フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月15日(日) 晴れ

2015-11-18 13:54:34 | Weblog

8時、起床。

雨戸を開けると野良猫のなつが餌をもらいに家の中に入ってくる。

本格的な冬を前に体に脂肪を付けようとしているようである。

メロンパン(昨日妻が仕事帰りにデパートで買ってきた)、サラダ(トマト、ベビーリーフ)、紅茶の朝食。

11時に家を出て、神楽坂へ。今日は二月の一度の句会の日。

今日は何かのイベントがあるようである。この街はいつも何かのイベントをやっているような気がする。

句会の場所はいつもの「SKIPA」。

本日の参加者は主催の紀本直美さん、蚕豆さん、恵美子さん、低郎さん、小原さん、私の6名。あゆみさんも参加の予定で投句もされたのだが、今朝、お子さんに蕁麻疹が出て欠席となった。

句会を始める。あゆみさんの作品も含めて21句(7名×3)が今回の対象となる。兼題は「口」。

紀本さんが全部の句を読み上げた後、選考に入る。

一人が3句を選び、「天」=5点、「地」=3点、「人」=1点とする。

各自が自分の選んだ句を申告する。集計の結果、入選句は以下のようになった。それぞれの句についての感想(選んだ理由や選ばなかった理由)が述べられた後で、作者が明らかにされる。

 9点 口遊む(くちずさむ)メロディ見るや息白し  低郎

今回の特選。恵美子さんが天、小原さんが地、蚕豆さんが地を付けた。冬の寒い日、吐く息が白くなるのは見慣れた現象だが、ここではメロディという目に見えないものが可視化されるようだと詠んでいる。恵美子さんはその白い息がさらに音符の形をしているという漫画チックな解釈をしていた。低郎さんは初めての特選で、「ついにここまで来たか・・・」と路上ミュージシャンがメジャーデビューしたような感慨を述べていた(笑)。 

 8点 たい焼きの重みにまかせゆびのあと  あゆみ

蚕豆さんが天、私が地を付けた。ゆびのあとがつく食べ物の代表は桃だと思うが、ここでは冬の季語であるたい焼きをもってきた。あたたかくて甘くて幸せな気分になる。「重みにまかせ」のゆったりとした語感が効いている。

 8点 コスモスに溺れコスモス身を起こす  あゆみ

私が天、恵美子さんが地を付けた。私は一読してこの作品が今回はダントツだと思った。「コスモスに溺れ」で溺れているのが(も)コスモスであることが瞬時にわからないとこの句の良さはわからないと思う。人間や動物がコスモスに溺れているわけではない。コスモスは群生する花である。風が吹くとコスモス同士が絡み合って、コスモスがコスモスに溺れるのである。そして風が止むと絡み合いがほどけて再び身を起こすわけである。秋の風に吹かれるコスモスのそのか細さとしなやかさ。コスモスという言葉の反復、句またがりの技法も効果的である。

 8点 新米をぱくぱくあなたこれがまた  紀本直美

小原さんが天、低郎さんが地を付けた。紀本さんの句に親しんでいる者(私もその一人)にとってはおなじみの「紀本調」であるが、小原さん、低郎さんには新鮮でインパクトが大きかったのではないかと思う。昼食前で空腹であったことも作用しているかもしれない(笑)。

 5点 貴腐ワイン一口祖母は熟柿かな  恵美子

紀本さんが天を付けた。「貴腐」「祖母」「熟柿」というイメージの連関する語を連ねてストーリーを作ったところがポイントの作品。「祖母は熟柿かな」は「祖母は熟柿のようだ」と比喩表現で解釈するのが妥当なのかと思うが、私は、貴腐ワインを一口のんだ祖母が皿にのっている熟柿にも手をのばすという風にも読めると思った。そう感想を述べたら、恵美子さんは貴腐ワインと熟柿は合うそうですよと言った。やっぱり。

 5点 エチレンと嘘で朽葉が匂いけり  恵美子

低郎さんが天を付けた。「エチレン」「嘘」「朽葉」という関連性のない語を組み合わせて作ったシュールな作品。映画のタイトルに「セックスと嘘とビデオテープ」というのがあったのを思い出した。

