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八咫烏の声

神社の行事、社務などの日記です。

鈴緒

2013年06月07日 13時14分55秒 | 神社豆知識

梅雨・・・なのですが、

比較的良いお天気が続きます。

こんにちは。半月振りの登場の禰宜です。

お久しぶりです。はい。

昨日は『和風総本家』というテレビ番組に当社の鈴緒が一瞬だけ映りました(笑)

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ちょこんと座る豆介が愛らしい。

どんな場面で映ったかというと・・・

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「日本っていいな」

・・・のほんの一瞬(笑)

まぁ・・・本音を言いますと豆介に来てほしかったのですが・・・仕方ありません(笑)

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【鈴緒(すずお)】

む?今気づきましたが「鈴緒(すずお)」ってなんだか良い響きですね。

「~緒」という伝統的でありながら、かつ現在にも通じるような響き。

玉緒(たまお)とか紅緒(べにお)とか。

うん。女の子の名前とかに似合いそうです。

新しいお子様のお名前に・・・ぜひ「鈴緒」をご検討ください。

さてさて。この鈴緒(厳密には鈴緒の上についている鈴)ですが、鳴らすことによって自身を祓い清める「祓い具」としての意味合いや、神様を呼び出したりするそれこそ「呼び鈴」としての意味合いなどがありますが、別に必ずしも鳴らさなくてはいけないものでもありません。

そもそも鈴自体がない神社伊勢神宮や出雲大社など規模が大きい神社に多い気がします。何となく。)もたくさんありますから、無理に「じゃらじゃらじゃら~」と鳴らそうとしなくても・・・大丈夫です。

ですので、社殿の中で御祈願をしているときに参拝に来てしまい、思わず鈴を鳴らすか鳴らさないか迷ってしまったら、普通に参拝だけされても構いませんよ。鈴を鳴らさなかったからといって間違いということはありません。要は神様に参拝するという心構えがあれば大丈夫です。

(※もちろん全国の神社の中には故実により『鈴を鳴らすのが正式な作法』という場合もある・・・のかもしれませんが)

禰宜


岡田宮の人々

2012年10月12日 18時13分07秒 | 神社豆知識

本日も秋晴れ。

朝夕は肌寒いとはいえ、日中は過ごし易い日々が続きますね。

こんにちは。禰宜です。

さて。

突然ですが、当社には何人の神職・巫女が奉仕しているでしょう?

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日々更新するブログで「宮司」やら「禰宜」やら「K権禰宜」やら「T権禰宜」やら「さくら」に「ぶぅ」に「ぬこ」などなど・・・色んな人物が出てきますが把握するのは難しいですよね?

・・・というわけで。

本日は岡田宮の神職・巫女のご紹介です。

先ずは神職から。

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『宮司』

「宮の司」の職名の通り当社の責任者。郷土史講演などでも活躍中。

ブログは『名所・パワースポット』系。今何ヵ所目でしょう?

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『禰宜』

かつての「I権禰宜」。机をすぐ散らかして巫女長に怒られる日々。

力を入れる時と入れない時の差が激しいブログが特徴。

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『K権禰宜』

かつての「K出仕」。書道は師範の腕前。マイブームは篳篥(らしい)。

最近、堅かったブログの文章が面白くなってきたと評判(笑)

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『T権禰宜』

田川の神社の禰宜さんですが、当社の神職も兼任されています。

お宮の風景ブログといったらこの方。「ほっ」とするブログを更新中。

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『H助勤』

先日ご紹介した助っ人。旧官社の元宮司さん。

宮司職を定年退職された為、当社でお手伝い頂いています。

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『O研修生』

こちらも先日ご紹介したO研修生。

いつか彼にもブログを書いてもらえるかも。


・・・ここまでがいわゆる「神主」さん。

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お次は巫女さんのご紹介。

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『さくら巫女長』

いつも明るく爽やかな人気者。甘い物大好きで「ぬり絵」渡しの達人。

可愛らしい絵文字と顔文字を使ってブログを更新中。

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『ぶぅ巫女』

副巫女長格。年は若いですがしっかりしています。

ぱぱっと短時間で読みやすいブログを書き上げる才能アリ。

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『すーたん巫女』

受験生のすーたん巫女。今年の七五三は勉学専念で不参加。

お正月からまたブログを更新してくれる事でしょう!

