おひるね茶家だより

おひるね茶家は終わっちゃいましたが、もうしばらく「たより」は続けたいと思います。
どうぞおつきあいください。

チェコふたたび あこがれのチェスキークルムロフへ(4)

2020-02-09 13:56:24 | Weblog
10月16日(第7日)
ねんn界遺産 プラハ歴史地区>

 プラハ城は9世紀の創建、増改築を繰り返し、様々な建築様式が輻輳する。


 カレル橋からプラハ城を望む。

 制ビート教会でミューシャのステンドグラスを見る。まさに荘厳という感じ、
19の礼拝堂があり、ステンドグラスが日差しに映えて美しい。ものすごい観
光客で写真が撮れない。仕方がないのでとなりのものを?残念!


 ミューシャの隣のステンドグラス。横向きで失礼。

 チェコに来て初めて、少し雨が落ちてきた。黄金の小道で社会見学らしい子供
たちに出会う。色とりどりのレインコートがかわいい。ここで錫製の「しおり」
を買う。



 カレル橋を渡り、フスの像に健康を祈り、ザビエル像に敬意を表する。橋は以
前に比べてずいぶんきれいになった。それにしても、人、人、人。

<豆知識> ヤン・フス 1370年頃の生まれ プラハ大学教授 聖職者
 15世紀の\初めから教会や聖職者の腐敗を糾弾する説教を行い、ローマ公
 教会と対立する。これは、のちにチェコ対オーストリア・ドイツの国家間
 の争いに発展する。結局、1415年の公会議審判でフスは異端とされ、
 火刑に処せられる。その死後も、フス派と公教会の対立は戦争(フス派戦
 争:1419から1436)に発展する。
 19世紀、チェコ国内でフスの再評価の声が高まるが、ようやく1999
 年になって、ローマ法王がフス審判の誤りを認めた。

 旧市街広場で正午、からくり時計を見る。ほんの30秒、あっけないこと。



 お昼は、市庁舎地下のビアレストランで。ビーフシチュウまたはスペアリ
 ブのチョイス。さすがにビールは美味しかった。

午後はフリータイム
 同行のご夫婦のガイドで、4ストラホフ修道院へ。トラムで7~8駅ほど。
 入場料110krもふんだくりながら、哲学の間と神学の間という二つのギャ
 ラリーは外から見(だい日るだけ。13万冊の蔵書を誇る素晴らしい空間なのに、写
 真を撮るだけでさらに50kr出せという、ふんだりけったり。

 旧市街に戻り、からくり時計の前のカフェで一服。ビール99kr、ホットチ
 ョコ95kr。これは観光価格?それとも場所代。
 もう一度、からくり時計を楽しむ。

 二人でバーツラフ広場に向かうが、なかなかたどり着かない。道路が放射状
 になっているうえに、行き止まりが多く、方向音痴には大変だ。知らぬ間に
 市庁舎広場に戻ってしまう。地図とニラメッコしながら、ようやくバールラ
 フ広場に着いた。せっかく買ったトラムの一日乗車券がもったいないので、
 もう一度、行き当たりばったりに乗ってみる。2つ目の駅は郊外電車の駅前
 らしい、きれいな駅舎なので降りてみた。駅ピアノを弾くハンサムボーイが
 いた。後で調べたら、プラハ・マサリク駅?らしい。
 さて、帰り。来た時と同じ<3番>に乗れば、バーツラフ広場に帰るはずが、
 なかなか来ない。他のラインでも帰れるのではないかと・・・。2人目に聞
 いたきれいなお嬢さんが、3つのラインどれでもOK と教えてくれる。 
 よいうやくバーツラフ広場に帰る。ここからと徒歩10分、また地図と首っ
 引きでホテルへ。

