世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

稲盛和夫氏の哲学「人は何のために生きるのか」(4)

2005年05月31日 | Weblog
読解した断章の梗概を以下に連続して提示します。

第四章 「創造主」について

創造主=神=サムシング・グレート=etc.を「何ものかはわからないけれども、偉大なる存在」普通に使われている「特定の神」とはニュアンスが異なっている)と捉えている。あるノーベル賞、科学者は「サムシング・グレート」と説明したが大勢ではなかった、という。でも「何ものかはらわかないけれども、偉大なる存在」は肯定しないと森羅万象のなかには説明がつかない事象が多すぎる、と稲盛氏は指摘する。出来上がった宇宙は厳然として存在し何者かがつくった、と理解しない事には全ては説明がつかない。現在の知見ではミクロであろうがマクロであろうと真理の探究で無限拡大の世界や微小の世界が理解できたとしても「創造主」が誰かは分からない。そもそも宇宙全体が、どうなっているかさえ分からないのだから「創造主」を理解するのは不可能です、と氏は説明する。宇宙が創造主によって生まれ人間が誕生したとすると「絶対的な創造主」は森羅万象をコントロールしているのだろうか、人間が考えている事は人間自体なのか宇宙の意志なの、・・・その事は「人間が考えている」・・・と理解すればよい、と氏は持論を述べられる。創造主の意志は「すべてのものを幸せな方向に進化・発展させる」という「愛」の意志であると。個々人に与えた試練はアトランダムなものだと、と同時に人間に「自由」をも与えた。つまり「魂のなかの根源的なもの」だけを与え、それ以外は<自由に出来る様にした>。自由には良い事をする自由、悪い事をする自由がある。その行動は脳細胞が指令を出す。自由な行動の優先順位の高いのは「煩悩」である。煩悩とは肉体を守る為に必要な「欲望と本能」の事である、と氏は解説する。生命が誕生し進化していく為には自己防衛本能が備わり欲望がある、その維持の為には食欲があり性欲もある。人間には自由があるから欲望のままに行動も出来る。肉体が在るが故に自分を大事にしたい欲望を持ち創造主の提示とは逆に自由に煩悩のままに行動する。換言すれば人間は悪しき欲望の赴くままに自由に行動できる半面、「創造主の愛」で進化・発展の方向で宇宙全体は良き方向に進化する面もある。人間の悪しき自由の方向ではなく創造主の愛で誘導される良き自由の方向に自己を高め進化させていく。それが「心を高める」という事になるのだと。欲望が肥大化していく現代社会は地球環境の為にも『欲望の追求はほどほどに』し人間以外の地球の諸々の動植物と共生していく道を歩むほかはない、と氏は警鐘をならす。『心を高める』ことこそ人類の『叡智』なのだと。『叡智』は『愛』の中に包摂されるのです、と鋭く論評する。・・・次回も連続して続く。・・・