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『ぬこ巫女』

「にゃー」と始まるぬこ巫女ブログ。

当社最年少の一人ですが、ご奉仕の場数は踏んでいます。

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『すず巫女』

先日ご紹介した新人巫女の一人。巫女長の妹。

噂では姉よりしっかりしているとかなんとか(笑)

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『ゆり巫女』

先日ご紹介した新人巫女で、当社最年少の一人でもあります。

これから色々と学んできっと素敵なブログを書いてくれる事でしょう。

・・・と、以上が平時御奉仕に来ていただける巫女さん達。

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ここからは繁忙時に臨時で駆けつけてくれる頼もしい巫女さん達です。

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『Z巫女』

一番の古株ベテラン巫女。もはやレジェンドの域に達しています。

因みに「Z」はずら(ヅラ)の意。ただし本人はカツラではないですよ。

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『D巫女』

Z巫女の相棒。どちらかというと「つっこみ」担当。

Z巫女とD巫女の息の合った掛け合いは見ていて飽きません(笑)

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『le巫女』

「レ」・・・いや「エルイー」だったかな?(笑)

英語が得意な才媛です。ディス・イズ・ア・ペン!!

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『F巫女』

県外の大学に通う看護師のタマゴ。

これで病気になったらいつでも看護してもらえますね!(笑)

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『たもさん巫女』

県外の大学に通うお医者さんのタマゴ。

これで病気になったらいつでも手術・・・(以下略)

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『きなこ巫女』

なんとも甘そうな名前の巫女さん(笑)彼女も県外へ進学。

来年のお正月は土産話を聞かせてくれる事でしょう。

さてさて。

いかがだったでしょうか。

岡田宮の人々が少しだけ垣間見れたのではないでしょうか?

誰がどんなブログを書いているか・・・把握できました?

これら一人一人の力が合わさることによって岡田宮の社務は成り立っています。

神様が静かに鎮まります様に、また参拝者の方々が気持ちよく参拝できるように。

岡田宮奉仕者一同、これからも頑張ってまいります!

禰宜


こんなところに北九州の思い出

2012年07月18日 12時01分55秒 | 神社豆知識

昨日に引き続き暑~い一日。

こんにちは。寒いのも苦手ですが暑いのももっと苦手なI権禰宜です。

さて。黒崎祇園まであと2日

夜に街のあちこちで聞こえる祇園太鼓の音も心なしか最後の仕上げ・・・といったところでしょうか?黒崎のアーケードの中もすっかり祇園の飾り付けがされています。

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ご覧の様に各山笠の法被がアーケードの天井からぶら下げられていますね。

これを見ると祇園の季節だなぁ~と感じます。

そうそう。黒崎駅のデッキが改修されたんですよ。

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アーケード入口からデッキへ至る階段。

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こちらが改修されたデッキ。

以前よりも広くなったような気がします。

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デッキから国道3号線を望む。

昔はこの道を西鉄北九州線という路面電車(門司~折尾間)が走っていました。

実はその路面電車の名残が当社には残っているんです。

それがこちら。

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当社の参道に用いられている石畳

そう・・・これは・・・

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『保存版 北九州の今昔(郷土出版社)』より

路面電車のレールに敷かれていた石畳なんです。

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こーんな何気ない所に北九州の思い出が用いられているんですよ。

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北九州から路面電車が姿を消して10数年・・・

当時の事を懐かしんでこの参道を歩いてみてはいかがですか?



I権禰宜


いにしえの岡田神社について

2012年05月04日 15時48分33秒 | 神社豆知識

本日は「みどりの日」。

みどりの日・・・。ちょっと前までは「国民の休日」という名前でしたね。

こんにちはI権禰宜です。


さて。先日、当社はもともと3つの独立した神社(岡田宮・熊手宮・八所宮)であった事をお伝えしましたが、それについて少し深く述べようかと思います。

参考するのは岡田宮の事を誰よりも深く知っている昔々の岡田宮宮司の古記録から。


元禄5年(1692)の当社大宮司・波多野内記直治の書上帳に曰く、



「岡田神社。筑前国遠賀郡宗像郷熊手村岡田里に在り。祭る所の神は3座」


と記されています。3座は岡田神社・熊手神社・八所神社ですね。


さらに岡田神社の祭神は



神日本磐余彦尊(神武天皇)・彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命


の4柱となっています。ちなみにこの4柱は御兄弟(神武天皇は概ね末弟とされます)です。

現在ではなぜか神武天皇以外の兄神達は祭神から外されております。


次に熊手神社の祭神は



大国主尊・少彦名命・県神(熊鰐)


の3柱と記してあります。これは以前紹介した通りですね。


元々、岡田神社は現在の一宮神社(山寺地区)のある地にあり・・・

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↑一宮神社に現存する神武天皇縁の磐座。


熊手神社は現在の熊西地区に在ったといいます。

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↑熊手神社跡地に建つ岡田宮旧跡の碑。


直治の父祖である波多野刑部大輔兼政の時代(天正年間)、既に岡田大神・熊手大神の両神は同殿に祀られていたとの事です。理由は「回禄(火災)」という事ですので恐らく兵火に遭ったのでしょう。


直治の書上帳にも



「天文年中豊後の大友入道の為に兵火に罹り、諸殿烏有(焼けて)となり仮殿なり」


とあります。この天文期の兵難後に両社が再建されたかどうかは詳らかではありませんが、当時の岡田・熊手の両社が北部九州という諸大名の争奪地に在った以上、戦火に晒され易く、衰退著しい状況にあったのは想像がつきます。


