フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月25日(日) 曇り時々小雨

2013-03-26 11:23:26 | Weblog

  8時、起床。 赤飯、味噌汁、ご飯の朝食。赤飯は母が今日が卒業式の孫のために作ってくれた。早稲田大学も今日が卒業式だ。赤飯を食べて、さあ、大学へ。

  10時半から某委員会。

  昼食は「SKIPA」に食べに行く。宙太さんに『蒲田Walker』と『大井町Walker』を差し上げる。のんちゃんが今度早稲田のキャンパスに遊び行きたいというので、4月中であれば、新入生だと思われてサークルの勧誘に合うかもしれませんね、と言っておく。彼女は28歳だが、小柄で、かわいらしい人だから、きょろきょろしながら歩いていれば、きっと勧誘されるはずである。のんちゃんもすっかりその気になっている。

   日替わり定食(本日は鶏肉のトマトソース煮)。食後にプリント紅茶。 

  2時半から36号館382A教室で現代人間論系の学位記授与式。私のゼミの学生たち、それから高橋先生(在外)のゼミの学生たち、木村先生(昨年定年退職)のゼミの学生だったEさんに、卒業証書を手渡す。一人一人証書の全文を読み上げて(「以下同文」と省略することなく)手渡す。主任が一人で全員に手渡すのであれば時間がかかりすぎるが、ゼミごとに分担して手渡すのであれば、そういうことができる。 

  教室内で一人一人の学生とツーショットでの記念撮影をしてから、外に出て、満開の桜の花をバックに記念撮影。


公博、愛海、あすか、利奈、友紀、卒業おめでとう。 


茉伊子、早紀、瑠絵、淑恵、美彩、卒業おめでとう。 


愛美、友里、保奈美、公博(再登場)、大地、瞬也、卒業おめでとう。 


みんな、卒業おめでとう!

  完成した新棟7階の現代人間論系室に行ってみる。広い窓から記念会堂前のたくさんの卒業生や父兄の姿が見える。

   研究室に戻り、「梅花亭」の桜餅と草餅で一服する。

   教員ロビーのメールボックスに同僚の小沼先生の近著『映画に耳を』(DU BOOKS)が入っていた。映画の音楽、映画と音楽について、論じた本だ。ありがとうございます、小沼先生。 

  二文の卒業生のOさんから、これから、研究室に顔を出してもいいですかとメールが届く。 新しい卒業生が巣立つ日に昔の卒業生がやってくるというのは奇遇である。

  彼女は1年生のときの基礎演習の学生で、卒論の指導も担当した。学部卒業後は、一浪して、一ツ橋大学の大学院へ進み、修士号を取ってから、コンサルティングの会社に就職した。就職5年目のバリキャリ(バリバリのキャリアガール)である。

  週休二日の土曜日は疲れ切って一日寝ているが、日曜日は活動的に過ごし、風邪もめったに引かず、ストレスで胃腸の調子が悪くなるということもなく、元気に働いているそうである。心身の基礎体力が強いのだろう。

  研究室でしばらくおしゃべりをして、「五郎八」へ行って、食事をしながらおしゃべりを続けた。話が仕事のことに及ぶと、突然、鞄の中から大きな電卓を取り出して、キーボードを叩き始めた。私も鞄の中に電卓を入れているが、それはカードサイズの小さなもので、それと比べると彼女の電卓は『ガリバー旅行記』に出てくる巨人の国の電卓のように見える。彼女が働いている世界を垣間見た思いがした。     

 

 

  割り箸の袋を折り紙にして即席の箸置きを作るのは学生時代からの彼女の習慣である。それは変っていない。以前、彼女が在学中だったか、浪人中だったか、一緒に「五郎八」に来た時も(当時の「五郎八」は現在とは違う場所にあった)、彼女は今日と同じ鴨せいろを注文したが、上の段の蕎麦を食べ終わって下の段にも蕎麦があることを知って、「あら!」と驚くのも昔と同じである(驚く彼女を見て、昔の記憶が甦ったのである)。人間は、環境の変化に合わせて変っていくが、同時に、変らない面もあるものである。

 

