ジョギングはシャンパンの味

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新聞記事のAIと云う単語  

2018年10月02日 07時43分42秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・新聞のコラムの見出しに、「AIが示す日本の分岐点」と出ていた。

   記事の主なる論点は、ある大学と、産官共同のラボが「2050年、日本は持続可能か」、と云う問いの、答えを出すプロジェクトが、AI技術を活用して社会を動かすような要因、149個を挙げて、その因果関係モデルを作って、それをもとに、AIが2万通りの未来シナリオを予測し、これを23のグループに集約分類し大学の学者が政策提言をまとめたと言うものである。

   私が、この記事で、問題を感じたのは、”「AI」と云う単語と、大学の学者”と云う言葉である。

   この話の主題、AIを私が知ったのは、半世紀近く前に、日本の鉄鋼業に初めて、電子計算機と云うものが導入され、其れから、10年くらいの間に今の電卓程度の能力の計算機を使って、機械を制御する技術が生まれ、それから、計算機の進歩とともに世界に先駆けて、日本の鉄鋼業は生産機の計算機制御と云う技術の進歩を成し遂げた時の中に居たからです。
   その電子計算機制御と云うのは、本来、それまでは、人がカンや経験でやっていた機械の運転を、人のカンや経験を集積して、機械コントロールのモデル計算式を作り、計算機により、人間にはできない速度で、生産機械のコントロールと製品精度をなしえたのです。
   そのあたりから、出てきた、それらの機会モデルによる、人間の仕事をシミュレーション技術で実現するやり方を「AI」と云う言葉が、最近、一人歩きをし出して、計算機が人間に変わって何でもやれるようになりそうに考え、それらの概念を全て象徴して、「AI」と言う言葉で誤魔化して、全てがAI技術で可能と云っているように思う。

   此の社会で、間違って使う様になった元凶が、「マスコミ」であり、「大学の学者」であるように思う。
   昔の鉄鋼技術のコンピューター化にも、実際に技術を実現したのは、現場に近い研究者であって、何人かの学者は有用な研究はしていたが、大半の学者は現実の実務を知らないまま数式や、概念のみを、もてあそぶ人たちが多かった。

    今の日本社会の、なんでも「AI」でできるような風潮も、あの時代で役に立たなかった人達と動きが同じような気がして、危うさを感じる。

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