~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

べト7、第2楽章

2008年06月13日 17時54分27秒 | 交響曲・管弦楽曲等
そうかしこまった連弾ではないのだけれど、やりだすとしつこい私のクセで、数枚のCDを聴きくらべてみました。


曲はベートーベンの第7番交響曲の第2楽章の一部。
なににこだわっているかというと装飾音の入れ方。

画像はオーケストラスコアの一部で、セカンドバイオリン(上から2段目)の3小節目の頭に装飾音が付いているのがお分かりいただけると思います。
私としては、装飾音を拍頭にピシッと合わせてあまり鋭くなく入れたいな、と思うのですが、それはそう思うだけでたいした根拠はないので、CDにあたってみました。
(いずれの感想もオーケストラスコア100小節あたりくらいまで)


1.拍ぴったりで短めタイプ

  私はそう耳がいいほうではないので、厳密に拍ぴったりかどうか自信はないのですけど、だいたいそのように感じた演奏は

  ○ヴォルフガング・サバリッシュ&ロイヤルコンセルトヘボウ(1992)

     演奏時間は8分54秒
     拍にあわせて素早くあまり大きくない音で入れているように思います。
     ただ、一回めに出てくるヴィオラ&チェロの時のほうが若干飛び出し気味に聴こえ、バイオリンはセカンドの時も、ファーストの時も割合きちっと入っているような気がします。

  ○アーノンクール&ウィーンフィル(2006年広島公演画像)

     これも基本的には上のものと似ていますが、ビブラートのかけかたの違いか録音の違いか(テレビ用のせいか録音はあまりよくありません)、もっとシャープに感じます。



2.拍ぴったりでゆったりタイプ

 
  ○フランツ・コンヴィチュニー&ゲバントハウス(1959)
     演奏時間は8分37秒
     装飾音というよりは、楽譜にちゃんと書けるくらいの長さに聴こえます 
  
  ○クラウディオ・アバド&ウィーンフィル(1987)
     演奏時間は8分37秒
     上に同じく、ゆったりしっかり聴こえます。



3.前小節にめりこみタイプ


  ○カルロス・クライバー(1976)
    演奏時間は8分09秒
     もしかしたら、拍に合っているのかもしれないのですが、私の耳には長い音符がぴたっと頭にあっているように聴こえます。
     上記のどの演奏とも違う、前に前に行く流れるような感じはこのあたりのマジック(?)からきているのかもしれません。



こういろいろあると、どうしたもんかと思うところです。
ただクライバータイプは、クライバーがやるからカッコいいってとこはありますねぇ。



連弾って最初は遊びなんですけど、もとがオーケストラ曲だったり、オーケストラに編曲されていたりするものが多いので、途中からどうしてもこういうことになっちゃうんですよね。
さすがにこのスコアは主人のものですけど、私、連弾のたびにほぼオーケストラスコアを買っているので、ザコザコたまる一方です(泣)。

     
       

ふつうに寝てくれ!

2008年06月11日 13時46分52秒 | 家族・友人等
本日午前、幼稚園懇談会。

ついこの前参観があったばかりなのに、またですか・・って感じなんですが、中学校もしょっちゅういろいろあるし、学校行事あなどり難しです。


懇談は、幼稚園の小さな椅子の上に親子ですわって自己紹介をする、という恒例のものでした。
昨年とクラスはまったく同じなので、特に新鮮というわけでもなく、「一人あたり40秒で話をしてください」ということなので、さっさと進むかと思いきや・・

・・結構長かった・・

私もこういう時は(こういう時でなくても)、つい長話をするほうなので、今日は心して30秒以内におさめたのだけれど、子どものことになるとみんなしゃべるしゃべる。あれができるようになったとか、こういうことを言ってくれた、とか。
小さい椅子なのでお尻痛い・・・(泣)。
そして先生が、「年長さんになって」ということでいろいろ話されたのですが、これがまた約30分。私、意識レベルかなり下がってました(殴)。


そのあと、「意見交換」ということで、「就寝時間、起床時間」をテーマとして、意見交換というより「我が家の状況」みたいな話になったのですけれど、
こういうときに自ら発言される方は、なんとも模範的な生活。
3人くらいがお話されましたが、いずれも「8時半には寝かせて、朝6時半くらいには起き、7時には朝ごはんを食べ、7時半には準備完了。8時半くらいのバス時間までひと遊びする」といった内容。
・・・・・すばらしすぎる・・・・