       遠く遠く離れた街で

       元気に暮らしているんだ

       大事なのは変ってくこと

       変わらずにいること

           (槇原敬之『遠く遠く』より)

  卒業式の夜が更けていく。


3月24日(日) 曇り

2013-03-25 07:07:31 | Weblog

 

  5時半、起床。早起きだ。自然に目が覚めてしまう。

  ベーコン&エッグ、トースト、紅茶の朝食。

   3時頃、自宅を出る。5時から大隈ガーデンハウスで現代人間論系の卒業パーティーがあるのだ。蒲田駅の緑の窓口で蒲田⇔早稲田の定期券(3ヶ月)を購入。

  有楽町の「Loft」、銀座の「伊東屋」、丸の内の「丸善」に寄って買物をしてから大学へ。

伊東屋オリジナルの消しゴム付き鉛筆(毎年、卒業の記念にゼミ生に紅白セットでプレゼントしている)

   
丸善で購入した『泣くな、はらちゃん シナリオBOOK』(日本テレビ)

    卒業パーティーの会場である大隈ガーデンハウスに到着したのは開始時刻ギリギリの午後5時。受付係は私のゼミのTさん、Iさん、もう一人のIさん。ゼミ論集の編集係でもあった3人である。

   たくさんの学生が参加していた。

  わがゼミの学生たち。ゼミ3期生である。いうなれば三男三女たちである。歳をとってからの子供ほどかわいいというが、たしかにそういう感じはしなくもない。今後、もしこの調子で下の代になるほどかわいさ度が増していったら、一体、どうなるのであろう。いつか別れの悲しみで頭がおかしくなってしまうのではないか。今日だって、一応、ニコニコしてはいたが、私は悲しかったのである。

  パーティーは1時間半ほどでお開きになる。ゼミの飲み会に誘われたが、それは断って帰る。原稿のこともあるが、明日また卒業式で会うから。

 

  電車の中でゼミ生たちからいただいた写真&メッセージ集に目を通す。ほのぼのと、そして、しんみりとした気持ちになる。

  私の春愁はこれからピークを迎える。


3月23日(土) 曇り

2013-03-24 08:53:56 | Weblog

  8時、起床。ハムトースト+レタスと牛乳の朝食。

  朝食はたいてい一人で食べるが(家族の中で一番遅い)、そのときたいてい飼い猫のはるがテーブルの上にあがってくる。

 

   原稿書き。

  昼食は2時を回った頃、食べに出る。「ムッシュのんのん」のスパゲティナポリタン。食後にコーヒー。

  NHKラジオテキストの一冊、『英語で読む村上春樹』4月号に目を通す。沼野充義が村上春樹の短篇「像の消滅」と「かえるくん、東京を救う」の英訳(ジェイ・ルービン)を1年かけて精読する番組だが、テキストにはその精読部分に加えて、村上春樹の文学をトリビュートする若手作家による創作短篇(今号は淺川継太「通り抜ける」)や研究者・評論家・作家らによる座談会(今号は沼野充義・都甲幸治・古川日出男・石原千秋による座談会)が載っている。この盛りだくさんの内容で590円というのはずいぶんとお得感がある。

   精読では、本文に入る前に、まず「象の消滅」(The Elephant Vanishes)というタイトルに注目する。原作は名詞句だが、英訳では主語+動詞の文、「象が消滅する」になっている。独訳や仏訳もこのスタイルで、露訳は原作タイトルの直訳で名詞句になっているそうだ。vanishmentという名詞は使用頻度が高くなく、硬い感じがあるので、使われなかったのだろう、類義語のdisappearanceなら使用頻度はいくらか高いが、それは「消滅」よりも「失踪」のニュアンスのある言葉なので、この作品には不適切だろう、という説明があった。たしかに「消滅」という言葉は、象が動物園の檻の外に逃げたり連れて行かれたりしたのではなく、この世界から存在そのものが消えてしまったという意味合いで使われているわけだから、vanishでないとならないわけだ。また、単数形elephantに定冠詞theがついていることの意味(「あの動物園にいたその象」という特定の象と、それに留まらず、「象という種類の動物」の消滅が示唆されている)についても説明されている。英語の勉強と文学的考察が同時に行なわれていて、大学の授業みたいだ。

