伊達紋別駅を出て左側に交番があります。
その横の道を入ってすぐ右側に謎の柱みたいなものがあります。
何か字が書かれていますが、目を凝らさないと何と書いてあるかわからない。
これが『胆振縦貫鉄道株式会社跡』です。
廃止された胆振線(伊達紋別ー倶知安、京極ー脇方)の簡単な歴史は以下の通り。
・1919年、倶知安ー京極間が京極軽便線として開業
・1920年、京極ー脇方間が開業
・1922年、京極線と改称
・1928年、京極ー喜茂別間が胆振鉄道として開業
・1940年、伊達紋別ー徳舜瞥(後の新大滝)間が胆振縦貫鉄道により開業
・1941年、胆振縦貫鉄道が胆振鉄道を合併、徳舜瞥ー西喜茂別(後の喜茂別)間の開業により全通
・1944年、胆振縦貫鉄道を国有化、京極線を編入し胆振線となる
・1986年、廃止
いろいろな地名や社名が入り交じりややこしい。
胆振縦貫鉄道は1940年から4年間しか営業していなかった。
その会社の起点になる伊達紋別の社屋がここにあったということですね。
ちなみに本社は東京だったらしい。
しかしなんだ、もっとこう…ちゃんとした…ねぇ…。
無いよりいいけど。