・・・最近、「邪馬台国と大和朝廷」という題の本を読んでいた。
著者は古代史を史学の立場から研究される方なので、私の様な、考古学的な考え方の人間とは味付けの違う古代史論を知った。
内容が面白くて、最後まで、読んだ。
今の古代史関連の学問をする人は、目覚ましい考古学の成果を無視して論を立てる人はいないから、史学の立場であっても、考古学の立場と、そう変わらないようだ。
この本を読んで、頭に残ったのは、【中国の正史、魏志倭人伝に書いてあった、「邪馬台国、卑弥呼」という単語が、日本の正史である「日本書紀」には一度も出てこないということはおかしい】と著者が書いていたことです。
もし、邪馬台国が奈良にあったのなら、時代的に、大和朝廷につながるので、必ず、日本書紀の神話の中なり、天皇家の祖先の著述の中になにか書かれるはずである。
したがって、日本の正史である「日本書紀」には一度も出てこないということは、邪馬台国と大和朝廷とのつながりを考えることがおかしく、著者が主張する邪馬台国が九州の小国でにあったというほうが、論にかなっているという、邪馬台国九州説の根拠のひとつに挙げておられることです。
日本書紀の著者たちは魏志倭人伝に書かれた邪馬台国、卑弥呼についての記述内容を知らないのではなく、本文ではなく、注、に「3世紀中ごろに、魏に使者を送った女王が倭国にいた」という記述が倭人伝に書かれていると紹介している。
完全に無視したわけではないが、「女王、倭国」という単語で紹介し、「邪馬台国、卑弥呼」という単語は確かに一度も出てこないようだ。
このことについて、江戸時代の学者は、日本書紀の編者達が、天皇の祖先が中国に朝貢したと言う事は触れたくなかったからと書いているが、それも考えられる。
古代史には面白い謎がいっぱいあって、毎日、古代史関連の本を読んでいても飽きない。