  淺川継太「通り抜ける」は、電車の中で隣に座ってうたた寝をしている知らない女の子の右腕が「ぼく」の左腕とくっついてしまうという話。密着というレベルではなく、本当に合体してしまうのだ。村上春樹風の「奇譚」である。文体も村上春樹風である。私は淺川の他の作品を読んでいないので、これが淺川の普通の文体なのか、一種のパロティなのかはわからない。ただし、もしパロディであるとすれば、「ぼく」は「僕」でないとならないだろう。村上春樹は「ぼく」は使わない。「ぼく」は庄司薫だ。こうした若手作家の創作短篇を毎号載せていく意味は何だろう。企画段階では、毎号、村上春樹本人に新作短篇を寄稿してもらうことを交渉していたのだが、それが頓挫したので、こうなったというわけではまさかないだろう。若い日本の作家たちに村上春樹が与えた影響について考えるということだろうか。「村上春樹のように書く」ということがどういうことであると彼らが認識してるかという点について見るには面白い試みだ。ちなみに淺川の作品には「やれやれ」も技巧的な比喩も使われていない。都市生活者の静謐な孤独と一瞬のふれあいがファンタジックに描かれている点が村上春樹風と感じさせるのだ。

  座談会は今号は前半部分だけ。4人がそれぞれの論点を提示して、興味深かった。

  コーヒー一杯で『英語で読む村上春樹』に目を通すことはできなかったので、「まやんち」へ電話したら空席が一つあってキープしておいてくれるというので、そこで続きを読むことにした。

  先日と同じ桜スイーツ盛り合わせを注文。紅茶はお薦めの東方美人にする。和洋折衷のお菓子に合うとのこと。アイスは溶けてきたら、パウンドケーキにのせて食べると美味しい。これは私流。お行儀が悪いかもしれないので、推奨はいたしません。

  帰宅してメールをチェックすると、ブログの読者の方からのメールが届いていた。面識のない方で、それ自体はたまにあることなのだが、びっくりしたのは同じ町内(西蒲田5丁目)にお住まいの方であること。どちらかというと遠方(ときに海外)にお住まいの方からメールをいただくことが多く、こんな至近の方からのメールは初めてである。その方は小学校(相生小学校)と中学校(御園中学校)が私と同じで、小学校の校歌のことを調べていて、たまたま私のブログの記事にヒットしたのだそうだ。蒲田の街の写真がたくさん載っているので、それをご覧になって、ゴミゴミした猥雑な街だと思っていたけれど新しい発見をした思いがしました、と書かれていた。今日、「ムッシュのんのん」に行ったとき、客がマスターに「蒲田はなんでもある面白い街。この街に住みたい」と言っていたのを聞いた。その話を返信の中に書いたら、「ムッシュのんのん」には何度か行ったことがあり、店内のマリリン・モンローのポスターが印象的でしたとお返事をいただいた。同じ街に住む知らない方とのつがなりが生まれるというのもブログの機能の1つである。

  追記:その方もブログをやられていて、私のブログのことを「わが街、再発見!」という記事に書いて下さったので、リンクを貼っておきます。

  今夜は『泣くな、はらちゃん』の最終回。録画ではなく、リアルタイムで観る。録画してまだ観ていない方はここから先は読まないでください。越前さんははらちゃんと一緒に漫画の世界から現実の世界に戻ってきた。そして、はらちゃんは越前さんの部屋で一泊して(新婚初夜だがその手のことはいたしません)再び漫画の世界に戻る。でも、これで永遠の別れというわけではない。越前さんは以前よりも少しばかり前向きな生き方をするようになり、はらちゃんはこれまでより頻度は落ちるかもしれないが、たまにこちらの世界にやってくるみたいだ。現実の世界の男性と越前さんが新しい恋に落ちる可能性はしばらくないみたいだ。世界と越前さんの関係は劇的には変化しない。でも、決して小さな変化ではない。世界を拒絶していた越前さんが世界と「両思い」(これがこのドラマのキーワードだ)になれるよう、まずは世界に「片思い」をすることから始めようと、その一歩を踏み出すのだ。恋人(はらちゃん)と別れて、恋人への思いを断ち切って、その一歩を踏み出すのではない。恋人に励まされて、支えられて、その一歩を踏み出すのだ。ある意味、現実的で、可能性に富んだエンディングだ。『最高の離婚』のエンディングと共通するところがある。何が最善かはわからないけれど、ベターな道を模索していくということ。われわれと同じである。人生はドラマだ。ただし、それほど劇的ではない。しみじみと味わうべきドラマだ。


