てすさび日誌

哀しき宮仕えを早期リタイアし、“サンデー毎日”のomorinが生活の一コマや雑感を認めた日誌です(2005/4/20~)

田草取り

2012-06-30 18:48:00 | 農事
 先日より田圃に水が入り出したのを機に、乾田直播の我が田圃の周りでも、昔ながらの農法による田植えを順次済ませ、辺りはすっかり水田風景に変わった。

 そうなると乾田直播の弱点である田草(ヒエ)が否が応でも目立つ。日課のウオーキングも今朝からはしばし御預けで、早朝の涼しいうちを利用して田草取りに精を出さなければならないことに。

 道からみるとそれほどでもないが、いざ田圃に入るとあちこちにヒエが伸びている。ヒエは今ならば稲よりも背丈が小さいが、成長が早く直ぐに追い越す。まずはテマンガを押す。それに続いて水面にのぞくヒエを抜いて歩く。一条を田の向こうまで歩くとヒエで一杯になったポリバケツを畦に移して折り返す。1往復で小1時間かかり、2往復した所で雨脚が強くなったので作業を中断、明日に見送ることにした。

 これがかなりの重労働で直ぐに息が上がり、足腰が痛くなるわの汗だく。泥田のぬかるみに足をとられることで疲労度も倍増。
 このペースだと家内と二人して、一通り終えるのに毎朝2~3時間がかりで、あと3日はかかる勘定になる。
 いつものことながら二宮尊徳さんの『この秋は雨か嵐か知らねども 今日の務めの田草取るなり』の言葉を馬鹿の一つ覚えのように反芻しながら、黙々と田草取りに励む。
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釣り名人が作るプレミアムぶどう

2012-06-28 17:40:00 | 農事

水田の中に建つぶどうハウス

瀬戸ジャイアンツ

小山ご自慢の瀬戸ジャイアンツ

手に取ってみせてくれた瀬戸ジャイアンツ

1本の樹に約300房(1枝1房)

9~10年で幹はこの太さ

シャインマスカット

肩の張った理想形の瀬戸ジャイアンツ

瀬戸ジャイアンツ

手前が瀬戸ジャイアンツ、奥がシャインマスカット


 「写真を撮りに来て」と幼馴染の小山からケータイが鳴ったので、てっきり彼が手塩に掛けている瀬戸ジャイアンツ(別名桃太郎ぶどう)のことだと思い取るものも取り敢えず駆けつけた。

 のっけから「昨年が出来過ぎたので今年は不作。それでも3本の樹に500房~600房生っている」と上機嫌で出迎え、一番器量好しの瀬戸ジャイアンツの房の所へ案内してくれた。続けて「もう長くないから、手掛けている(わが子のような)ぶどうと一緒に(写真を)撮ってくれ」と、穏やかならざることを口走る。

 その場は聞き流したが、別れてからもこの一言が気に掛かり真意を確かめると、「お互い年をとって、先はそう長くはないとの意で他意はない」とはっきり否定したのでひとまず安堵。それにしても不用意な一言であり、お互い言葉遣いには気をつけたいもの。

 小山は私と同じく55歳で早期リタイア、のんびりしている所へ近所のおばさんから桃太郎ぶどうの苗木を貰ったのがきっかけで、趣味の釣り大会の準優勝賞金(50万円)に少し足しをしてぶどうハウスを築いて栽培に独りで取り組み見事成功したもの。
 余談ながら、彼の釣り歴とその腕は相当なもので、活躍の様子はYou Tubeなどで数多く紹介されている。

 マスカットと違って種がなく皮ごと食べられる新種のマスカット・瀬戸ジャイアンツで、もう一つ最近手掛けたシャインマスカットも軌道に乗りつつある。ただ甘いだけではなく、ほどよい酸味がポイントで心掛けているそうだ。

 どこの出荷組合にも属さず一匹狼で頑張っており、目下オリジナルパッケージの開発中。今ではクチコミで広がり全国ブランドになりつつある。スポーツコメンテーター二宮清純、加藤茶が会長を務める組織を通じて鳥羽一郎をはじめ芸能人御用達の逸品にもなっている。
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67年目の夏

2012-06-26 15:59:00 | ビジネスと社会
 痛ましい岡山空襲(1945年6月29日)から67年目の暑い夏を迎える。これに先駆けて、岡山市デジタルミュージアムにおいて恒例の「岡山戦災の記録と写真展」開催中の記事を、昨日25日付の山陽新聞夕刊でみた。

 例によって会場中央部に上下2段にわたって掲げられた横長の大きな写真が一際目を引く。上段には空襲直後の、そして下段には3年後の市街地をそれぞれ対比して写したパノラマ写真である。
 撮影の主はわが社のOBとあるので、手元の130年社史を紐解いてみると、私が33年間奉職したと同じ職場の大先輩にあたり、平成10年8月7日85歳で死去されていた。

