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命絶つ行為、美化するな 障害団体代表・藤井克徳氏 「大型識者談話」元パラ選手のベルギー人女性安楽死

2019年10月29日 09時23分12秒 | 
命絶つ行為、美化するな 障害団体代表・藤井克徳氏 「大型識者談話」元パラ選手のベルギー人女性安楽死
2019年10月28日 (月)配信共同通信社

 著名なアスリートであるマリーケ・フェルフールトさんの安楽死は、本人だけの問題にとどまらず、社会的な影響が大きい。とても悲しい出来事だ。
 これほどの人の「自殺」が許されるとなれば、世界中で差別や偏見によって生きづらさを感じている障害者は「私も生きていても仕方がない存在なのかな」と感じるのではないか。それは無言の「死の勧め」になってしまう。経済的な生産性ばかりが重視される世相も踏まえると、懸念は一層強い。
 安楽死や尊厳死は中立的な用語とは思えない。自殺も含め途中で命を絶つ行為で「断命」と言った方がいい。正当化し、美化してはいけない。
 命には何ものにも代えがたい絶対的な価値がある。だが障害者の歴史を振り返ると、軽んじられたことがあった。ナチス・ドイツは「価値のない人間の抹殺」を掲げ、多くの障害者を虐殺した。日本では旧優生保護法によって障害者に不妊手術が強制された。もう命の価値観を1ミリも後退させてはいけない。
 安楽死は「自己決定だ」とする議論がある。だが自己決定は、本人の置かれた環境や家庭状況で変わる。貧困や不自由な状態では正しい判断ができない。危うい論理だ。
 フェルフールトさんの痛みの程度は私には分からない。障害の質や種類は違うが、私も目が見えなくなり絶望したが生きる道を選んだ。「生きづらさがあるから命を消す」が安楽死を是認する論調の基本だ。そうではなく「生きづらさがあっても、どう生きるか」を追求すべきだ。
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 ふじい・かつのり 1949年福井市生まれ。弱視から40代半ばで全盲になった。日本障害者協議会代表や「きょうされん」専務理事を務める。
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