最後に私、「よい子はマネをしてほしくないです」ということで、我が家の状況を暴露してまいりました。
「10時には絶対寝かせたいのだけれど、当然まだ誰かが起きているわけで、テレビなぞがついているとノコノコ出てくるし、『のど乾いた』『暑い』といっては起きてくる。すっかり寝付くのはどうかすると11時回っていたりする。
朝は朝で8時頃起きて<子どもの2ちゃんねる(NHK教育デジタル2のことを娘はこう呼びます)>をパンをくわえたままボーっと見、目が覚めテンションが上がったころにはすでに出る時間。10分で着替え、トイレ、歯磨きすませて、8時50分にダッシュです。
園ではあくびとかしてるんじゃないでしょうか?(・・これについては今まで先生は否定されているのですが・・・)。
こんなことではいけないので、親が心を入れ替えねばといつもいつも思っているのですが、努力目標のままむなしく過ぎております」


・・数人の方はホッとした表情でしたねえ(爆)。
この「意見交換」というのは、どのクラスも同じテーマが設定されるのですけれど、たぶん娘のクラスはこれでブチ壊し(殴)。

私もブチ壊したいわけではないのですが、第一子のお母さんだと、「寝ない」「起きない」といってノイローゼみたいになって、どうかすると虐待まがいになられる方もおられたりするんですよ。
うちでも、1時間以上「寝ろ寝ろ」「もう知らん」「全消灯」というプロセスを経た結果がやっと10時半だったりなんかするわけで、これがなかったらどれだけ平和な生活が送れているかわかりゃしません。
うちは上の子も延々そういう生活(今でも)なので、眠ろうと思えば、立ってでもトイレでも風呂でも(これは少しキケン)眠れる私には、理解できないし、苦痛のひとつでもあります。
寝付けないほうはもちろん苦痛なのでしょうけど・・・。


晩ごはんが遅いのはもちろん問題なんですが、頑張って5時半とか6時にしてみても、結果はなにも変わらず。昼間さんざん遊ばせてもあまり変わらず。
これねえ、もうダンナの血なんでしょうね・・・・あきらめの境地。


私だって、よほど精神的に追い詰められたとかそういう時には寝つきには問題がでますけど、ふだんはそういう悩みはまったくないです。
というより自分のなかで「意識清明」「意識ちょい濁り」「意識半濁」「意識もうろう」「意識なし」みたいな段階があって、寝る前には照明を落とすように、だんだんレベルと落としていく。
また、演奏するときは全体だいたい「ちょい濁り」と「半濁」の間くらいでやります。これくらいが私としてはうまくいくような気も(もちろん、頭のどこかは敏感になってますけど)。
ききたくない話の時は勝手に「半濁」とかにしてしまうので、反応が鈍い(殴)。
これが「清明」なまま聞かされると変に刺激されて、怒らなくてもいいのに怒りまくったりキレたりします(蹴)。


昔、仕事で睡眠にも少し関係はあることをしていたので、睡眠の複雑さやっかいさについては少しは知っているつもりなのですが、これはなにしろ一日のうちの4分の1から3分の1を費やすもの。なんとか家族にもうまくコントロールできるようになってほしいと心から思います。




1の指はどれだ・・・

2008年06月08日 16時16分46秒 | バイオリン
午前中バイオリンのレッスン(・・しつこいようですが、私でなくて子ども二人の)。

今日は主人が都合でいなかったので、電車を使っていったのですが、うちからなんと40分足らずで到着。遠方から何時間もかけてレッスンに通われている方に申し訳ないような近距離。

今日は一人ずつということで、最初に中1の息子をみていただいたのですが、息子に40分くらいかかり、その間待ちつかれた娘は、自分の番の時は集中力なし。
娘を先にやってしまうと「終わった終わった~、帰ろうよ」となりそうなので、そういうことにしたのですが、見事に作戦大失敗。

今日は、ふたりとも左手の構えをやり、息子のほうはさらに、弦の名称と(そうです、エー<E>線とかアー<A>線とかね)、一弦ずつを弓の真ん中あたりで5センチくらいずつ弾く練習、さらに4弦を連続して弾く練習をやりました。
私は、メモをとったり、先生から「こっちからお母さん見てみてください」と言われるままにぐるぐる回って見学&聴講しておりました。
「まず左の1と4の指を置いて、あとで3と2をのせる」と言われるままにメモしておりましたが、ふと気がつきました。
先生が「4」とおっしゃって小指を動かしておられることに・・・。
そうなんですよ、指の番号がずれている(笑)。
そりゃわたしだって、バイオリンの運指は親指抜きで、人差し指から始まり、ここから1・2・3・4と呼ぶことくらいは知っていたのですが、とっさに「2の指」といわれて中指は出ない。
これはどれくらいのギャップかというと「<あ>を<イ>と読みなさい」といわれるに等しいです(泣)。