 夕食はガイドさんの紹介で、お二人のツアー仲間とイタリアンへ。
 サラダ、前菜、パスタ、リゾットなどお値打ちに頂きました。

 10時前、ホテルに帰り荷造り。
 ボクたちは小さなスーツケース2つだけ。とっても簡単。

10月17日(第8日)
 今日は、ひたすら帰るだけ。
 空港で、サンドイッチとジュース、ナニは絵葉書など買って、コルナを使い切る。
11時35分 ヘルシンキ経由成田へ。

10月18日(第9日)
 9時15分 成田着
 11時35分 セントレア着
 金山まで来て、お昼を食べました。
 ナニはお刺身とさんま、私はカレイの煮つけとキムチうどん。
 13時 帰宅
 夜は、近所のベトコンラーメンへ
 天津飯、ラーメン、ぎょうざ。
 ホントに日本のごはんは美味しいね。

 
 

あけましておめでとうございます

2020-01-05 15:49:29 | Weblog
遅ればせながら、新年のご挨拶です。
今年もボツボツなんやらかんやら書くつもりです。
どうぞよろしくお願いします。

さて、わが家の帰省ラッシュも終わり、今日からまた二人の静かな日常が始まりました。
ナニはさっそくお稽古に出かけ、オジサンはゆっくりシングルライフです。
昨日、冷蔵庫でお正月の残りのかまぼこを見つけました。とかく練り物大好きなオジサン
ですが、とりわけちくわとかまぼこは大好き。さて、どうしたものかと思案するうち、ふ
と思い出しました。皆さんは「木の葉丼」ってご存じですか。

昔、名古屋にはなく、京都に行って初めてその存在を知りました。シイタケとにんじんと
かまぼこを甘辛く煮て、ごはんに載せるだけのシンプルな丼ですが、オジサンにはたまら
ない味でした。その後、名古屋でも見かけるようになりましたが、この頃ではまた絶滅危
惧種のようになっています。

最近、あるお店で見つけたので食べてみたところ、このうどん屋さんもほとんどオーダー
を受けたことがないみたいで、鶏肉や揚げが入って、ちょっと雰囲気の違う木の葉でした。

そんなことで、今日のお昼は木の葉丼、作り始めて、ニンジンがないことに気づき、大慌
てでスーパーに走り、ようやくできました。お煮しめの残りのごぼうやれんこんも入れて
やった。



あー!美味しかった。これならいくらでもご飯が進みます。

新年のご挨拶のはずなのに・・・・・
オジサンも人並みに1年の計を立てようとしています。
1.お習字は次のステップへ
 1年間、基本練習をしたので、次は少しオリジナリティを出して。


 やっぱりタテにはなりません。

2.愚図を脱却すること。
 決断が遅くグズグズばかり、今年は心も脳みそも体もキレをよくして、スパッと。
3.ウエスト82cmを超えないこと。
 ズボンが履けなくなります。
4.少しはいい人になりたい。
 人を褒めることがとにかく下手。ブログでもなかなかいい話が書けない。

人の悪口を言ったり、弱点を責めたりしても、問題が解決しないことは誰もわかっている。
でも、いざとなるとなかなか「いいよ」と言えない。
日韓でも、米中でも、アラブでも・・・・・
ボクのキライな安部さんがイランとアメリカの両天秤で頑張っている。あっちにへらへら、
こっちにへらへら、悔しいけど日本はこれでいいことにしませんか?
八百万の神の国のゴマスリ外交も悪くない?

チェコの続きはまた今度。
今年も毎日を楽しく過ごしましょう。





チェコふたたび あこがれのチェスキークルムロフへ(3)

2019-12-20 20:14:01 | Weblog
10月14日(第5日)
 ブルノの駅前にはトラムが行き交いにぎやか。チェコでは多くの街でトラムが
走っており、たくさんの人が利用しているみたい。トラム大好きのオジサンには
うらやましいかぎり。日本でも、街乗りにはこんなゆるゆるの乗り物が似合うと
思う。
 今日も郊外は霧が出ている。山地にかかって黄葉が美しい。
 <豆知識> コロホビー・オビヤス
 円形の交差点のこと。イギリスのピカデリーサーカスとか有名ですね。
 日本ではなかなか普及しない。

