世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

時間を制する者が“人生を有意義に生きる”!

2012年02月15日 | Weblog

書店散策をしていると「時間活用術」の類書の多さに眼を見張る。それだけ時間の活用術の必要性を感じているのだろう。せかせかと時間に追われ仕事にその大半を費やす。自分の時間が生み出せない焦りを感じてのことだろう。店員さんの話でもよく売れているという。長い人生のスパンを視野に入れるとその時期に遣り遂げなければならない数多のことがあるに違いない。個々人の事情や背景があって一概には言えないが先人が悪戦苦闘して生み出した 時間活用術 なるものの定理みたいなのもがあるに違いない。類書も自己の体験や経験から生み出したハウツウであると思う。でも年代、事情、背景、職種に違いがあっても概して共通する時間活用のハウツウがあるはずだ。それを自分に引き寄せて参照すればよい。若い時は時間は無限にあるような錯覚にかられる。老いた人には時間が経つのは速い様に感じる。人間の生存期間は100年そこそこのスパンで限られている。だから老若男女、時間については錯覚している。ある説によると老境に入るに従って1日が1時間に感じられ、1年が1日の様に感じられるという。それは<発見の数が減る為に生じる錯覚>だという。・・・そこで時間の有効な活用の必要性がでてくる。私は若い時から如何にして時間を生み出すかに腐心し類書を渉猟してきた。私なりの帰結は「すきま時間」を如何にして生み出すか、という一語に尽きる。仕事中でも勿論、<ほどほど>にではあるが四六時中、「すきま時間」を探し出すことに専念した。なんだか悲壮感が漂うが、そうではない。リラックスしながら同僚と歓談しながら、一人になった時にまず 読書する時間 を生み出した。それから仕事、趣味、自己実現に必要な事柄の渉猟・散策に明け暮れた。実に充実した時間が持てた。このブログも一日も欠かさず記述公開しているが何の苦もない。下書きなしにパソコン上で主述だけ合うように気をつけて思いつくままに書き綴っているだけである。偶に後日、読み返してみると誤字脱字が、散見される。論理の展開も窮屈なところが目に付く。まあ、致し方ない、と諦めるしかない。兎に角、書き続けることに専念している。時間の活用は人それそれぞれに違うが自己の事柄の必要に応じて生み出していけばよい。<時間と人生>について論考も後日、認めたい。・・・