おひるね茶家だより

おひるね茶家は終わっちゃいましたが、もうしばらく「たより」は続けたいと思います。
どうぞおつきあいください。

時差ボケおじさん、旧ユーゴ4ケ国へ(4)

2017-07-15 16:22:47 | Weblog
7月4日(火)いい天気
いよいよ最後の1日、みんな元気に出発します。
先ずは、オーストリアとの国境に近いブレッド湖へ向かいます。スロベニアのリゾートの感じです。
リュブリヤーナからは1時間ほどです。

<オジサンのひとりごと>
この旅行の前のオジサンのひそかな期待はこの地域の女性のこと、ルーマニアなど東欧系の情勢のスタイルの良さは知られていますが、旧ユーゴもスラブ系ですから、きっときれいに違いないと・・・。
期待にたがいませんよ、ダンナ。クロアチアの女性はスタイルは抜群にいいのですが、何となく小学生の女の子がそのまま大きくなったみたい。つまりスラリと背は高いけれど、あまりデコボコがありません。
ところが、スロベニアの場合はそのデコボコが素晴らしい。すっきり背筋も伸びてホントに素敵です。おまけにこの暑さ、肌の露出も大胆で、オジサンは何度もフラフラついていきそうになりました。

ブレッド湖は、モーターのついた船はありません。20人ほど乗れる船を船頭さんが人力でこいでくれます。湖の中央の島まで10分ほど、2本のオールを押し漕ぎして進みます。島には教会があります。鐘を鳴らして願い事をしました。オジサンはもちろん家族の健康を祈りましたよ。



お昼はブレッド城の高い台から美しい湖を眺めながら、ワンプレートのランチです。ヌードルスープと牛スネ肉の煮込み、提供されるカタチとしてはこのご飯がいちばんきれいでした。



最期の観光は、ボストイナ鍾乳洞です。最初の10分ほどはトロッコで進みます。10度ほどの低温のなかをビュンビュン走るので寒いのなんのって、もうブルブルです。ダウンやウィンドブレーカーを重ね着して我慢です。その先は、洞窟のなかを1時間ほど歩きます。けっこう高低差があって、きついです。しかし、信じられないほどのスケールの石筍や石柱が次々と現れ、ものすごい迫力です。オジサンは秋吉洞も見たことがないので比較はできませんが、世界でも屈指の鍾乳洞だそうです。写真のようにまるで色の違う石柱もみられます。



ナニはようやく孫のお土産を買いました。今度の旅ではほとんど買い物をすることもなく、お小遣いは食事の時の飲み物代くらいしかかかりません。ワイン好きの方はけっこうお求めになったようです。

リュブリヤーナに帰って、すこし街歩き。この街はいろいろな意味で素敵です。小さな街ですが、お土産屋さんも素敵なデザインのものを売っています。店先で、エプロンにミシンで刺繍したりする職人さんもいます。オジサンたちは朝のミルクティーのためのマグカップを買いました。写真はゴミ箱ですが、このかわいいデザインのもののほか、分別用の大型ごみ箱は地下に収集用のシステムを持っているそうです。



ほんとに小さな首都ですが、街並みもきれいです。



建物のデザインも面白いものがたくさんありました。写真は、オジサンたちの泊まったホテル、水道管のようなパイプで縛られているように見えます。



夕食は、街中のレストランで。メインは鶏のむね肉に野菜を挟んでソテーしたものに何かのソースをからめたものでしたが、シェフのアイディアは空振りだったみたいです。スープはお昼と同じで、コンソメにヌッドルが入っていました。これは無難に美味しいです。

夕食後は、ホテル近くの大型スーパーでお買い物。ナニはチョコレートなど買いましたが、この暑さではちょっと心配です。
さあ、荷造りです。

7月5日(水)最後まで雨は降りませんでした。めでたし!
リュブリヤーナ空港からヘルシンキへ。機内でスロベニアのご夫婦と隣どうしになりました。モスクワなどへのバカンスだそうです。ナニは英語が話せたと大喜びです。奥様の名前を漢字で書いてあげたりしてました。

