アイヌ民族情報センター活動日誌

日本キリスト教団北海教区アイヌ民族情報センターの活動日誌
1996年設立 

「北大医学部解剖学教室におけるアイヌの形質人類学的研究」

2011-06-24 12:55:16 | インポート
「北大百年史 通説」(北海道大学編)の伊藤昌一「北大医学部解剖学教室におけるアイヌの形質人類学的研究」によると北海道帝国大学医学部の解剖教室の発足は1922年。山崎春雄、平光吾一両教授によってアイヌ民族の人類学的研究が行われたとあります。

「1925,6年ころから山崎は岡田正夫助教授とともに、おもに日高の平取村を中心としてアイヌの骨格資料の調査をはじめた」(P.952)。

その段階からアイヌ人骨は北大の学者らによって集められていたことが分かります。
その後、平光が九州帝国大学に移動、後任として1928年に児玉作左衛門教授が赴任し形態学的研究に着手します。
1933年には日本学術振興会の学術部に「アイヌの医学的研究」を行う目的で第八小委員会が設けられました。アイヌ民族の「医学的調査は我が国医学会の急務の一つと考えられた」(P.953)
と説明されています。

さらに、「(3)アイヌ頭蓋の地方別調査」の説明にはこう記しています。
「第八委員会の研究の一つとして行った解剖学教室の調査の資料は、牧草地、海岸の魚干場、地ならしなどの工事現場、崖くずれ等で土中から出てくる人骨がおもであった。」

実際に「発掘」した児玉作左衛門の論文「八雲遊楽部に於けるアイヌ墳墓遺跡の発掘に就て」(1936)にも「現在の共同墓地とは関係のない、個人の所有地であるところの牧場及び八雲町有の雑種地から発見」(P3)とあり、「墓地」からではなく、「遺跡」から発掘したと書かれています。

しかし、この言い分については植木哲也(苫小牧駒沢大教授)さんの「学問の暴力」(春風社)第5章四「発掘の論理のほころび」(P210ff)に反論が書かれています。


ランコ(かつら)の葉。博物館周囲にて撮影。ハート型でとてもかわいいです。


平取町立二風谷アイヌ文化博物館の周囲には、アイヌ民族が生活民具や食用に使いた草木を植え、小さな解説を付けています。たとえば、和名の「イチイ」(オンコ・アララギ)は、

アイヌ名  クネニ(ラルマニ)
用 途   染料(赤色)/果実は薬用
利用民具 ク(弓)、カリンバウンク(桜の皮を巻いた弓)、シノッポンク(こども用の小弓)、クワリ(仕掛け弓)

アイヌ語のクネニは、ク=弓・ネ=~になる・ニ=木、つまり弓になる木という意味。弾力があるので弓に用いられました。仕掛け弓として長い間弦を張った状態のままにしておいても緩みません。秋に赤く熟す果実は食べることが出来ます。糖尿病・腎臓病・高血圧などに効くと言われています。種子は有毒です。


と、分かりやすく身近に感じられる説明がされているのです。
小さい頃に山に入っては弓を作ったり、槍を作ったりしましたが、この知識があればもっと立派な弓が出来たのにと残念でなりません。いや、今からでも遅くない!こどもたちと山に行くときに作ってみましょう。
赤い実もよく食べました。甘くて粘りがあり、少々松ヤニの苦味がしますが美味しいです。確か、種ごと丸呑みしたような記憶が・・・

他の草木にもためになる説明が書かれています。博物館にこれらをまとめた資料はないのか聞きましたが、ないとのこと。9月の敬和学園の研修会に向けて、これらをクイズ形式にしてプリントをつくり、回って学んでもらおうと写真をいくつも撮ってきました。
時間を見つけてみなさんもチェックしてみてください。

今日(24日)はこれからWIN AINUの学習会に参加します。25日はディヴァン宣教師(台湾キリスト長老教会)の妹さんやお母様が来られているので富良野や旭川のアイヌ民族フィールドワークにお連れする予定です。ブヌン民族のこともたくさん伺おうと思います。


いつもオオウバユリの根(トゥレップ)を採りに来る山道。毎年、一番粉を2~3キロとるのですが、今年は被災地ボランティアに出かけたため時期を逃しました。


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