てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

合縁奇縁PartⅡ

2012-01-10 16:12:00 | 暮らしと生活
 正月二日、家内の中学校の同窓会があったのだが、生憎と次男家族が帰省中とあって出席が叶わなかった。そのことを残念がって、出席者の中から幼馴染みで親友のたっちゃんとヨウコちゃんが、日を改めて家内と3人で会おうやということになっていた。

 そして、遅ればせながらプチ同窓会が本日拙宅において実現した。一緒に昼食をとりながら話が弾み、大いに旧交を温めたようだ。

 30数年ぶりの再会となるヨウコちゃんとは積もる話を展開中、偶然にお孫さんがうちの孫たちと同じバレエ教室仲間で親友のくーちんと判明した。倅家族もお互いに家族ぐるみのお付合いをしている。広いようで狭いのが世間、どこかで誰かと繋がっているものだと再認識した。

 実は小欄「2009/7/27 合縁奇縁」でも奇しき縁について紹介したが、今回の奇縁もまたまた“ダンス・バレエ繋がり”であった。今回の仲介をしてくれたタッちゃんに感謝。
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生きるとは

2012-01-10 14:06:00 | 舞台、ライブ
 最近どこかで《宮沢賢治は、教え子から「人はなぜ生きているのか?」との質問を受け、「なぜ生きているのかを考えるために生きている」と答えた》という禅問答のような話を目にしたばかり。

 折も折、昨日からNHK BSで「山田洋次監督が選んだ家族の映画50本」の放映が始まった。初日の作品が黒澤明監督の「生きる」(昭和27年=1952年)であった。

 20年ほど前にテレビ放映を観て以来2度目だが、前回深い感銘を受け脳裏に焼きついている。タイトル通り、まさしく人間が“生きる”ことへの真髄を鋭く突いた作品で、いま観返しても感動を新たにし、万感胸に迫るものがある。

 劇中主人公が人生の最期に命を賭して遣り果せた悲願の公園建設、雪の降る夜に出来あがったばかりのその公園のブランコを漕ぎながら、『ゴンドラの唄』を、切々と口ずさみながら逝くシーンが何とも切なくて心に染入った。「ゴンドラの唄」のこの詩がまたよい。

ゴンドラの唄 吉井勇作詞・中山晋平作曲

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを


いのち短し 恋せよ少女
いざ手をとりて 彼(か)の舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを


いのち短し 恋せよ少女
波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に
君が柔手(やわて)を 我が肩に
ここには人目も 無いものを


いのち短し 恋せよ少女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを
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