オジサンは、ヘルシンキの空港で味噌ラーメンを食べました。1500円もします。幸いにして食べられないほどではありませんでした。

<オジサンのひとりごと>
予想通りというか、食べ物は「美味しい」というわけにはいきませんでしたが、それでも民族の多様性もあって、いろいろな食事をすることができました。昨夜のように美味しいものを工夫する気持ちも芽生えているようです。私たち日本人の方が特殊な例外ですものね。
逆に、日本では飲食店のチェーン化が進んで、だんだんオヤジやおかみさんの味、料理人の独特の味が風化しています。食べるほうの味覚や食べ方もびっくりするほど変わってきました。
美味しいものを食べるのがますます難しくなりますね。

7月6日(木)
午前中に名古屋に帰りました。
午後から、おひるねの畑に行きました。きゅうりやトマトがいっぱいです。それより何より草ボーボーです。オジサン、明日からの作業を考えると・・・・・???です。

ながーい、話を聞いていただき、ありがとうございました。

時差ボケオジサン、旧ユーゴ4ケ国へ(3)

2017-07-13 20:19:14 | Weblog
7月2日(日)今日もいい天気
今朝も早い出発、8時にホテルを出発。ひたすら高速道路を走る。

<オジサンのひとりごと>
EUでは、バスは最高速度100Kmに決められているとか、ドライバーは定速にセットして、多少の加減速は手でレバーを操作している。
乗用車などは最高の場合130Km規制なので、次々とバスを追い越していく。それでも、追い越した車はさっと走行車線に戻り、後続の車に追い越し車線を譲る。日本のようにいつまでも追い越し車線を走り続けるオタンチンはいない。
街中でも、横断歩道であれ、どこであれ、横断者がいれば必ず停止してくれる。やはり、車社会としては成熟していることを感じさせる。・・・・・日本では、歩行者を見て停止することは、場合によってちょっとこわいこともある。ほかの車が停まらないケースでは、とても危ない。

今日は、16の湖と滝と渓流が織りなす素晴らしい景色を求めて、プリトヴィッツェ国立公園(世界遺産)を目指しますが、その前に取り敢えず腹ごしらえ、メルルーサのフライです。ウェイターのサービスが素早く気持ちがいい。横の小屋では子豚の丸焼きの真っ最中。お魚料理で良かったです。

 
 
さあ、いよいよ16の湖を巡る前後2時間ずつのトレッキングのスタートです。歩径路は整備されていますが、高低差もあり、道はデコボコだし、ともかく暑いし、オジサンたちはフーフーです。写真のように滝あり、渓流あり、湖あり、魚たちもたくさん。と言っても、言葉で描写することは難しい。中間で20分ほど、渡し船を使ったときは、いい休憩時間になりました。ほっと一息つきました。




最期の30分ほどのころ、どこからか真っ黒のラブラドールみたいな犬くんが現れて、私たちに着かず離れず歩いてくれます。あれ、迷子かなと思った人が多かったのですが、そのうちふっとどこかへ行ってしまいました。どうやら、公園の管理事務所に居ついている(飼われている?)ようです。
事務所の前で休憩してました。カワイイです。


ホテルは、山小屋風、かなり古いようですが、きれいにリフレッシュされていました。いつもよりは早いチェックイン、シャワーを浴びてビール、美味しいです。
夕食は、アスパラのポタージュ、牛肉のきのこ煮込み、珍しくサラダもついて、きちんとしたディナーでした。
向かいの部屋に隣の大きな国の人たちが入って、ちょっと心配。最初はともかく、意外にも静かでした。


7月3日(月)また晴れ。
この日は移動距離が長い。午前中は、内陸の首都・ザグレブを目指します。
内陸に入るにつれて、岩山が姿を消し、トウモロコシ畑や牧草地など緑が増えてきました。それでも変化は少なく、ついウトウトしてしまいます。時差ボケはなかなか解消せず、夜中に目が覚めるとなかなか次の眠りはやってきません。

