8時、起床。 赤飯、味噌汁、ご飯の朝食。赤飯は母が今日が卒業式の孫のために作ってくれた。早稲田大学も今日が卒業式だ。赤飯を食べて、さあ、大学へ。
10時半から某委員会。
昼食は「SKIPA」に食べに行く。宙太さんに『蒲田Walker』と『大井町Walker』を差し上げる。のんちゃんが今度早稲田のキャンパスに遊び行きたいというので、4月中であれば、新入生だと思われてサークルの勧誘に合うかもしれませんね、と言っておく。彼女は28歳だが、小柄で、かわいらしい人だから、きょろきょろしながら歩いていれば、きっと勧誘されるはずである。のんちゃんもすっかりその気になっている。
日替わり定食(本日は鶏肉のトマトソース煮)。食後にプリント紅茶。
2時半から36号館382A教室で現代人間論系の学位記授与式。私のゼミの学生たち、それから高橋先生(在外)のゼミの学生たち、木村先生(昨年定年退職)のゼミの学生だったEさんに、卒業証書を手渡す。一人一人証書の全文を読み上げて(「以下同文」と省略することなく)手渡す。主任が一人で全員に手渡すのであれば時間がかかりすぎるが、ゼミごとに分担して手渡すのであれば、そういうことができる。
教室内で一人一人の学生とツーショットでの記念撮影をしてから、外に出て、満開の桜の花をバックに記念撮影。
公博、愛海、あすか、利奈、友紀、卒業おめでとう。
茉伊子、早紀、瑠絵、淑恵、美彩、卒業おめでとう。
愛美、友里、保奈美、公博(再登場)、大地、瞬也、卒業おめでとう。
みんな、卒業おめでとう!
完成した新棟7階の現代人間論系室に行ってみる。広い窓から記念会堂前のたくさんの卒業生や父兄の姿が見える。
研究室に戻り、「梅花亭」の桜餅と草餅で一服する。
教員ロビーのメールボックスに同僚の小沼先生の近著『映画に耳を』(DU BOOKS)が入っていた。映画の音楽、映画と音楽について、論じた本だ。ありがとうございます、小沼先生。
二文の卒業生のOさんから、これから、研究室に顔を出してもいいですかとメールが届く。 新しい卒業生が巣立つ日に昔の卒業生がやってくるというのは奇遇である。
彼女は1年生のときの基礎演習の学生で、卒論の指導も担当した。学部卒業後は、一浪して、一ツ橋大学の大学院へ進み、修士号を取ってから、コンサルティングの会社に就職した。就職5年目のバリキャリ(バリバリのキャリアガール)である。
週休二日の土曜日は疲れ切って一日寝ているが、日曜日は活動的に過ごし、風邪もめったに引かず、ストレスで胃腸の調子が悪くなるということもなく、元気に働いているそうである。心身の基礎体力が強いのだろう。
研究室でしばらくおしゃべりをして、「五郎八」へ行って、食事をしながらおしゃべりを続けた。話が仕事のことに及ぶと、突然、鞄の中から大きな電卓を取り出して、キーボードを叩き始めた。私も鞄の中に電卓を入れているが、それはカードサイズの小さなもので、それと比べると彼女の電卓は『ガリバー旅行記』に出てくる巨人の国の電卓のように見える。彼女が働いている世界を垣間見た思いがした。
割り箸の袋を折り紙にして即席の箸置きを作るのは学生時代からの彼女の習慣である。それは変っていない。以前、彼女が在学中だったか、浪人中だったか、一緒に「五郎八」に来た時も(当時の「五郎八」は現在とは違う場所にあった)、彼女は今日と同じ鴨せいろを注文したが、上の段の蕎麦を食べ終わって下の段にも蕎麦があることを知って、「あら!」と驚くのも昔と同じである(驚く彼女を見て、昔の記憶が甦ったのである)。人間は、環境の変化に合わせて変っていくが、同時に、変らない面もあるものである。
遠く遠く離れた街で
元気に暮らしているんだ
大事なのは変ってくこと
変わらずにいること
(槇原敬之『遠く遠く』より)
卒業式の夜が更けていく。