さて残りの1社である八所神社は、



「八所神社。熊手村黒崎駅家離方に在り。祭る所の神は鎮魂の八神なり


と記されています。


この場所は現在の八幡西区役所の隣にある御手洗公園ということです。

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公園の端にある池に多少の名残がある・・・ようです。今でも神水が湧いています。

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↑大歳宮・諏訪宮旧跡地案内板


慶長8年(1603)八所神社が岡田・熊手の両社と合併し現在の岡田町に遷座した後、ここには先ず諏訪神社が遷座。さらに大正6年(1917)に大歳神社が諏訪神社の隣に遷座されました。


直治の書上帳に曰く、元々大歳宮は貞元地区に。諏訪宮は諏訪山(現在地不詳)に在ったとの事です。

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↑一宮神社(山寺地区)


昭和25年(1950)、大歳・諏訪の両社は岡田神社の跡地に創建された王子宮と合併し、現在の一宮神社という社名になりました。


八所神社の祭神は

鎮魂の八神。即ち・・・



高皇産霊・神皇産霊・玉留産霊・生産霊・足産霊・大宮比売・御気津神・事代主神


の8柱です。


直治の書上帳に曰く



「永禄年中、藤原朝臣元重(麻生元重)公再興し給う」


とありますが、実はこの時の棟札が現存しています。

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↑当時の棟札


現物は博物館に保管していますので赤外線のコピーになりますが・・・

永禄8年(1565)当時の宮司は波多野民部大輔直重(兼重)。天正期の兼政の祖父にあたる人物です。


この岡田・熊手の両社と八所神社が併存している時期は、前者が熊手上社、後者が熊手下社と称されていたようです。


結局この3座の神社は江戸時代初期に黒崎宿が整備されるによって慶長8年(1603)現在地(岡田町)に遷座されます。

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↑黒崎宿図


少し分かり辛いかもしれませんが、こちらの絵図の一番右端あるのが岡田宮。

だいたい江戸時代中頃の黒崎宿の絵です。


岡田宮の歴史・・・結構複雑でしょ?


I権禰宜


諸社禰宜神主法度

2011年10月28日 16時26分30秒 | 神社豆知識

朝から微妙なお天気でした。

そして寒い。

こんにちは。I権禰宜です。

さて本日も神社についてのうんちくを一つお話しましょう。

決して「ブログのネタが無いから」というわけではありませんよ。

今回お話するのは「諸社禰宜神主法度」

・・・読めます?

「しょしゃねぎかんぬしはっと」と読んで下さい。

この諸社禰宜神主法度。簡単に言ってしまえば、江戸時代に幕府が発布した・・・

神社・神職に対する法令

です。

武家諸法度」とか「禁中並公家諸法度」なんかは比較的耳にした方も多いのではないでしょうか。ちなみに「武家~」は武士に対する、「禁中~」は朝廷に対する法令です。宗教関係では仏教寺院に「寺院諸法度」が出されています。

そんな諸社禰宜神主法度ですが、全部で5ヶ条から成っております。

以下このようなものです。

一、諸社の禰宜神主等、専ら神祇道を学び、其の崇敬する所の神体、いよいよこれを存知すべし。有り来たりの神事、祭礼いよいよこれを勤むべし、向後怠慢せしむるにおいては、神職を取り放たるべき事。

一、社家の位階、前々より伝奏を以て昇進を遂ぐる輩は、いよいよ其の通りたるべき事。

一、無位の社人は白張を着すべし。其の外の装束は、吉田の許状を以て着すべき事。

一、神領は一切売買すべからざる事。(附、質物に入るべからざる事。)

一、神社小破の時は、其れ相応に常に修理を加ふべき事。(附、神社は懈怠なく掃除申し附くべき事。)

寛文五年七月

以上の5ヶ条が諸社禰宜神主法度です。

最初の最初の条文には神職の心がけについて述べられていますね。次の条文は神職の位階について。つまり神職が位を受ける際の取次ぎについてです。

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吉田神道の本拠地・吉田神社

さて三条目にある「吉田の許状」とは京都の公家・吉田家の事。つまり神職が身に纏う装束については吉田家の許可が必要ということです。神職が好き勝手に装束を着る事は出来なかったんですね。吉田家はこの裁許状を発行することで、全国の神社(一部例外はあるものの)に君臨しました。

四条目はそのまんま。神社の土地を売買したり質にいれたりしてはいけないという事。そして最後は社殿は常に修理して、掃除を怠らず境内を清浄にせよという事が述べられています。

二条目と三条目はともかく、それ以外は現在の神職心得としても充分通用しそうですね。

・・・それだけ神職のやっていることは変わっていないということでもありますが(笑)

I権禰宜