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アスリートらしい自己決定 ジャーナリスト宮下洋一氏 「大型識者談話」元パラ選手のベルギー人女性安楽死

2019年10月29日 09時20分48秒 | 
アスリートらしい自己決定 ジャーナリスト宮下洋一氏 「大型識者談話」元パラ選手のベルギー人女性安楽死
2019年10月28日 (月)配信共同通信社

 「まだ生きることができた人がなぜ」と、疑問を抱く日本人は多いだろう。しかし、安楽死の現場に幾度も立ち会った私にとって、マリーケ・フェルフールトさんの人生の終焉(しゅうえん)は「個」を重視する欧米人らしく、また特にアスリートらしいと思えた。
 安楽死を選んだ患者たちは「これから先は下り坂」「不幸な人生だったら、もう少し生きてもいい」といったせりふを残し、世を去る。肉体的な痛みもあるが、精神的な苦痛を味わってまで余生を過ごしたくないのだ。
 彼らはみな家族に見守られながら、明るい笑顔で旅立つ。たとえ死期を早めても、最期まで幸福の絶頂を貫きたい。安楽死とはそういうものだ。
 私はベルギーのアントワープで、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を抱え過去に自殺未遂を13度繰り返した女性に会った。安楽死の許可を得たばかりの彼女はその時、「まだしばらく生きてみたい」と言った。精神疾患患者にとって「いつでも安楽死ができる」という安心感は、死の抑止力になると知った。今も彼女は生きている。
 昨今、日本でも安楽死容認論が高まりつつある。私は、日本人の安楽死を否定しないが、国内法制化には反対する。「自己決定」が難しい社会で、本当に患者自らが安楽死を決断しているのか。周囲がその決断を誘導してはいないか。私には疑念が生じる。
 死に方は生き方の反映だ。人それぞれの最期があり、それは尊ばれるべきだと思う。フェルフールトさんは、あくまでも本人の明確な決定の下で「人生のゴール」を達成したのだと信じたい。
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 みやした・よういち 1976年長野県生まれ。欧州を拠点に取材。著書に講談社ノンフィクション賞受賞の「安楽死を遂げるまで」や「安楽死を遂げた日本人」など。
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