 4点 満を持して鍋焼きうどんのお出ましだ  たかじ

小原さんが地、紀本さんが人を付けた。夏に冷やし中華があるように、冬には鍋焼きうどんがある。ただし、鍋焼きうどんは夏もメニューには載っている。だから冷やし中華のように、「鍋焼きうどん始めました」という告知は行われない。いつでも食べられるのだけれど、秋も終盤になって、いよいよ鍋焼きうんどの季節到来である。もちろん私は鍋焼きうどんが大好き。鍋焼きうどんを語らせたら一日分のブログになるので、いまは控えておく。

 3点 一の酉孫に残すは航海記  蚕豆

紀本さんが地を付けた。物語を感じさせる句である。「じっちゃんは若いころ、海賊王に俺はなると行って、海へ出たんだ。そこでたくさんの仲間と出会った」・・・そう語るのはルフィーという名の老人である。

 1点 口元に人差し指を立てる秋  たかじ

蚕さんが人を付けた。静かな秋のひと時、ないしょ話をする二人という情景を思い浮かべるだろう。もちろんそれでもよい。しかし、私は一つのファンタジックな仕掛けを用意していた。秋を主語に見立てるのである。つまり口元に人差し指を立てているのは秋なのである。詳しくいうと、秋の子供なのである。秋の子供が人間の子供に交じって隠れん坊をして遊んでいる。秋の子供は人間の子供に見つからないように声を出さずにじっと隠れている。でも、見つかってしまうんですね。その気配で。人間の子供は言う。「ちっちゃい秋見つけた!」

 1点 うらおもてちいさなそのてはつもみじ  恵美子

低郎さんが人を付けた。愛らしい平仮名句であるが、あかちゃんの小さな手をもみじに見たてるというのは平凡である。最初、これはあゆみさんの作品かと勘違いし、自分の子供を詠むときはあゆみさんも比喩が凡庸になるのかと思ったが、恵美子さんの句であった。友人のあゆみさん、あるいは妹さんの子供を詠んだ句であろうか。とすれば贈答句の性格を帯びてくるから、平凡でもよしかな。

 1点 いちょうひらり口のあいてるがま口に  紀本直美

恵美子さんが人を付けた。兼題である「口」を二つ盛り込んだところが見せ場の句。でも、死語とはいわなまでも、「がま口」って言葉をまだ使っている人ってどのくらいいるのだろう。だから無理やり感がある。さらにがま口に落ちてきたイチョウの葉が入るなんてまず確率的にないよね。演出過剰です(笑)。

 1点 夏の日と再会するとき衣替え  小原 

私が人を付けた。こういう生活苦じゃなくて生活句はいいです。与謝蕪村に「お手打ちの夫婦なりしを衣替え」という作品があって、私はそれが好きなんですけど、この小原さんの句はそれほどのドラマを含んでいるわけではない。でも、夏服を仕舞ながら、その服を着た日のことを思い出すというのは小さなドラマを感じさせる。 

句会を終えて、食事。

チキンカレーを注文した人3名、定食を注文した人3名。私は前者。

2時半頃、散会。

次回は1月17日(日)。兼題の漢字は「広」。

帰るみんなと別れ、私はちょっと神楽坂を散歩する。

前に一度入ったことのある高齢者施設に付随するカフェに入る。空いていて、清潔で、おまけに安い。

蒲田に帰ってきて、「phono kafe」に顔を出す。 

あずき茶と、お茶受けに小松菜と長芋のナムル風(左)とごぼうのフリット(右)を注文。

常連客で中学校の家庭科の先生をされているMさんがいらしたので、大原さんを交えてしばらくおしゃべりをする。近々、結婚されるそうである。それはおめでとうございます。生徒はそのことを? いえ、まだ話していません。福山雅治が結婚を発表したときみたいにショックを受ける男子生徒がいるんじゃないですか? ま、まさか。いや、わかりませんよ。

そんな話をしながら「phono kafe」に夜が来る。

夕食はエビとトマトとブロッコリーの炒め物。

「朝イチ」で仕入れた料理法でエビがぷりぷりになっている。美味しい。