7時、起床。朝食はとらずに7時45分に自宅を出て、大学へ。本日は文学部の入試。
業務関係の書類の入った封筒を鞄に入れてくるのを忘れたことに電車の中で気づく。5日前に文化構想学部の入試業務をやったばかりだから手順は頭の中に入っているのが不幸中の幸いだった。これが逆だったらまずかった。食券は再発行してもらえるだろうか。心配だったので、コンビニでおにぎりを買っていく。でも、再発行してもらえた。
昼食は「たかはし」で生姜焼き定食。6人ほどでテーブルに就いたのだが、後の5人はみな煮魚定食だった。魚好きな人によく見られる傾向としてどれだけ跡形もなく魚を食べるかを競っているところがある。今日のチャンピオンは心理学の豊田先生だった。銀むつだったが、骨まで飲み込んでいるようだった。バキュームカーみたいな方である。
本日の業務は早上がり(2時半まで)。神楽坂で途中下車して、「花」でクリームあんみつを食べる。今日はデジカメも忘れてしまったので、ケータイのカメラで撮る。ここのあんみつはフルーツパフェのようである。バナナ、メロン、パイナップル、苺、蜜柑、林檎、栗、柿、黄桃、杏子が入っている。そして女将さんは本当によくしゃべる。
清閑院で桜餅(道明寺)を、大野屋でアジフライとスコッチエッグを買って帰る。
有楽町のLoftで、4月始まりのほぼ日手帳カズンを購入。カズンを使い始めて4年目になる。
ついでに3月24日の現代人間論系の卒業パーティーのビンゴゲームの景品に4月始まりの手帳を何か購入することにした。ほぼ日手帳もいいが、自分が使うわけでないので、もう少し癖のないものの方がよいかと考え、同じ一日一頁タイプで、最近人気の出てきている、MARK'SのED!Tにする。携帯用としてはほぼ日手帳よりもこちらの方が薄くてスマートである(私もメモ帳として使っている)。使い方がわからないといけないので、公式ガイドッブックも付けておこう。カバーのデザインはいろいろあるが、男子学生に当っても女子学生に当ってもいいようにターコイスブルーを選ぶ。
5時半、帰宅。
夜、『泣くな、はらちゃん』第5話(録画)を観る。漫画の登場人物たちが現実の世界と漫画の世界を往き来する。一見、子供番組みたいだが、そうではない。子供用のTVドラマと決定的に違うのは、現実の世界の現実味である。思うようにならない現実。辛く悲しいことの多い現実。われわれの生きている現実がそこには描かれている。そうした現実味のある現実に漫画の世界との通路を作るとどうなるか、という実験をやっているのが『泣くな、はらちゃん』というドラマである。漫画の登場人物が現実の世界に現れるという時点で拒絶反応を示す人も多いだろう。おそらくそれは学校教育の現場でリアリズムの小説がよい小説であると教えられてきた結果ではないかと思う。ドアを開けたら、そこに羊男が立っていたというような小説は、それを受け入れられる読者と受け入れられない読者(正しくは非読者)の間に垣根を作ってしまうのだ。
でも、私は思うのだが、私たちはみな、目の前の現実だけで生きているわけではなくて、空想や妄想や追憶や希望の中で生きているのではないだろうか。それらを一括して非現実として括ってしまうのは乱暴なやり方で、いや、貧しいやり方で、空想や妄想や追憶や希望がわれわれの生活や人生において果たしている機能を考えるならば(それがなくては生きていけない。少なくとも、生き生きと生きていけない)、それらは現実の一部であると考えるべきではないだろうか。いわゆる現実はもちろん現実の一部だから、そう考えると、われわれは多層的な現実の中で生きているといえるのではないだろか。『泣くな、はらちゃんは』は重層的な現実を生きる女性(麻生久美子)を主人公にしたきわめて「現実的な」ドラマなのである。
昨日の「フィールドノート」で話題にした、私にメールを下さった読者のブログは「書店外商の無常日記」です。ご本人の承諾がとれましたので、リンクを貼っておきます。