ザグレブは首都とは言え、とても小さな街。写真の聖母被昇天教会では、最初に砂岩で建築したため風化がひどく、現在ほかの石で改装中とか。ただし、いつ終わるかはわからないらしい。ガイドさんは日本語のできる新人さん。ナニは日本に遊びに来いなどと誘っている。



お昼は市内のレストランで、豪快なミルフィーユカツ。とても食べきれない。珍しくサラダがつき、ガイドさんから廻ってきたゴマドレで美味しくいただきました。お心遣いに感謝です。


お昼からは、いよいよ最後の訪問国、スロベニアを目指してひたすら走ります。

<オジサンのひとりごと>
写真は、途中のガソリンスタンド兼ドライブインに停まっていたクロアチアの白バイとパトカー、お巡りさんがお茶してました。
それはともかく、きれいなデザインじゃありませんか?日本の白黒とは大違いです。
行きかうトラックも塗装はピカピカしているし、デザインは楽しいし、ちょっとびっくりです。日本の塗装に比べると欧州車は透き通るような感じがします。何が違うのでしょうか?
日本に帰って、トラックを見たらみなくすんだような色をしています。デザインも?です。




またまたややこしい国境を越えました。
スロベニアの首都、リュブリヤーナに到着です。詳しくはまた明日のおはなしですが、この国はもっとも西ヨーロッパに近いせいでしょうか、いろいろな意味で洗練されているようです。ホテルは少し郊外にありましたが、ちょっとビジネスホテルのようにスマートでした。
この日、初めて雨が降りましたが、ホテルに着いた後。何よりでした。
晩ごはんは言うほどのことなし。

写真は、緑の増えてきた車窓風景です。


時差ボケオジサン、旧ユーゴ、4ケ国へ(2)

2017-07-12 20:22:50 | Weblog
<オジサンのひとりごと>
昨日は、国境を越えるお話をしました。今日もボスニアヘルツェゴビナへ行きます。さらに複雑になって、往路がクロ→ボス、ボス→クロ、クロ→ボス、帰路がボス→クロと国境通過を繰り返します。クロアチアはボスニアによって40kmほど分断されている。ボスニアとしてはアドリア海への出口を持っていることになる。EUの結成によって、ほとんどなくなっていた国境意識が、イスラム難民問題で復活してしまい、今回のような事態を引き起こしている。トランプの様に国を閉ざすことで安全になると主張する人たちが支持を伸ばす傾向があちこちに広がっていく。とても近視眼的で残念な考え方だと思う。
私たちの周辺でもプライバシーの保護とか、個人情報とかで個人間の隔たりを大きくするのが当然と言う考え方がある。あまり秘密を持つことが好きではないオジサンにはとても悲しいことに思える。

6月30日(金) 晴れ
国境越えに時間がかかることを予測して、予定より早い出発。アドリア海沿いに新しい高速道路を北上する。エメラルドグリーンの海の色が素晴らしい。バルカンの石灰岩台地がどこまでも続く。灌木と白い岩ばかりだ。1時間ほどかけて国境を通過する。いわゆるイミグレーションと同じことが行われる検問もある。
内陸に方向を変えて1時間、ボスニアの古い街、モスタルに着く。
取り敢えず、ここはイスラム教の国、お昼ごはんはトルコ風のケバブチチ、残念ながら写真を撮る前に食べてしまった。美味しかったです。
モスタルの街は、ちょうど馬篭や妻籠のような街並み、しかし石畳の道はつるつるして歩きにくい。街のなかほど、石製の太鼓橋がスタリ-モスト、この橋を挟んでクロアチアとボスニアが戦ったとか、家々の壁にがまだ銃弾の跡がたくさん残っています。独立後は有効の橋の役割を果たしているとか、良かったです。





