9時、起床。
トースト、サラダ、紅茶の朝食。
トーストには昨日アリさんからいただいたルハーブのジャムを付けて食べる。思ったより甘みがある。彼女の住んでいる筑波の業者が製造しているものである。
彼女からはほかに七味唐辛子もいただいた。これも筑波の業者が製造しているものである。アメとムチならぬ、ジャムと唐辛子だ。
窓辺に並ぶハーバリウムの数が増えている。「ほしい」「作りたい」というリクエストが増えているようである。
昼食は妻と「マーボ屋」に食べにいく。
海老と野菜の柚子こしょう炒め。新メニューだ。
私の大好きな牡蠣とカシューナッツの甘辛炒め。これも1月いっぱいくらいかもしれない。
もう一品、ハーフサイズで何か注文したい気分だったが、妻から「昼食はこのくらいにしておきましょう」と釘を刺される。
デザートは杏仁豆腐。
妻はすぐに帰宅し、私は「あるす」に顔を出しに行く。
奥様は新聞を読んでいた。歌舞伎の高麗屋三代襲名(二代目松本白鸚 十代目松本幸四郎 八代目市川染五郎)の記事だったが、元日の新聞である。奥様が注文したコーヒーを淹れている間、私のその新聞を読んだ。「J‐POP平成の名盤30」というタイトルの記事があって、3人の評者がそれを選ぶという趣向だった。小室哲哉の『globe』も取り上げられていた。このときには、まさか彼があんな形で引退表明をするなんて思ってもみなかったろう。平成の終わりと小室の引退、符牒の一致である。
モカ(濃いめで)。
店を出るときに奥様から庭になった夏みかんを3個いただいた。
シャッター通り化した商店街を歩く。
花屋に寄って、仏花を買って帰る。冬は花が長持ちする。年末に買った仏花はまだ萎れてはいないが、そろそろ替え時だろう。
この辺りには三叉路が多い。昔の農道がそのまま道路になったのではないだろうか。
ご近所の3人のご婦人が着物姿で前を歩いている。「婦人会の新年会からのお帰りですか?」と声をかける。そのようである。母も毎年欠かさず出かけていた。「お召し物お似合いですね」というとみなさん嬉しそうに照れていらっしゃる。
帰宅していただきもののぜんざいをお八つに食べる。
夕食は鮭、なます、サラダ、味噌汁、炊き込みご飯。
実は今日は俳句仲間のあゆみさんとNHKホールで開かれるNHK全国俳句大会に行く予定であった。去年は私が入選し、彼女は落選したのだが、今回は逆で、彼女が入選し私は落選した。なので今回は彼女のお供でいくことにしていたのであるが、折あしく、彼女がインフルエンザにかかってしまってしまい、中止になったのである。
ラインで彼女に入選句はどんなものであったのかを聞いてみた。
月走る葉っぱ脱ぎ散らかしながら あゆみ
プロポーズふつうのせりふ山粧ふ あゆみ
3句投稿して、2つ入選したんですね。
「月走る」の句。「月走る」は「突っ走る」と聞こえる。音が似ているからだが、疾走感の漂う句だからということも作用している。走りながら来ているものを脱いでいく。月のストリーキングだ。この月は変態か(笑)。という感想を送ったら、彼女は「ストリーキング」という言葉を初めて聞いたようで、ウィキペディアで調べて、「こんなことしていいんですか?」と聞いてきた。いいわけないでしょ(笑)。
彼女による解説。「家の帰り道に、川に沿って長い並木があるんです。夜、真っ暗ななかで自分が走ると、月も同じスピードで走るんですけど、木々の葉っぱにに埋もれて一瞬見えなくなったり、また飛び出したり、点滅するような感じで猛スピードで付いて来る様子が素敵なんです。ザワザワ降りかかってくる葉っぱを振り落としながら、まんまるの裸で並走してくる月が、無敵な感じでカッコいいんです。」
「プロポーズ」の句。平易で素直な句である。あゆみさんにしては珍しい。紅葉の山に二人で行ったとき、「僕と結婚してください」とふつうに(率直に)プロポーズされたという句ですね。
彼女の解説。「そうです。山梨の昇仙峡という場所で、11月の紅葉真っ只中の時に山登りしたんですけど、そこでプロポーズされました。すっごくありふれた言葉でしたが、素朴な性格の夫なのと、紅葉も天気も、自然という自然がこれ以上ないくらいに美しい日だったので、ふつうの言葉が逆に生きてました(笑)」。
ところで聞くところでは、3句投稿して、2句入選したわけですが、唯一落選したのが実は一番の自信作だったそうですね。それはどんな句だったのですか?
