私のおばーは58歳の若さで逝ってしまった。今にして思えば当時の女性の平均寿命からしても早すぎた死だった。当時でも女は87歳の平均寿命であったからだ。人懐っこくて特に私を可愛がってくれた。記憶の襞をたどると、おばーは典型的な沖縄の女性特有の寡黙な人だったが、やさしく諭す孫への接し方は人一倍、愛情のこもったものだった。子供ながらに、よく分かった様な気がしていた。ある時、離島僻地の伊平屋島から都会の那覇に出てきた。私は母と那覇で暮らしていたからだ。そこへおばーが訪ねてきたのである。田舎者のおばーである。見るもの聞くもの、全て新鮮に映ったに違いない。あれは何だ?これは何?・・・と頻りに問うてきた。有りっ丈の知恵を絞って、私は、そういうおばーに、精いっぱいの持てなしで応えた。心地よかった。田舎者のおばーに応えてやる心地よさは今でも忘れない。もう遠い遠い記憶の彼方の出来事だが、今でも鮮やかに脳裏に浮かぶ。・・・私の“おじーよ!”、 私の“おばーよ!”有難う。生前の楽しい出来事に私は幸せいっぱいだった。時々、追憶を辿りながら、おじー と おばー との思い出を反芻するよ!
私のおばーは58歳の若さで逝ってしまった。今にして思えば当時の女性の平均寿命からしても早すぎた死だった。当時でも女は87歳の平均寿命であったからだ。人懐っこくて特に私を可愛がってくれた。記憶の襞をたどると、おばーは典型的な沖縄の女性特有の寡黙な人だったが、やさしく諭す孫への接し方は人一倍、愛情のこもったものだった。子供ながらに、よく分かった様な気がしていた。ある時、離島僻地の伊平屋島から都会の那覇に出てきた。私は母と那覇で暮らしていたからだ。そこへおばーが訪ねてきたのである。田舎者のおばーである。見るもの聞くもの、全て新鮮に映ったに違いない。あれは何だ?これは何?・・・と頻りに問うてきた。有りっ丈の知恵を絞って、私は、そういうおばーに、精いっぱいの持てなしで応えた。心地よかった。田舎者のおばーに応えてやる心地よさは今でも忘れない。もう遠い遠い記憶の彼方の出来事だが、今でも鮮やかに脳裏に浮かぶ。・・・私の“おじーよ!”、 私の“おばーよ!”有難う。生前の楽しい出来事に私は幸せいっぱいだった。時々、追憶を辿りながら、おじー と おばー との思い出を反芻するよ!
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