3月22日(金) 晴れ

2013-03-22 22:11:02 | Weblog

  8時、起床。肉ジャガかけご飯の朝食。『深夜食堂』第二部第19話に登場する。結婚詐欺師の女が男を騙すときの料理である。つまり家庭料理の代表として使われているわけだ。本当に男の多くが肉ジャガにそんなに弱いのかはひとまずおくとして、ドラマの中では、その結婚詐欺の女が作る肉ジャガは豚肉を使っていて、一般的には牛肉を使うものだと言われて、自分の家は貧乏だったから、肉じゃがもすき焼きも豚肉だったと述懐する(これも男の心理を考えての計算済みの戦略なのである)。

 で、今日の朝、私が食べた肉ジャガは豚肉である。また、私が子どもの頃に食べていたすき焼きも豚肉であった。しんみりとする。

 妻に、「子供の頃、肉じゃがは豚肉だったのか」と聞いたら、「そうね」と言った。「すき焼きもやはり豚肉だったのか」と重ねて聞いたら、「すき焼きはさすがに牛肉だったわ」と言った。さすがに・・・か。ますますしんみりする。

   昼前に母と息子と一緒に墓参りに行く。


鶯谷

  お寺で妹と待ち合わせる。

 

 

  墓参りの後、妹は浅草に買物に行く。われわれ3人は蒲田に戻ってから、「シビタス」でホットケーキの昼食。

  私と息子はソーセージとのセットを注文。少食の母は、ソーセージは付けず、ホットケーキも2枚ではなく1枚で注文する。しかし、注文がちゃんと理解されていなかったようで、母のホットケーキも2枚重ねで出てきた。1枚はアルミホイルで包んでもらって持ち帰る。   

 

  母がホットケーキを食べながら、人生で初めてホットケーキを食べた日のことを話した。それは私が1歳半のときで(昭和30年10月)、父母と私と3人で横浜に遊びに行った日に、山下公園のそばのレストランだったかカフェだったかで、その餡子の挟んでいないどら焼きのようなものを食べたのだそうである。その日のことは私の記憶にはないが、写真が残っている。大きな貨物船のそばで、私は正ちゃん帽をかぶって、たたずんでいる。ホットケーキ自体の写真はない。そうしたものを写真に撮る習慣がなかったのだろう。フィルムは無駄にしてはならなかったし、食事中に料理の写真を撮ることも無作法な行為だったのだろう。 

 

   帰宅してしばらくして、宅配便が届く。『泣くな、はらちゃん』のキャラクターグッズの「はらちゃんノート」が届いたのだ。

  衝動的に大人買い(10冊)してしまったが、さて、このノート、何に使おう。たいてい私の場合、文具に関しては、存在が用途に先立つのである。買ってから何に使うかを考えるのである。

   昨日の『最高の離婚』の最終回。二組の男女とも別れなかった。とりあえず継続ということで終わった。これからもいろいろあると思いますが、よろしくね的な終わり方だった。連続ドラマはひとまず終わる、しかし人生は続く、みたいな。まあ、それはいいですよ、他の終わり方といっても難しかったと思います。でもね、二人を繋ぎとめるものとして一方は子供、他方は飼い猫(ペットは子供の機能的等価物である)が使われていた点が気に入らないわけです。それを使いますか、使っちゃいますか、ええ、有効性は認めますよ(子はかすがい)、でも、反則とまでは言いませんが、ちょっと陳腐なんじゃないですか、と光生(瑛太)の口調を借りて言っておきたい。

  娘の所属する二つの劇団のうちの1つ、「ドラマティック・カンパニー・インハイス」の次回公演の情報です。

   タイトル「光」

   4月13日(土) 15:00、19:00

   4月14日(日) 13:00、16:00、19:00

   場所 吉祥寺櫂スタジオ

   料金 2000円 (学生証提示1500円)