トシェビーチ <世界遺産>ユダヤ人地区と聖プロコのビウスのパシリカ
 イナベラ川に沿ってユダヤ人街がひろがる。教会、学校、病院、工場など集落
の基本機能が備わっている。96の住宅に1400人が暮らした。ユダヤ教の教
会・シナゴークも見る。ユダヤ教には旧約聖書しかない。大きな巻物の聖書が飾
られている。



テルチ
 世界一かわいい町と言われる。大きな二つの池に囲まれている。ザハリアーシ
ュ広場に面して、やはりパステルカラーの家が並んでいる。木製のお土産が多く、
オジサンも芋虫のおもちゃを買う。240コルナ。この旅行でほとんど唯一の買
い物。



 

フルボカ
 チェコでもっとも美しいといわれるお城だけれど、月曜日はお休み。長い坂を
フーフー言いながら登って、外観だけを見る。



 坂の途中の壁にかわいいイラスト。


街の夕景


10月15日(第6日)
 <世界遺産>チェスキークルムロフ歴史地区>
 9時、お城の見学へ
 南チェコの領主、」ロシェベルクの居城。何度も改装を重ねているが、テーブル
や食器など当時の生活をしのぶ品々がたくさん残っている。陶製の大きなストーブ
は裏(部屋の外側)から火を燃やす構造、排煙のえんとつは壁の中を通っているの
で、暖房効果も高く、美観もいい。共産党時代にも破壊を免れ、自由化とともに
修復も進んでいる。
 城そのものの素晴らしさもあるが、ブルダバ川に囲まれた街を、高台のお城から
見下ろすとき、その美しさに息を飲む。世界で最も美しい街と言う評価も納得でき
る。濃いオレンジの屋根、淡いパステルの壁、ブルタバの流れ、黄葉した木々、オ
ジサンの長年の願いもようやく実現できた。
 <豆知識> ライオンはチェコのシンボル
 しっぽの先が二つに分かれていたら、それはチェコのライオン。

街の見取り図 川に囲まれているのがわかる。


街の遠景


 観光客の多さにはちょっと参った。中国からは直行便が4本、韓国からも1本。
東欧圏と思われる観光客も多い。この街の雰囲気をゆっくり味わうのは難しい。
お城などから遠景で楽しむのが正解のようだ。
 
ホラシェビツェ
 とりあえずランチ、キノコとポテトのスープ、ますの塩焼き、美味しい。
 街は菩提樹の広場を囲むように家々が並ぶ。いつものようにかわいいパステル
カラーの農家。家の前には共同の素朴な井戸がる。これは家畜用も兼ねているの
だろう。19世紀、農奴制からようやく解放された農民が南ボヘミア風のバロッ
ク様式に改装した。この時の年代のサインが家々の壁に描かれている。一時はド
イツ領となったが、戦後に返還され、チェコ農民が入植した。


 
プラハへ
 車窓からは牛・馬・羊などの牧場もみかける。このあたり南部地域には池や
湖もあり、風景を楽しむ。
<豆知識> 今年、儀礼用馬車馬の繁殖や訓練の景観が世界遺産に登録された。
 馬の姿をよく見かけるわけがわかった。

 ホテル・マジェスティック・プラザはバーツラフ広場から徒歩10分ほど。
シャワーやバスの使い勝手が悪く、オジサンだけでなくナニまで髪を洗う時、
床をびしょびしょにしてしまった。
 夕食は、旧市街のレストラン、GOGOハブルスカ。魚はスズキ、肉はビー
フのチョイス、あんまりかな?
 夕食後、ホテルのそばのスーパーへ。大好きなリンツノcyコレートを買
ってもらった。

チェスキークロムロフに入るときの記述がどうしても画面に出ない。
書いたスペースに何か問題があるみたい。
場所が違うけれど、ここに再録しておきます。

チェスキークルムロフへ
 ホテル RUSE=ROSEは元イエズス会の寄宿舎だった建物。とてもいいホ
テルだけれど、床はウグイス貼りだ。
 夕食はホテルでビュッフェ。