 今朝一番に家内が同展へ行こうと誘うので、一も二もなく快諾し、同デジタルミュージアムが10時に開くのを待ちかねてのぞいてきた。

 展示されている戦災資料やVTRを観て心が痛んだ。当空襲による犠牲者は1,700人以上(2,000人に上るという説もある)で、焦土と化した岡山市街地を空撮した大きな写真が掲示され、リーフレットにもなっている。写真の右端上(北東部)には、既の所で難を逃れた我が集落(当時43世帯)が写っており複雑な思いで見入った。
 S大先輩の写真からは、苦難を乗り越えて僅か3年で大きく復興を遂げた跡が見て取れる。

 あの空襲から今年で67年になる。勿論私が生まれる前のことだから、その惨事を知る由もない。
 B29による岡山大空襲を受けた29日、それは父が警察練習所卒業の前夜で、一週間整理にあたったと聞かされた。阿鼻叫喚の巷と化した惨状は口にするのも憚れるほどである。
 また、私が小学生の夏、雷が大の苦手の祖母と蚊帳の中で息を凝らして見守っていたら、あろうことか前の家に落雷した。耳を擘く雷鳴と同時に閃光が走り、屋根を大きな火の玉が転がった。まさに瞬時の出来事だったが、祖母は「こんな情景に遭遇するのは岡山空襲以来!」と身体を震わせていたことを思い出す。

 戦争とはいえ、1時間24分かけて爆撃機138機で、軍需施設もない一般市民の住居を無差別爆撃したアメリカの非人道的な蛮行は幾ら憎んでも憎みきれない。岡山城の天守閣もこのとき落とされた。
 世界はひとつ、この地球国から戦争や紛争が消え、平和が訪れることを願って止まない。


岡山空襲直後(上)と3年後(下)の市街地を対比した写真

岡山空襲直後(上)と3年後(下)の市街地を対比した写真
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血糖値改善

2012-06-25 21:31:00 | 健康と医学
 先の定期健診でやっと血糖値が念願の許容値を示した。といっても空腹時血糖値104mg/dl(基準値110mg/dl以下)、HbA1c5.8%(基準値5.8%以下)とギリギリのセーフであり、薬効(アマリール1㎎錠とジャヌビア錠50㎎の併用)に負うところ大なので手放しでは喜べない。

 ここ2カ月は本腰を入れてウオーキングに励んだ。手元の歩数計は、大雨のためにただ1日休んだ6月16日でさえ「3,239歩」を刻んでおり、「1日1万歩突破」の目標は軽くクリアした。

 ただ、ホームドクターから申し渡されている「カロリー摂取量2割カット」は、未だに果たせていない。特に5月と6月は農作業など重労働が続いたので、逆に栄養補給のつもりで、「バランス良くしっかり食べる」を心掛けた。

 家内からは腹筋などを通してのウエストダウンを促されるのだが、中々実行に移せないでいる。そこでせめてもと思い直して、押入れに仕舞いこんでいたターボベルトを引っ張り出し再挑戦をして3日目である。

 しかし、よくよくネットで調べたら「マッサージ効果はあるが、脂肪燃焼効果はない。内臓脂肪燃焼を期待するのであれば、心拍数を120/分程度で行うウオーキング等の有酸素運動が一番。毎日1時間のジョギング+夕飯は腹8分目で必ず痩せる。」というのが結論のようだ。

 家内がいうように、機械に頼って楽をせず、自分で努力しないと余った脂肪は取れない。ダイエットに王道はないということか。斯くなる上は並行して“腹筋運動”あるのみ。
 それと単なる漫然としたウオーキングから、約3分普通に歩き、続いて速いペースで約3分歩く。そして、また3分ゆっくりしたスペースで歩く。「普通歩き」と「速歩き」を3分ずつ繰り返す「インターバル速歩」を取り入れてみようと思う。
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KIZUNA

2012-06-23 19:39:00 | ビジネスと社会
 昨夜、私と入れ違いになったJORDANの客Mさんとは、弟のかつての同僚である。今日は義妹(弟の嫁)の墓参りの後、わざわざ拙宅をお訪ねくださった。

 Mさんには弟の結婚式ご臨席に際し、拙宅へ前泊頂いたようで、実に37年ぶりの懐かしい再会となる。私が結婚式で収めた8㍉フィルムのイメージだけはしっかりと目に焼きついているのだが、年月の経過は無情で、実像にはかすかに面影がみてとれるばかりだった。言われなければすれ違っても気付かないほどの変貌ぶりは御互い様であろう。

 定年まで勤め上げた後、一念発起して起業、第二の人生を力強く踏み出しておられる。社名に「KIZUNA」の文字が入っていることでも窺えるが、弟が阪神・淡路大震災で被災した折には京都から命水を届けてくださり、3・11東日本大震災では1カ月もボランティア活動に参加された。またお子さんが中学に上がるまでは、多くの海外からのホームステイを受け入れられたと聞くが、全く以って奇特な方である。

 霊前へのお供えと我が家へのお土産に、お友達が経営されるSHIMIZUのブランデーケーキと、Mさんがサポートするアーティスト羽岡仁さんのLIVE AT MINOTAURE『KIZUNA』のCDアルバムまで頂戴した。
 ここで本来ならばbread and butter letterに認めるのが礼儀ながら、部類の悪筆故にお礼メールに代えさせて頂いた。
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