で、うちの子どもたちもたぶんそのあたりの感覚はズレているだろうと思い、先生に申し上げましたところ
「ああそうか・・ピアノやってたんですよね」とおっしゃって、あらためて「これが1で、これが2で・・」と説明されました。


それと左手を置く時に、「電車のつり革に指先でつかまるみたいに」とおっしゃってまして、「なるべく力をぬいて」と繰り返し指導されていたので、ここで質問。
「全部力を抜いて腕の重みをすべて預けると大変な重さになると思いますが、そのあたりはどういう加減なんでしょうか?ピアノの場合は重力にさからわない姿勢なので、基本的にはすべて鍵盤にあずける気持ちでいけると思うのですが」
するとですね、私の腕に指をのせて「このくらいなんです」とおっしゃりながら、
「もちろん腕の重さすべてというわけではないですよね。ひじで支えなければなりませんから。この指の重さのかけ具合と圧力のかけかたが、これから先、ヴィブラートの上手下手にかかわってきます」

・・・・姿勢は違えども、まさに楽器の奥義は脱力にあり、ですね・・・



昼食を食べながら、子どもたちに「お母さんもバイオリンやりたくなったなあ」と言ってみましたところ、娘に
「やめたほうがいいよ。バイオリンは難しいけ。ほんとに難しいから。
ピアノはこうやってすわって、こうやって弾くだけぇ、そっちのほうが絶対いいよ」
と必死で止められました(爆)。
数日前は、イソルデ楽譜をのぞきこんで
「大人の楽譜って難しいだねえ。すごいんだねえ」と感心してくれたのに、いきなりのピアノ株大暴落(大泣)。
しかも続けて、
「お母さんは、ピアノ一生懸命やってるじゃん。チェンバロも習ってるし、それだけで十分だよ」と(笑)。

・・・・なぜこんなに必死で止めるんでしょう。私だって本気でやろうとしてるわけではないですけど、自分がやるくらい必死で覚えて帰らないと、うちで何も教えられないじゃないですか。


でもこればっかりは「自分でやるほうがマシ」とは思えませんねえ。
せいぜい子どもに頑張ってもらおう(逃)。


(写真は「バイオリンとカービィ」・・娘作)





トイレのなにか

2008年06月07日 20時12分54秒 | 家族・友人等
今日いきなり思い出したことなんですけど・・・


私、まだ20代初めのころの話。
職場の同僚というか先輩が海外に行って、私にお土産をくれました。
「エアウ デ トイレット」とかなんとか書いてあって、
多分これはトイレで使うものだろうと思って、とりあえずトイレに置いときました。
で、トイレに入ったときによく見てみたら、「クリスチャンディオール」と書いてあったので、「??」と思ったのですけど、
「クリスチャンディオール製の消臭剤なんてあるんだすごいなあ」と思って、そのまま置いときました。
かなりたってから、実は「エアウ デ」は「オード」と読むらしいということ知り、ならばもしや「トイレット」は「トワレ」なのか?と思ってよくよく見てみたら、
一番上に「Diorissimo」と書いてあって、「おお、これは香水なのね!」とやっとピンときた次第。

何ヶ月も「先輩からトイレのなにかをもらった」と思っていた私です。
これはほんとにネタではありません・・・・


実は今でもうちのトイレにあったりなんかするんですけど・・・だって香りメチャきついんですもん(逃)




トイレで思い出してしまって・・・とまりません・・


私、一時期某所で秘書をしていたことがあります。
あるとき私のボスがですね、消化器系の出口の方を患われたわけです。
手術をされて、それまでと変わらぬ日常を送っておられたのですが、トイレに行かれる際に、どうも花瓶を携えていかれる。
はて・・・なにをされてるのか?
ちょっと詳しくは書けないのですけどね、状況をいろいろ総合して考えるに、どうも患部の洗浄に使われているような雰囲気なんですよ。
その花瓶はですね・・・陶磁器の最高峰といわれる、ドイツ製の「マ」で始まって「ン」で終わるメーカーのもの(泣)。