ホテルの部屋



 

チェコふたたび あこがれのチェスキークルムロフへ(2)

2019-12-18 19:31:53 | Weblog
10月12日(第3日) オロモウツ
 <世界遺産> 聖三位一体像
 昨夜のことはともかく、このホテルのクロワッサンは大きくて美味しかった。
オジサンは2つ食べてお腹がいっぱい。
 ホテルから歩いて市庁舎広場へ。この街の市庁舎には有名なからくり時計が
あるが、改装中で見ることができない。聖三位一体像の前では結婚式の記念撮
影をしている。さらにチェコの国民的歌手(カラール・ユホ)が亡くなったと
とのことで、たくさんのお花やろうそくが供えられている。
 そのまま歩いて、聖バーツラフ教会や聖母マリア教会を見学し、パイプオル
ガンの演奏を生で聴いた。

聖三位一体像 この写真をタテにする方法がわからない。


広場の掃除で活躍するバキュームカー。日本でも木の葉などを集めるのに使われ
ているけれど、大型の掃除機のように吸収するタイプは初めて。
 

クロムニジーシェ
 ちょっと遅めの昼ごはん。ブロッコリーのスープとサーモンのソテー、今日は
比較的食べやすかった。基本的にオジサンはヨーロッパの味付けが苦手、味覚の
違いは仕方がないとあきらめましょう。
<世界遺産> クロムニジーシェの庭園と城
 オロモウツの大司教で領主でもあった人の別荘と宮殿。フランス式庭園が広々
として素晴らしい。春に来れば花々がさぞ美しいことだろう。それにしても、こ
の庭園の木々の手入れは大変だろうと思う。宮殿の調度や備品も豪華だが、16m
の大天井をもつアセンブリーホールが素晴らしい。2階の床が火事で抜け落ちた
ものをそのまま吹き抜けにしたとこと。





 オロモウツに帰り、市庁舎広場のレストランで夕食、キャベツの酢漬けスープ
とポークソテー
 その後、ナニは少し買い物。ホテルに帰ってみると、朝2人分置いた枕銭はそ
のまま。その後、プラハで連泊した時も初日はそのままだった。良心的か。

10月13日(第4日) モラヴィアの丘へ
 霧の中をウイーンに向かう幹線道路をひたすら南下する。少しずつ標高が高く
なるためか、森林やブドウ畑が見えてくる。通りぬける村々は素朴だがm道路と
家の間に植え込みや花壇、毎日を大切に暮らす様子がうかがわれる。用水
池では釣りを楽しむ人の姿も見える。

<豆知識> チェコではおめでたいとき、鯉料理を食べるそうだ。かつて、貴族
 や領主たちは盛んに鯉の養殖をしていたという。

 モラヴィアの丘はとにかく何もない。360度の眺望がひたすら広がる。春、
花の咲くころなら素晴らしい景色が楽しめるだろう。年金生活らしいおじさんた
ちが若い伝書鳩のトレニングをしていた。今も、レースが行われているらしい。

レドニツェ <世界遺産> レドニツェヴァルティツェの文化景観
 レドニツェ城は、13世紀の中頃、リヒテンシュタイン侯の夏の理由として
造営された。教会や温室も付属している。何よりも内部の階段、天井、壁など
木造の部分に施された精緻な彫刻に感動する。日本の職人技に勝るとも劣らな
い。本邸のヴァルティツェ城は外観しか見ていないが、野外劇場も備えている。





 お昼は近くのレストランで、ニンニクのコンソメとチーズやシイタケのフライ
チーズの揚げたのは初めて食べた。これは美味しかったね。
 お城の隣のワインセラー、個人の所有としてはチェコ最古とか。5種類のワイ
ンをテイスティングさせてくれる。ナニはロゼをお買い上げ。これはオジサンも
美味しいと思った。テイスティングのグラスはお持ち帰りOK.。素敵なのでいく
つか頂いてきました。