お土産屋さんも賑わっており、他の街に比べて少し安いようです。ナニは特産の刺繍の入ったブラウスがお気に召したようですが、迷った末にやめました。今でも「買えばよかった」なんて言っています。
ほんとにこの石畳は疲れるね。

3時過ぎ、クロアチアに戻り、夕方スプリットに到着する。ホテルがダウンタウンにあるのはありがたいが、設備が古く。お風呂のお湯も満足に出ない。
夕食はホテルのレストランで、大きなニジマスのフライとあまーいラザニアなど。これはなかなか手強わかったね。



夕食後に、散歩がてらに近くのスーパーに行ってみましたが、欲しいものもお土産になるようなものも見つけられませんでした。

<オジサンのひとりごと>
モスタルには、珍しく物乞いがいる。ゴミ箱にうずくまる(住んでいるように見える)少女、乳飲み子を抱える娘。オジサンは少し人が悪くなったのか「これはおかしいな」と思う。それでもツアー仲間の優しい誰かれはお金を出していた。帰り道、みんなは集まって一服している。やっぱりと思う。別に彼女たちが悪いわけではないだろう。陰で操っている親方がいるに違いない。


7月1日(土)今日も晴れ
朝一番で、スプリット港(クロアチア第二の規模)近くの朝市に出かける。買い物客も観光客も大賑わいだ。さくらんぼが安いと言う情報に釣られて、1KGも買ったら大変な量、早速、ペットボトルの水で洗って食べてみる。水を用意してるのがすごい、アメリカンと日本のものとの中間くらいの味でした。ガイドさんやツアーの皆さんにも食べていただきました。



約2時間のドライブで、クルガ国立公園へ。美しい滝の名所です。滝壺まで200段の階段を降りて、大汗をかくけれど、湿度が低いせいかすぐに汗がひく。滝壺ではなんと泳いでいる。犬も人も、遊泳禁止でないところがすごいですね。



次は1時間かけて、世界遺産、トロギールの街へ。トルコ人に追われたローマ人が、陸地だったところを掘削して、海峡を作ったしまったとか。狭い街に人がいっぱい。火刑にされて殉教した聖ロブロはBBQ用の網を手に持って立っている。海峡には橋が架けられ、今では自由に往来できます。
歩き疲れて食べるアイスクリームは美味しかったよ。でも、どこもそれほど味は変わらない。

スプリットに帰り、港の前のローマ皇帝・ディオレクティアヌスの宮殿、これも世界遺産。しかし、すでに人が住み着いてしまっており、荒れ放題。今なら指定は受けられないだろう。なかでは、ローマ人兵士の姿をしたモデルが有料で撮影の商売をしている。おもてなし武将隊のさきがけかしら。アカペラで歌う4人組の男性ボーカル、クラペも聴きました。
夕食は、白身魚のスープ、美味しくてナニは珍しくお代わりしていました。そのあとのシーフード・リゾットも美味しかったのですが、アサリがジャリジャリしてました。オジサンは同じものを食べ続けることが苦手なので、リゾットを食べきるのに苦労しました。今日もお疲れ、おやすみなさい。

時差ボケおじさん、旧ユーゴ4ケ国へ(1)

2017-07-10 20:22:36 | Weblog
6月28日・火曜日・晴
オジサンとナニは久しぶりに海外旅行に行くことになった。
我らが愛するポッキーとお別れしてから、もう半年、いささか複雑な気持ちではあるがとにかく楽しんできたいものだ。かつて訪ねた東欧の印象が強く、チェコやポーランドが第一希望ではあったけれど、タイミングのあうものがなく、クロアチアなど旧ユーゴスラビア4ケ国を訪ねることになった。
オジサンたちは元気に仲良くフィンランド航空で中継地・ヘルシンキへと旅立ったのである。



