おひるね茶家だより

おひるね茶家は終わっちゃいましたが、もうしばらく「たより」は続けたいと思います。
どうぞおつきあいください。

時差ボケおじさん、旧ユーゴ4ケ国へ(1)

2017-07-10 20:22:36 | Weblog
6月28日・火曜日・晴
オジサンとナニは久しぶりに海外旅行に行くことになった。
我らが愛するポッキーとお別れしてから、もう半年、いささか複雑な気持ちではあるがとにかく楽しんできたいものだ。かつて訪ねた東欧の印象が強く、チェコやポーランドが第一希望ではあったけれど、タイミングのあうものがなく、クロアチアなど旧ユーゴスラビア4ケ国を訪ねることになった。
オジサンたちは元気に仲良くフィンランド航空で中継地・ヘルシンキへと旅立ったのである。



いきなりですが、機内食が美味しくなりましたね。オジサンはタラと野菜の煮つけ、ナニはビーフハンバーグ、なんと日本そばもついています。とても美味しかったよ。
しかし、ここで早速大失敗、サービスのつもりでナニのお蕎麦につゆをかけてあげようとして、ナニの白いカーディガンにピュッとかけちゃった。それまでの平穏な空気は一変。数時間つらい時間が続きました。えーい、めげるもんか! でも、オジサンはめげやすいのだ。

10時間ほどのフライトでヘルシンキ空港に到着、でかいハブ空港ではないので、迷子にはなりません。ご存知のように、フィンランドはムーミンの国、ナニは孫にお土産を買おうとして、余りの高さにびっくり。ここは高福祉、高負担の国なのですね。

クロアチアへは、3時間のフライト。ドブロヴニクに到着です。夜9時ごろ。ホテルに到着。少し市街から離れた海岸のリゾートホテルです。新しくて、気持ちのいいホテルでした。
ローカル便は食事が出ないので、オジサンたちは腹ペコ、いきなりカップヌードルです。ちなみに湯沸かし器があったのはここだけです。残り二つは日本に帰ってきました。

さて、オジサンは乗継など自信がないので、今回も団体旅行です。中部空港から22人、関西空港から6人、合計28名とでっかいガイドさんと禿頭のドライバー・イグロさんのチームで
旅をします。

6月29日・水曜日・晴
日本との時差はマイナス7時間(サマータイム)なので、やっぱり夜中に目が覚めてしまう。
それでも、元気に朝ごはん。この国は農地がとても少ないので、野菜がほとんどない。果物とハム・ソーセージなどはまあ美味しい。寝不足にめげることなく、オジサンたちは元気である。空は少し荒れ模様だが、私たちの空気は平穏に戻ったよ。

クロアチアはアドリア海を隔てて、イタリアの対岸、ちょうど像の左横顔の形である。ドブロヴニクはその南の端、つまり鼻の先端に位置する。かつてはローマ人の住むところだったが、スラブ人に追われて、この島に逃げ込み、島を砦と城壁で囲んだとのこと。その後、仲直りしてからは海峡を埋めて陸続きになっている。



その城壁の上を歩くことができる、元気な人たちは一回りしたようだけれど、オジサンたちは暑さのせいもあって、3分の1ほどでギブアップする。オレンジで統一されたきれいな街並みである。1991年から始まった内戦で大きな被害を受けたが、今ではきれいに修復され、たくさんの観光客や陽光を求める人たちでにぎわっている。大きなクルーズ船も来ている。
そう言えば、ヨーロッパではもう夏休みだそうである。夕べのローカル便も北の人たちで満席でした。



お昼は、野菜スープとラザニア、この国の人たちはとても薄味、食材の持つ塩味だけという感じである。あんまりかな?

午後は、もう1つ南の国、モンテネグロへ。いわゆるイスラム問題で、4月から国境検査がとても厳しくなったとのこと、クロアチアの出入国がことのほか厳しく、前後1時間以上かかる。さらに、フェリーで10分ほどだが海をわたって、古都・コトル(?)へ。ここはかつてヴェネチア領で、兵器商が集まる重要地域だったとのこと。オスマントルコの攻撃を防ぐため山頂まで城壁がめぐらされている。


聖トリフォン教会、尖塔以外は創建当時のままとか。

夕方近くなって、ドブロヴニクへの帰路を急ぐが、やっぱり国境越えは大変。道路わきには色とりどりの夾竹桃がいっぱい。広島の被爆地から最初に芽生えたという強い木だ。日本ではあまり好かれないけれど、この暑さと石灰岩の厳しい条件に負けず、見事な花をつけている。立ち葵も見受けるけれど、こちらはあまり元気がない。

ほとんど9時、ようやく夕食だ、魚のすり身にカニみそを加えたようなもの、イカのソテー、ボイルドポテトなど、大慌てのサービスだったけれど、とても美味しかった。塩味もちゃんとついていました。 おやすみなさい。