北海道の開拓期には今考えると信じられないような奥地に集落や学校がありました。
今日ご紹介するのはそんな学校のお話です。
滝上の市街地から上川に向かうと順に、滝上、白鳥、滝西、滝奥に学校がありました。
ここまでならご存じの方はいらっしゃると思います(現存するのは滝上小学校のみ)。
実はその奥に、「滝南特別教授場」がありました。
場所は国道273号線沿い、滝奥地区から上川方面にしばらく行くとチェーン着脱場があります。
そこから更に奥に行くこと約2.5㎞、滝上方面から行くと左手に古びた石碑があります。
周囲は国道が通るだけの原野、滝奥地区よりも浮島トンネルの入り口の方が近い。
昔はこんなところまで開拓の鍬が入ったのかと思います。
この地区に学校設置の議が起こったのは1919年、教授場設置の許可があり、
片田丑五郎が校舎建築費600円を寄付し地域住民の協力により翌年に55線に校舎ができました。
しかし1942年に教員が滝奥校に転任し休眠状態に、住民も四散し学校は自然消滅となりました。
尚、石碑の所在地は国道のルート変更により当時の学校所在地とは違いますが、
滝上原野55線に相当する場所であるのは間違いありません。
ちなみに滝西は滝上原野21線、55線とは本当に奥地だな。
それでは年表です。
1920年 「白鳥尋常小学校所属滝南徳部地教授場」として開校
1921年 「滝西尋常小学校所属」となる
1928年 「滝奥尋常小学校所属」となる
1942年 教員が滝奥本校に転属、休眠状態になる
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