おひるね茶家だより

おひるね茶家は終わっちゃいましたが、もうしばらく「たより」は続けたいと思います。
どうぞおつきあいください。

オジサン、ちょっとビビった。

2020-06-09 13:53:42 | Weblog
先週水曜日の夜、いつものように体温を計ったら、36.9度、オジサンびっくり。
とりあえず解熱剤を飲む。翌日も36.8度。風邪の症状など全くない。
まさか?ちょっと冷や汗が出てきた。

金曜日の朝、保健所に電話する。その程度の熱なら様子を見ろとのつれない返事。
その夜は平熱に戻るが、土曜日と日曜日の夜には37度直前。ああ、気持ち悪い。
気の弱いオジサンはくよくよ考える。

入院となったらきれいなパンツないしとか、読みかけのフーシェはどうしようとか、
つまらないことを考えて、夜中に目が覚める。それにしても、唯一の超濃厚接触者
ナニは平然としている。月曜日の朝は解熱剤を飲んでいないのに平熱に戻る。

この日は、オジサンの心臓を診てくれているニッセキの先生が開業された病院の予
約をしていたので、迷ったけれどもとりあえず出かけることにする。受付で事情を
話して、正式の診察前に先生と話をさせていただく。

先生いわく「急に熱くなったからきっとあなたの体温調節機能が狂ったんでしょう」
「コロナコロナと神経過敏になってはいけません」と・・・・・・。
オジサン、いっぺんに元気になる。

この先生は、ボクに心臓のためのリハビリを勧めてくれた恩人。今のオジサンの体
調の良さはこの先生のおかげ。
元気になって、おひるからは久しぶりに散歩に行き、天白川で鯉ビトと会う。橋の
上からパンくずを投げるとすごい勢いで食べる。
夜には、ナニの大好きなタラのアクアパッツァを作る。これは旨い。ビールも飲ん
でオジサン全快。寝る前にはしばらく控えていたトレーニングも再開する。

というちょっと恥ずかしい?この1週間でした。

今日は元気に畑へ。
初めてモモの袋掛けをしました。なかなかうまくできませんが、これでカナブンか
ら守れるかな?とにかくこれまでいちども完熟のきれいなモモを食べたことがない
のです。1か月後が楽しみです。



久しぶりにりんごもなっています。これも一度も食べたことがありません。
そうだ!りんごにもふくろをかけなけりゃ!



きゅうりの収穫も始まりました。3日も空けるとこんなに大きくなってしまいます。
1日1本食べても間に合いません。トマトやナスはまだまだです。



玉ねぎは大豊作の新タマに続いて、普通のタマネギもデッカク育ちました。こちら
は新タマのようにむしゃむしゃ食べられない。どうしよう?少しばかりご近所に配
りましたが・・・・・。東京に送るには送料のほうが高いし、たまねぎは安いみた
いだし・・・・・。



いつものラーメン話も・・・・
美味しい中華そば、というか高山ラーメンを見つけました。



オジサンの好きなまっくろけです。最初味を見るときにはすこし煮干しのにおいが気
になりますが、煮ているうちに消えてしまいます。チャーシューのタレ(もちろんオ
ジサン手製)をスプーン1杯、煮卵も上手になりました。
ラーメンはトンコツしかたべないというナニが美味しいと言って食べています。

と、そんな感じです。
皆さんも、不順な天候にご注意を。


最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
わかる〜! (のあ)
2020-06-11 10:26:47
自律神経の乱れなのか、
ちょっと体温上がるとびっくりするよね。
何事もなくてよかったです!
私もこれから喘息の病院に行きます。
すごーく混んでるからイヤなのよ…。
畑は豊作で何より。
桃とりんご、虫や鳥につつかれませんように。
うるさく言って申し訳ないけれど
熱中症にはご注意くださいませ。
返信する
ほんとに (おひるねオヤジ)
2020-06-11 12:31:41
どうも音感も温感も狂ってるみたい。
そのことを心にとめて行動しましょう。
今日、ブログで書いたA先生のところで、はじめて
のリハビリでした。スタッフが親切で、楽しそうです。どんなタイミングで日赤から変更するか?
それが問題だね。
返信する
大事に至らず何よりでした (そーだ)
2020-07-04 14:11:06
大変ご無沙汰しております。
千葉からカフェにうかがった日がまだ数カ月前のように感じています。
お体の方、大事に至らずに何よりでした。
本日は一つ気になることがあってご連絡させていただきました。「夏の砦」の冒頭部分いについては佐保子さんの子供時代の体験がベースに
なっていることは有名な話ですが、終盤の自宅が空襲による火災で残念ながら焼失してしまった部分も佐保子さんの子供時代の話がベースになっているということでよろしいのでしょうか?
返信する
遅くなりました (おひるねオヤジ)
2020-07-24 13:24:28
長くブログのチェックをせず、そうださんのコメントを見落としていました。ゴメンナサイ。
空襲で名古屋の家が焼けた話は事実です。永遠のアルカディヤのコメントでも触れたように、名古屋市中区正木町にあった家は、おそらく昭和20年5月19日の空襲で焼失したものと思われます。私がその前、4月におひるねの家に疎開したということなので、その前の3月の空襲ではないと推測されます。佐保子は父と二人で命からがら逃げたと話しておりました。
このブログのとおり、元気に暮らしております。
また学習院などでお目にかかる折がありましたら、ぜひ声をおかけください。
返信する
御多忙のところご回答いただきありがとうございました。 (そーだ)
2020-08-01 13:18:04
やはり佐保子さんの体験談がベースになっているのですね。
実は長年、気になって仕方がないことがあります。
辻文学において戦争がもたらした悲劇については
多くの物語で確認できます。
とはいうものの戦争の悲惨さ、特に太平洋戦争のそれを直接的に描いたシーンというものはほとんど見られず、いわばオブラートに包まれているように長年思えてなりませんでした。
例えば、『洪水の終り』の中で様々な登場人物が長々と戦争体験を述べているのに日本人の私は自分が東京大空襲で両親を失い孤児になったことしか
述べておらず、さらには『ある生涯の七つの場所』の私(第二世代)についてはあれほど年少期から丁寧に人生を描いてきたのに太平洋戦争にて南方で戦死したとの一行で片付けられてしまっています。
『夏の砦』の中には空襲のシーンがありますが、駿が亡くなる際の具体的な描写は見られません。
今までは辻さんの戦争体験の希薄さによるものかと思ってきましたが、最近は戦地に赴いた松本高校の同窓の方々への思いがそこにはあるのではないかと思うようになりました。そのあたりに関連することを辻さんから聞いたことはございませんでしょうか。
返信する

コメントを投稿