・・・新聞文化欄に俳句を英語に訳したものを対比して解説付きで月一回くらいの割合で掲載されているのを、毎回楽しみにしている。
上に載っているのは先回掲載の芭蕉の句で、解説を読むとこの句に含まれる平家物語の悲しい物語の逸話や俳句が読まれた明石という土地の風景が見えてくるが、英語に訳するだけでは、直訳だけに、元の句より情報が少なく、何とも、そのバックを読み取る手立てがない事が分かる
英語翻訳はむつかしいことがよく理解できた。
さて、芭蕉はこの句の前書きに明石に泊まって詠んだ歌と書いているらしい、しかし、解説によると、本当は芭蕉は泊まっていなくて、平家物語の中で書かれている、明石での建礼門院の逸話を連想させるために、彼が明石に泊まったと前書きしたらしい。
建礼門院が壇ノ浦から、京都に罪人として、運ばれる途中、明石で、泊まった時に、まどろみ中で、壇ノ浦で亡くなった平家一門の人々や、我が子の安徳天皇を思い出している光景を、この句の副題にするために、芭蕉は泊まりもしない明石に泊まったと前書きに書いたそうだ。
そして、建礼門院が明石でのまどろみの中での平家一門の栄華のハカナサをこの俳句の下敷きに置き、句の中では、明日の命がない、タコがタコつぼの中で月を見る光景を書くことより、ユーモラスと巧みな情景描写が素晴らしいという句だそうです。
英語の翻訳の拙さに比較して、なおさら芭蕉が俳句にたくさんのことを盛り込んだ技巧の巧みさがよく理解できました。