祖母の句帖の消しくずや星月夜 あゆみ
ほほう。
「これ、一番思い入れがあったやつです。」
なまじ思い入れが強いと思いが先行しがちですからね。
「そうなんですよね。ちょっと情景も伝わりづらかったかなと」
たぶん星月夜→星屑で、消しゴムの残り屑をイメージしたんでしょ?
「そこは後からイメージ似ているなあと。偶然だったんですけど。星月夜って銀河系が広がって祖母の生きてる時間に思いをはせたことと合うなあと思って。胸が詰まったんです、その消しくずがひとつ挟まっているのを見て、祖母が生きて感じてきたものに触れた感じがして。今も生きてますけどね。俳句はやめちゃったんです」
思いがあふれているときは俳句より短歌にした方がいいかもしれませんね。たとえば、こんなのどうでしょう、古風ですけど。
月明かり祖母の句帖に挟まれし消しくずひとつ照らしおるかな たかじ
「なるほど!これ、来年投稿しようかな(笑)。大賞獲ったらごめんなさい(笑)。」
ところで今回は俳句だけでなく、短歌の部門にも投稿して、入選したんですよね。どんな歌ですか?
思い出の手袋をしていてほしい君の気持の手掛かりの冬 あゆみ
薄くても美味い酸素の味をしめこの山頂の住人となる あゆみ
こちらも2つ入選ですか。すごいな。
「思い出の」の歌。「手袋」と「手掛かり」、「手」でつながってますね。付き合いがそれなりに長くなって、ちょっと倦怠期のカップルの話かしら? 付き合い始めた頃にプレゼントしたあの手袋を、今日、彼はしてきてくれるかしら、と。
「さすがですね。そんな感じです!でも、倦怠期どころか実際はもう会わなくなってしまった状況です。でも、よく会っていた街に行くことがあると、相手を偶然見かけることもあるかなと思ったりして、その時に、あの手袋をしていたとしたら、気持ちは同じかもしれない、という超オンナっぽくて、言ってて恥ずかしい短歌です。」
なるほど。勉強になります(笑)。
「薄くても」の歌。これは山小屋の主人の歌ですか?
「そのままの意味ではそうなっちゃうかもしれませんが、山小屋の主人の歌ではありません(笑)。」
猿の惑星に不時着した宇宙飛行士の歌?
「先生、面白いですね(笑)。この歌は壮大な暗喩の表現なんです」
自分で「壮大」といってしまっているところに一抹の不安を感じますが、一体どんな暗喩なんでしょうしょう。解説してください。
「はい。息苦しいけれども、そこにいたい。辛いけれども、そこには自分の望むものがある。それが薄くても美味い酸素です。その味を知ってしまってからは、その山頂からの景色で物事を捉えるようになって、それを知らなかった自分とはもう別の世界の住人になったかのように、いまここに住んでいます、みたいな感じす。人から非難されようと、世間体的に生きづらかろうと、自分が美味いと思った酸素を選んでこの場所で暮らしています、ご心配なく、楽しんでいるので、邪魔しないでください、みたいな自分の気持ちです。」
な、なるほど。
「この短歌、いったい誰がどんなふうに理解して入選させてくれたんだろうってびっくりしました。」
やっぱり、山小屋の主人(夫婦)の歌と理解された可能性が高いね(笑)。
・・・そんなおしゃべりをラインでした。もう症状は軽くなったようですね。
(背後の窓から室内に入ってきた)半野良猫のナツが私になついているところを妻が撮った写真。
2時、就寝。