついでに、阿倍野ハルカスと云うビルに行ってきました。
地上60階に展望体が有り、そこへ行ってきました。上のパネルは、このビルの展望台が、高さが日本で三番目に高い位置にあるという説明図です。
展望台から見下ろした大阪の谷町通りと云う道路がまっすぐ通っている写真です。
手前、左の大きな緑の土地が天王寺公園で、
写真の上の方の緑の小山が大坂の陣の家康の陣地で有名な茶臼山です。
公園の西の高架の向こう側に、「新世界」の通天閣が見えました。
大阪城の天守閣も、遠くに見えました。
四天王寺の境内は真下に見えました。五重塔の右に聖徳太子の六角屋根の太子堂が有ります。
・・・散歩の時は暑いので、通りに面した建物の日かげの歩道を歩いている。
何も考えないで、歩いている時もあるが、休日の朝は、道路を走行している乗用車の種類について考えていた。
私自身は10年前に買ったセダン型乗用車に乗っている、・・・最新の車種の情報に疎くなったが、走っている車に、自分の好みの車が無いことに気が付いた。
私の好みの車は縦断面が凸の形をしたセダンである。
因みに自動車会社のセダンのカタログを見ると縦断面が凸の形をしたセダンは数少なくなっている。
上の中央の車種が数少ない縦断面が凸の形をしたセダンの例。
歩道を散歩しながら、いろんな車種の種類がどんな割合なのか、短時間ではあるが観察し、数えてみた。
それによると、先ほどの縦断面が凸の形をしたセダンは私の観測した範囲で全体の内の5パーセント程度。
最近多い軽乗用車は全体の50パーセント近く、走っていた。
最近、よく見かけるようになった箱型の大きなワゴンは、普通乗用車全体の内の30パーセントくらいを占める様である。
若者の車離れと云われるようになった来たが、乗用車に対する要求も多様化しているのが良く分かった。