いきなりですが、機内食が美味しくなりましたね。オジサンはタラと野菜の煮つけ、ナニはビーフハンバーグ、なんと日本そばもついています。とても美味しかったよ。
しかし、ここで早速大失敗、サービスのつもりでナニのお蕎麦につゆをかけてあげようとして、ナニの白いカーディガンにピュッとかけちゃった。それまでの平穏な空気は一変。数時間つらい時間が続きました。えーい、めげるもんか! でも、オジサンはめげやすいのだ。

10時間ほどのフライトでヘルシンキ空港に到着、でかいハブ空港ではないので、迷子にはなりません。ご存知のように、フィンランドはムーミンの国、ナニは孫にお土産を買おうとして、余りの高さにびっくり。ここは高福祉、高負担の国なのですね。

クロアチアへは、3時間のフライト。ドブロヴニクに到着です。夜9時ごろ。ホテルに到着。少し市街から離れた海岸のリゾートホテルです。新しくて、気持ちのいいホテルでした。
ローカル便は食事が出ないので、オジサンたちは腹ペコ、いきなりカップヌードルです。ちなみに湯沸かし器があったのはここだけです。残り二つは日本に帰ってきました。

さて、オジサンは乗継など自信がないので、今回も団体旅行です。中部空港から22人、関西空港から6人、合計28名とでっかいガイドさんと禿頭のドライバー・イグロさんのチームで
旅をします。

6月29日・水曜日・晴
日本との時差はマイナス7時間(サマータイム)なので、やっぱり夜中に目が覚めてしまう。
それでも、元気に朝ごはん。この国は農地がとても少ないので、野菜がほとんどない。果物とハム・ソーセージなどはまあ美味しい。寝不足にめげることなく、オジサンたちは元気である。空は少し荒れ模様だが、私たちの空気は平穏に戻ったよ。

クロアチアはアドリア海を隔てて、イタリアの対岸、ちょうど像の左横顔の形である。ドブロヴニクはその南の端、つまり鼻の先端に位置する。かつてはローマ人の住むところだったが、スラブ人に追われて、この島に逃げ込み、島を砦と城壁で囲んだとのこと。その後、仲直りしてからは海峡を埋めて陸続きになっている。



その城壁の上を歩くことができる、元気な人たちは一回りしたようだけれど、オジサンたちは暑さのせいもあって、3分の1ほどでギブアップする。オレンジで統一されたきれいな街並みである。1991年から始まった内戦で大きな被害を受けたが、今ではきれいに修復され、たくさんの観光客や陽光を求める人たちでにぎわっている。大きなクルーズ船も来ている。
そう言えば、ヨーロッパではもう夏休みだそうである。夕べのローカル便も北の人たちで満席でした。



お昼は、野菜スープとラザニア、この国の人たちはとても薄味、食材の持つ塩味だけという感じである。あんまりかな?

午後は、もう1つ南の国、モンテネグロへ。いわゆるイスラム問題で、4月から国境検査がとても厳しくなったとのこと、クロアチアの出入国がことのほか厳しく、前後1時間以上かかる。さらに、フェリーで10分ほどだが海をわたって、古都・コトル(?)へ。ここはかつてヴェネチア領で、兵器商が集まる重要地域だったとのこと。オスマントルコの攻撃を防ぐため山頂まで城壁がめぐらされている。


聖トリフォン教会、尖塔以外は創建当時のままとか。

夕方近くなって、ドブロヴニクへの帰路を急ぐが、やっぱり国境越えは大変。道路わきには色とりどりの夾竹桃がいっぱい。広島の被爆地から最初に芽生えたという強い木だ。日本ではあまり好かれないけれど、この暑さと石灰岩の厳しい条件に負けず、見事な花をつけている。立ち葵も見受けるけれど、こちらはあまり元気がない。

ほとんど9時、ようやく夕食だ、魚のすり身にカニみそを加えたようなもの、イカのソテー、ボイルドポテトなど、大慌てのサービスだったけれど、とても美味しかった。塩味もちゃんとついていました。 おやすみなさい。