これもネタではありません・・・・・




レッスン&面談

2008年06月07日 19時57分48秒 | レッスン&セミナー
昨日は午前中(正確には10時半くらいから13時過ぎまで)、ピアノのレッスン。帰って娘を迎えに行き、そのあと息子の個人面談でした。


レッスンはこれで3回目。
1月にはレッスンでなく、いろいろ資料をいただきに伺っていて、その後3月、5月、6月(今回)とみていただきました。
やっと今回全部を暗譜で弾くことができたのですが、2箇所「あ゛~~~」と(笑)。
なんとか止まらずに行きましたけど、あそこで鍵盤から手を離したら復帰はなかったですねえ・・・・・(汗)

それはともかく、今回はほんとに細かいことをやっていったので、ここに書くのは不可能です。できなくもないのですけど、曲がわからないと「・・??」なことが多いと思うのでやめときます。
ひとつ言えるのは、そろそろ、細かい設計というか下書きを消して、大きく流れをとらえていかないといけないということ。
一昨日くらいの録音を聴いてくれた主人にも、似たようなこと言われましたねえ。
コンクールだと結構本番まで生真面目モードで突っ込むことが多くて、「もっと前に行ってもよかったのでは」と講評にかかれたり、聴いた人に言われたりしますけど、きっちり聴かせたい部分と自由に弾きたい部分の按配はなかなか難しいです。
・・・そういうことを考えている時点で、まだ「設計図」が残ってるわけなんですけど・・・。




午後からの面談は、いわずもがな、中間テストの結果の受け取り(汗)。

大方の教科はどうということはなかったんですけど、天然のボケミスを連発した英語がちと笑ってしまうデキ。
返ってきた答案用紙を見た時点では「まあまあ?」と思ってたのですが、結果は平均点が90点を超えてまして、つまりは・・・・・ヲイ(爆)。

ちゃんと復習するように!
鉄は熱いうちに飲め・・・あ、飲んだら死ぬか(逃)。




長いペダル

2008年06月05日 18時42分34秒 | ピアノ
ある曲をかなり弾きこんでくると、それまでの弾き方ではいろいろと不都合なこと、マイナー部分の訂正が必要になってくることがあります。

そうですね、だいたい
「指使い」とか「ペダル」の2点でしょうか?

「指使い」はテンポが上がってくると、どうしても「それじゃ間にあわんだろ!」みたいな箇所が出てきて、変更を余儀なくされることがあります。
「ペダル」はまあケースバイケースなんでしょうけど、私の場合は「長いペダル」が必要になってくる・・ということが多いです。

曲がなじんできたころに録音をしてみると、時々ミョーな空白があったりします。
「??」
これはミスタッチが減ったことやら、音の整理が出来てきたことで、変な残響がなくなりミョーにすっきりな瞬間が出現してしまっているわけです。
で、慌てて楽譜を見てみると、そこは長いペダル記号が記されていて、これまでは見て見ぬふり、というか
「こんな長く踏んだら濁って話にならん・・・却下」と勝手に短く踏み変えていた箇所(汗)。
いうまでもなく「ちゃんと弾ければ」濁らないし、この長さのペダルを踏まないとならない箇所なわけです。

でも、この「長いペダル」というのは勇気と判断力が要りまして、
「・・ほんとに踏むの?こんなに長く?いいの?いいの?」と思ってしまうし、
ペダル記号は「長さ」だけが記されていて、「深さ」の指示は普通ありませんから
「・・これくらい?これくらい?・・え、もっと?」と悩みまくる。
しかもピアノによっては楽器が「ブイーん」と音をたててしまったり、全部の音がまぜまぜになってしまったりすることもあるので、かなり怖い。


昨日は、この「長いペダル」の再検討をしていて、ほんとに疲れました。
指の練習は肉体的に疲労しますが、こちらは感覚的にぐったりする。
「これって、私が悪いのか、ピアノのせいなのか?」といろいろ試した挙句に
「やっぱり悪いのは自分だ・・」という結論に達することがしばしば。


よく子どもの頃
「ペダルは耳で踏みなさいっ!!」って怒られ、
ちゃんとやってるつもりなのに
「濁ってる。まだ濁ってる。・・・どーしてちゃんと聴かないのっ!」と
さらに追い討ちをかけるように怒られたもんなんですけど、
ペダルって、だれかにワーワー言われて治るもんじゃないような気がするんですよね。
先生も、親もいないようなところ(できればほかの一切の音がしないような個室)で、1時間も2時間もかけて「ああでもない、こうでもない」とやる。
私まだまだ下手くそで困っているのですけど、最近やっと「耳で踏める」感覚がわかってきたように思います。

