小池邦夫さんからの温かいエール
山中夫妻の丁重なお出迎えを受けて、今日から7月1日(火)まで開催の、第二回心で描いた「絵手紙展」に寄せていただいた。※初回心で描いた「絵手紙展」の様子はこちら。
オープニングとあって次々にお客が来訪、お祝いの花束も届く。絵手紙の創始者小池邦夫さんからの『山川草木 山中さんはハガキの裏表に文章をかく。日常が伝わる。絵とともに自然で飾っていない嬉しさ』との温かいエールが会場中央を飾る。
山中幸枝さんのブログ「コッコの絵手紙」のサポーターであり、良き理解者でもある旦那さんは、奥さんと手分けして客の応対やら、愛機を手にしての取材に余念がない。
幸枝さんは、個展に先駆けて6月9日付のブログの中で『ここのところ、ささやかな個展の準備に追われています。ご案内状を出すのも一苦労。頼みの綱の夫に絵手紙を取り込んでもらう事からはじまりました。でも、ずーっと感じている事があります。夫は勿論のこと、町内のたくさんの方々、遠く離れている娘たち、そして、交流している絵手紙仲間のみんな、たくさんの人たちに助けられているんだなって。個展とは名ばかりだということ。大勢の方々の温かい気持に包まれているんだということ。みんなの絵手紙展です』と綴っておられる。
「鬼瓦」の作品の前で「涙が出そうになる」と声をつまらせるご婦人に、かみさんが「(もしやこの話にでてくる)お姉さんですか?」と尋ねると、「いいえ、(山中さんが教える)絵手紙教室の生徒です」という答えが返ってきた。
家族の思い出が詰まった実家を取壊す前に持帰った鬼瓦を、ダイナミックな筆致で描いた逸品である。娘三人が家を出る時、お父さんは「持たせる財産は何も無い。ただ人として恥ずかしくない生き方が出来るようにその心だけ持って行きなさい」といって送り出されたそうだ。
いずれも力作揃いで圧倒されたのだが、とりわけ一点は「原爆ドーム」にまつわる話である。学校を卒業して43年ぶりのクラス会で訪れ、原爆ドームと向き合った。お~いと声を掛けただけで崩れそうな煉瓦が化粧直しされ、肌がつるつるの原爆ドームに生まれ変わっている。保存して世界に平和を訴えてゆくためには仕方がないのだろうが納得いかないと心情を吐露しておられる。
そういえば資料館の中も今では趣が変わり、かつては展示物を拝観して、あまりのリアルさに悪寒や吐き気を催す人があったほどだが、今はその生々しさが消えているという話にも及んだ。
原爆投下の際、生後間もない幸枝さんの実家は比治山の東側にあり、山の陰が幸いして直接被爆を免れたそうだ。犠牲に遭われた方にはお気の毒だが、間一髪とはこのこと。運命とはいえ何が幸不幸の分かれ道になるか分からないものだと思い知った。
そしていつまで経っても戦争の悲惨さを忘れてはならない。地球国の中で唯一の被爆日本は、原爆の恐ろしさを風化させないように後世に語り継いていく責務ある。今こそ平和ボケを戒め、足元を見つめ直してしっかりと歩みたいものだ。そんな気持ちを抱かせてくれた「心で描いた絵手紙展」だった。
つるつるとした原爆ドーム
思い出の詰まった実家の鬼瓦
3年かけて描いた法界院境内の
石仏八十八体の一部
嫁いた娘夫婦へあてた母心
旦那さんへの熱き感謝の心