ブルノ チェコ第2の都市
 中央駅前の老舗ホテル。オジサンたちの部屋は特に立派だったみたい。
 すぐに歩いて市内観光に向かう。市庁舎前の緑の広場、マンホールの蓋にワニ
の飾り物がある。市庁舎に入ると天井にもワニのオブジェ、ワニ=ドラゴンクは
この街のシンボルらしい。市庁舎壁面のオブジェ、中欧の棒状のものの先端が曲
がっている・後に出てくるお尻を出した子供の像とともに設計料を値切られた建
築家の意趣返しらしい。
 聖ペテロ・パウロ教会はコンサートの最中とかで見学できない。少し歩くと自
由の広場、有名な天文時計がある。聖ペテロ・パウロ教会の11時の鐘に合わせ
て、ここから鉄球が落ちてきて、拾ったひとには幸福が訪れるという。この先、
聖ヤコブ教会の向かい側の建物に2階の窓枠にさっきの子供のお尻がある。








 


チェコふたたび あこがれのチェスキークルムロフへ

2019-12-13 14:21:01 | Weblog
20年前、中欧4か国(オーストリア・ハンガリー・チェコスロバキア・ドイツ)を訪ねた。
あれ以来、もう一度と願い続けたチェコ、中でも、あの時行けなかったチェスキークルムロフ
ようやく実現した旅に胸が躍る。

10月10日(第1日)
 今回の旅は成田発、早朝に家を出て、中部空子から成田、そしてヘルシンキへ。
 今日もフィンエアーは満席、この頃の航空会社って稼いでるね。
 楽しみにしている機内食、搭乗1時間で早速ランチ。温野菜のついたハンバーグ・カレー、
美味しかった。お腹がすいていて、珍しくパンまで食べてしまった。問題の日本そばも・・
フィニッシュ・ビールはちょっと苦い。

 なかなか眠れない。映画もあまり面白いのが見つからない。
 次は、ヘルシンキ到着前のごはん、これもランチ?(時差-6時間) 今度はエビチャー
ハン、フィンエアーの食事は前のほうが良かったな。

 ところで、フィンランド人(形容詞も)はフィニッシュ。なんだかFINISHみたい。Nが1つ
多いけど。ちょっとかわいそうじゃない?

 3時ごろ、ヘルシンキ着。夕方、プラハ着。 8時前にホテルに入る。
夕食を食べるタイミングがなく、カップヌードルも持って行かなかったので・・・ホテルには
湯沸し器がないという情報で、中止。大きな荷物の人のなかには湯沸し器持参という方も。
オジサンびっくり。・・・・・そして、実際にはすべてのホテルに湯沸し器があった。
JTBの現地情報不足は、これだけではなく、オジサンはかなり不満。これだけが不満。
残り物のパンやクッキーをかじって飢えをしのぐ。(?)
このホテル・クラウン・コングレス・プラハはとても立派。部屋も大きく、ベッドもダブルが
2つ。感激。

10月11日(第2日)
 朝のビュッフェはどのホテルの大差ない。味も大差ない。
クロワッサン、サラダ、スクランブルエッグ、ソーセージ、果物、ジュース、コーヒーとオジ
サンもワンパターンだ。やっぱり、日本の和洋混合のビュッフェが好き。
 ところで、去年の秋からずーっとおかしかったお腹が治った。お医者さんの診断は「ストレ
ス性大腸炎」。おひるね茶家のクローズや家の処分という難題がプレッシャーになった?
薬を飲んでも。ビフィズス菌でも何の効果もなかったのにチェコに来たとたんにケロッと治っ
た。オジサンにはチェコの水が合うのかしら。生水は一滴も飲んでないけど・・・。