でも、ほんとに根性いりますよ、これ。
考えようによっては、ほかの楽器というのは、こういう作業が練習のほとんどの部分を占めているわけであって、「疲れた」などというのは、ピアノのように「たたけば出る」楽器の安直さに慣れ過ぎた者の甘えなのかもしれません。


そういう意味では、「補助ペダル」で小さい頃から使い慣れるのは悪くないことかもしれません。
ただ、やっぱり親はたとえそばにいても「ワーワー」言ってはいけないな・・・とあらためて思います。

・・・・まあピアノに限らず、なんでもそうなんですけどね・・・・











コントロールの妙

2008年06月04日 23時42分44秒 | 見る・読む
昨晩、テレビで坂東玉三郎さんを拝見した。

NHKの「プロフェッショナル」の再放送(カット部分はあるようだ)だったのだが、話をされる時のちょっとしたしぐさのひとつひとつが美しく、思わず見とれてしまい、耳の方がおろそかになってしまいそうだった。

年間で500もの公演をされているそうなのだけれど、いったいどのような健康管理とか精神面のコントロールをされたら、あのようにすばらしい舞台を50年も続けられるのだろうか・・・。

こんなことをおっしゃっていた。

「けいこのときに、最悪から最小までの踊りを練習して、そのなかの真ん中くらいを舞台ではやるんです」

・・・・<最悪>というのは「やりたい放題」なのだそうで、「最小」というのは「コントロールされすぎて小さくなってしまっている状態」なのだそうだ。
玉三郎さんによると、舞台で「のりすぎる」のはよくないことで、常にコントロールされていないといけないのだそうだ。
司会の茂木さんが、「では、稽古されているときは『やりたい放題』とかいうことはないのですか?踊っているうちにどこか別の世界へいってしまいそうな時とかは?」ときかれると
「それはありますよ。稽古のときはやりたい放題です。でも、それは他人に見せたことはありませんし、見せてもいけないと思ってます」といったことをおっしゃっていた。


また茂木さんが「男性が女性を演じることをどう思われますか?」ときくと
「音符(楽譜?)をよんでいくのと同じだと思うのです。並んだ音符をひとつひとつ表現していくことで、あるときはゆったりとした時間になったり、あるときは忙しく落ち着かないような時間になる。
ひとつひとつの所作を通して、女性を演じる。たまたま演じているのは私ですけれど、お客さんは私の向こう側のものを見ているのかもしれません。
風を感じるように女性を感じてもらえれば。
見たあとで、見ていたことそのものは忘れてしまっているんだけど、なにかの感じだけが残っている、とお客さんに思ってもらえたらいいなあ、と思います」

・・・あまりうまくまとめられなくて申し訳ないのだけれど、だいたいこういったことをおっしゃっていたように思う。


よく演奏なんかでも「自分はのりまくってたのに、客席が冷えてた」とか、
「演奏者のキャラクターが曲に合いすぎて、逆にあまりよくなかった」などということをきく。
最初から、曲から離れすぎていてはいけないのだろうから、もちろん練習のときは「やりたい放題」から「コントロールでがちがち」までいろいろとやってみなければならないのだろうけれど、これが観客や聴衆がある場合は、どの程度のコントロールでやっていくかが重要な問題となるのだと思う。



この番組の後半は、バレリーナの吉田都さんだったのだが、
こんなトップレベルの方でも、ひとつの公演が終わると、ほっとすると同時にいろいろと反省されて大変なのだそうだ。
なんとすごいことに、寝るまでに、その日の公演の最初のステップから最後のステップまで、すべてが脳内でリプレイされるのだそう。
そして、「あ、あそこはもうちょっとこうすればよかったな」と振り返られるそうで、またそうしないと寝られないとのこと。

これもやはり、ステージ上で冷静にコントロールされていたからこそ、すべてがリアルに脳内リプレイされるのだと思う。


本番でそうだということは、練習の時も自分のすべてを見てひとつひとつ修正を加えながら練習されているはず。踊りの方々は鏡をご覧になっていることが多いかと思うのだけれど、たぶん鏡がなくても自分の姿が客観的に脳内で再現されるのだろう。