   チケット予約 inhighs_ticket@hotmail.co.jp


3月21日(木) 晴れ

2013-03-22 09:58:34 | Weblog

  8時半、起床。バターライスの朝食。ご飯にバターを置いて、ご飯を被せて少しの間蒸し、醤油をちょっと垂らして、軽く混ぜて食べる。ただそれだけ。わかる人にはわかるだろうが、『深夜食堂』第一部第5話で登場する。『深夜食堂』の第何話がとくに好きかという話になると、私の見聞する範囲では、男性は「第5話 バターライス」、女性は「第7話 タマゴサンド」をあげる人が多い。男はロマンチストで、女はリアリストということか。前者は若き日の恋が長い空白のときを距てて成就する話。後者は若い二人の恋が格差的現実の中で結ばれずに切ない終わりを迎える話。 

  午前中に歯科医院。終わってから、呑川の桜の様子を見に行く。

  てっきり閉店したものと思っていた「梶山ベーカリー」が営業をしていた! なんだかホッとする。

   桜は七分咲きといったところか。川面に花びらはまだ散っていない。今週末が見頃だろう。

   一方、我家の桜はいまが見頃である。道行く人が「きれいですね」と言ってくれるので、母は喜んでいる。 

  昼食は外に食べに出る。ちょうどランチタイムだったので、「まやんち」、「ムッシュのんのん」、「すみっこ」・・・いずれも満席だった。待つか、空いている店に行くしかないが、空いている店には二種類あって、味がいまいちの店と値段が少々高めの店。待つのはいやだし、味がいまいちの店はもっといやだ。ということで「西洋料理SUZUKI」へ行く。本日のランチ(チキンのコンフィーとカニコロッケ)を注文。ドリンクは別注文。コーヒー400円。ただし、食事をした客がコーヒーを注文するとサービスでスイーツが付いてくるので(前回もそうだったのでそう判断する)、コーヒーを頼まない手はない。〆て1900円。平日のランチとしては、ちょっと高いが、とても美味しかった。

 

 

   西口のディープな界隈を散歩して帰る。


池上線の踏み切り

「水タバコあります」に多国籍な街であることを実感する


天ぷら屋が二軒並んでいる


「大本営」! 

    夕方、「まやんち」へ行く。ランチタイムは満席だったが、5時を過ぎるとたいてい座れる(ラストオーダーは6時で、6時半閉店)。カフェの営業を水・木・金・土の週4日から木・金・土の週3日に減らした分、一日あたりの混み具合が増したようである。

   期間限定の桜のスイーツの盛り合わせを注文。桜あん入りで桜の塩漬けがアクセントになっている桜のパウンドケーキ、加賀棒茶で煮出したミルクで作る桜の花びら入りのアイスクリーム、桜のクリームを挟んだ抹茶のマカロン、である。桜尽くしの一日。

   くまざわ書店で以下の本を購入。

     小山清『落穂拾ひ・犬の生活』(ちくま文庫)

     西崎憲『短篇小説日和 英国移植傑作線一1,000』(ちくま文庫)

     小川糸『さようなら、私』(幻冬舎文庫)

     角田美津代ほか『女ともだち』(小学館文庫)

   『ビブリア古書堂の事件手帖』で取り上げられて注目された小山清の作品が新たに文庫化された。「落穂拾ひ」の冒頭の一節。

     「仄聞するところによると、ある老詩人が長い歳月をかけて執筆している日記は嘘の日記だそうである。僕はその話を聞いて、その人の孤独にふれる思いがした。」

   これはブログとの関連でいろいろと考えさせる一節ではなかろうか。ブログにもいろいろなものがあるが、私のブログに関しては、ブログで書かれている内容は、「事実」と「嘘」の間にある。間といっても、ちょうど中間という意味ではなく、あるときは「事実」寄り、あるときは「嘘」寄りである。すべてをありのままに書いているわけではなく、かといって、事実無根の嘘八百を書いているわけでもない。リアルとファンタジーの間に展開する世界だ。