世界一健康長寿のニライの風来坊

豊饒を齎す理想郷は海の彼方の蓬莱島!ニライの島夢郷!!その桃源郷を求めて南の風来坊は今日も迷走する。

激動!”吾が昭和”は遠くなりにけり!!

2005年05月02日 | Weblog
想い出せば随分遠い道のりを歩んで来たものだ。昭和の二桁前半を基点に激動の昭和史を俯瞰しながら踏みしめて来た。戦後間もない頃、美空ひばりのあの”悲しき口笛”を口ずさみながら中高校の青春真っ只中を謳歌して来た。世は歌につれ歌は世につれ、と時代の節目、節目を歌と共に足早に通り過ぎ必死に通過して来た。藤山一郎の”山の彼方に”も高校時代の愛唱歌の一曲で、たまに居酒屋で歌ったりしている。ミッチーブームも忘れられない。皇室の馬車が沿道を通り皇太子殿下・ミチ子妃殿下のあの微笑を振りまきながらの沿道の国民に応える様は、つい昨日の出来事の様に脳裏を翳める。大阪万国博覧会のあのコンパニオン達の笑顔も忘れられない。確か長嶋茂雄氏の奥方も当時のコンパニオンだったはずだ。想い出せば走馬灯の如くあの頃の世相風景画が鮮やかに脳裏のスクリーンに映し出される。ネガティブな浅間山山荘事件も国民の度肝を抜いた。テレビ中継の威力を、いやと言うほど見せ付けられた事件だった。インパクトの強い昭和史を振返っているが私の個人的な昭和の記憶である。沖縄では交通変更も当時としては重大事件だった。アイゼンハワー大統領の来県も一エポックをなし国道58号線沿いは数十キロに渡る人の波で埋まった。コザ焼き打ち騒動事件、B52墜落事件、ユミ子ちゃん事件等々・・・。金融の歴史でもA円からB円、ドル紙幣、日本円へと目まぐるしい変遷を遂げた。何と言っても昭和47年5月15日は忘れられない沖縄県民の悲願、名実共に日本国民として公認された「日本祖国復帰」を勝ち得た大事件だった。アトダンダムに取り上げてきたが沖縄は日本の縮図、まさに激動の昭和史を歩んで来た。歴史を振返えるに今日の自分の自己存在証明(アイデンティティ)を再確認し見つめ直す事も年輪の成せる業か・・・哀愁を体感しながらも今日も、せっせと綴っていく。・・・