ちょっと話がそれるが、ある二世俳優さんをスカウトした演出家の方がおっしゃっていたこと、
「鏡をみるのが習慣になっていて、自分がどんな表情をしているかをよく知っているんだよ」
・・・俳優さんは、自分の表情を客観的に見る目が必要なわけですね。

演奏の場合は主に音なので、舞踊家さんや俳優さんに倣うと「自分の音を聴く耳あってこその演奏」ということになる。
つまり、「他人に聴いていただく音は、まず自分が聴きつくし知り尽くしておけ」ということですね。


・・・・・むずかしい・・・・・

日曜の午前中

2008年06月02日 23時45分54秒 | バイオリン
昨朝、朝ごはんを食べながら「題名のない音楽会」を見ていましたところ、これがなかなか楽しい「振ってみましょう!」という、いわゆる素人の指揮者体験番組。

1分たつとドラが鳴って演奏終了となる、「のど自慢」の指揮者版みたいな感じだったのですが、たった1分の持ち時間にもかかわらず、個性あふれる指揮が次々と繰り出されていました。

それでもまるっきりのド素人という人はあまりいなくて、ずーっとアマチュアオケの団員だったとか、アマオケを振っているとか、指揮者をめざしている、とかいう、「素人」と呼ぶにはグレーゾーン(笑)の方が多かったのですが、そのなかで光っていたのが75歳の男性。
この方のプロフィールはちょっと聞き落としてしまったのですけど、指揮台に立たれたとたんに、テレビのこちら側の私までが釘付け。
「ニコっ」とされて、まるで空気中から音を連れてこられたかのようにごく自然にベートーベンの「田園」の一部が始まりました。・・こんな「田園」聴いたことない・・
たった1分だったのですが、実に幸せな気分。


これには、指揮者の佐渡さんはじめ、多くのゲスト審査員(プロの有名な音楽家を含む)も驚かれたようで
「あと20年たったら(だったかな?・・ちょっと記憶があいまいです)、呼吸するだけでオーケストラが鳴りそうですね」とか
「自分もこういうベートーベンをやってみたい、という指揮でした」
など、それぞれ絶賛の言葉を贈っておられました。

たしかにこの方は、これまでの人生の過ごし方とか、音楽への愛情とかが、お顔や立ち姿にオーラのように満ち溢れていて、なにも手やら腕を使わなくても、オーケストラは鳴ったのではないかとさえ思えましたねえ。

結局、グランプリを獲得されたのだが、ほかの出演者がすべてかすんでしまうほどの存在感。
ご自身で「後期高齢者です。同じ<こうき>なら高貴にしてくれないかな」と笑っておられましたけれども、こういう高齢者には憧れます・・・・かく年は重ねたいものです。



それを見たあとは、ドキドキのバイオリンの初回レッスン。
今日は楽器を構えるだけなので、子ども二人一緒にやりましょう、ということで、息子と娘が交互に先生に構えを教えていただいたのですが、
心配していたよりはおとなしく(・・特に娘のほうですね・・)、先生のおっしゃることをきいてました。
それにしても、楽器持つだけで大変なんですね、バイオリンって。
ピアノも持つのは大変ですけど。・・違う意味で(笑)。
だいたい長時間両腕を上げること自体、四十肩でひーひー言っている私にはムリというものです。バイオリン奏者は四十肩にはならないんですかね?

それはともかく、ああしてこうして、と構えを教えていただいている時、「ピッ」とキマル一瞬があります。
まだぐにゃぐにゃしてるから、それこそ「ほんの一瞬」なんですが、なんだか上手そうに見える。実際は一音も出すことができないのに、カッコだけは決まったじゃん・・という瞬間があるわけです。
なんか不思議な感じでしたね。・・たかが「カッコ」、されど「カッコ」・・
この一瞬が二瞬、三瞬につながっていくように親としては祈るばかりです(笑)。


娘は、意外に「持ち運べる楽器」というのが気にいったもようで、
昨晩は8分の1と4分の1をケースにいれたまま、両脇に置いて寝てました。
そして両脇に抱えて起きてきました。
幼稚園に行くときも「じゃ、言ってくるね」と挨拶してました。
で、また今夜も同じようにして寝てました。
・・・・ちょっと、お人形とかペット感覚・・・・

そういえば娘はもう少し小さい頃、私がガンガン弾いているグランドの下で平気で何時間も寝ていたものでしたが、
あれに比べれば、サイズもちょうどいいし、とりあえずうるさくないし、一緒に寝ても安眠ですね。

末永くかわいがってもらいたいもんです。