・・・高校の修学旅行以来の長崎へ旅をした。
一番、記憶に残っていた平和公園に行ってきた。
長崎の街を歩いてみて、町は山に囲まれたとても狭い場所であることを、あらためて知った。
原爆の中心地にある、平和公園は市の北部にある。
原爆の被害の完全破壊を記された場所の分布図の看板の写真を上に載せるが、被害地は山に囲まれた地形通りの形をしていて爆心地の平和公園は分布図の端に位置する。
平和公園の平和像の前の広場は、日本人がいなくて、外国人ばかりでした。
中でも、中国語を話す若者の集団が、平和象の前で、記念撮影をしながら、大声を出し、騒いでいたのは、日本人にとって神聖な場所だけに、とても感じが悪かったです。