クトナーホラ <WH>聖バルボラ教会の歴史地区とセドレツの聖マリア教会
 最初の訪問地。オジサンには、教会はどこも同じに見える。ただ、セドレツの遺骨堂は・・
東ヨーロッパ各地から4万体の人骨を集めて、オブジェを作っている。著名な人の作品という
が、ちょっと趣味が悪くありませんか。
 高台から見下ろすクトナーホラの街は美しい。チェコはどこでも同じだけれど、赤い屋根と
パステルカラーの壁がとても素敵だ。
 昼食は、ヌードルの入ったコンソメスープは美味しかった。カモのまるごとローストはちょ
っと持て余した。
 JTBさんは、すべての食事にお水をつけてくれている。とてもありがたい。ボクたちはお
かげでほとんど水を買わずにすんだ。

セドレツ納骨堂の内部


クトナーホラの街


リトミッシェル <WH>リトミッシェル城
 ここはスメタナのふるさと、広場に銅像が立ち、スメタナハウスという記念館もある。(改装工事中)
リトミッシェル城は16世紀貴族の宮殿、スグラフィート(白しっくいに色しっくいを重ね塗
りして、掻き落とす)で描かれた壁面が美しい。芝生の広場には現代彫刻が展示されている。







オモロウツへ 今夜の宿泊地。
 ホテルでの夕食のとき、ウェイトレスがジュース瓶を落として割る。ツアー仲間の女性の
洋服が濡れてるのに知らん顔。謝りもしなければ、タオルも持ってこない。オジサンはちょ
っとむっとして大きな声を出してしまう。結局、掃除の専門スタッフが来るまでほったらか
し。シンジラレナイ!
 翌朝、出発前にマネージャーらしき人物がお詫びのワイン。
共産時代の名残かしら?他ではきちんとサービスしてくれたから、この職場だけの問題だと
思うけど。
                             ちょっと疲れたので・・・つづく。  

 


初めて?の奈良

2019-11-12 20:11:48 | Weblog
ほんとにおひさしぶりです。
おじさん、ますますボーっとしてきましたがとりあえず元気に生きています。

さて、この土曜日と日曜日、奈良に行ってきました。
なんと、オジサンは奈良に行ったことがありません。
あんまり、お寺に興味がないから???

奈良って行きにくいですね。近鉄もJRも乗り換えが多いし、直行バスは満席だし、
しかたなく新幹線で京都へ、大和路快速で48分です。京都駅で超満員にはびっ
くり。奈良ってすごいんだと思ったら、たくさんの人が伏見稲荷で降りちゃいま
した。

それでも「正倉院展」が終わりに近く、よく混んでいるようです。
JR駅前からぶらぶら歩いて猿沢の池と興福寺へ、特に興味が持てなかったので、
飛ばして、これは「奈良国立博物館」、正倉院展には長蛇の列です。いったいど
れほど待つのでしょうか?



ということで、正倉院展もパスして、東大寺へ。

山門に向かう人たちがいっぱいです。



日曜日にも前を通りましたが、もっとすごい人でしたよ。
そして、大仏様にも、広目天や多聞天にもお目にかかりました。
オジサンは何となくこういう像のほうが好きかな。
仏さまが寝ています。努力しましたが起きてくれません。







そして、今回の目的の1つだった奈良ホテルへ。



素敵ですね。
残念ながら、ここには泊まれません。
お茶だけしてきました。
大きな声では言えませんが、ホテルブレンドのコーヒーは止めといたほうがいいです。

ここから「ならまち」(古い町並みが残る)を少し歩いてみました。
これもあんまりです。

日曜日は、バスで唐招提寺へ。
オジサンには特に好きなお坊さんがいるわけではありませんが、鑑真和上だけはすごいと
思います。御影だけはきちんと拝んできました。



平成の大修理の後ですが、ピカピカになっておらず良かったです。
そして、この苔のお庭が素敵でした。紅葉の始まった木々と木漏れ日が美しい。



庭守の方が丁寧に一礼して山門を出て行かれる姿にも感激して、僕たちも頭を下げました。

奈良市内にもどって、唐招提寺は行きと帰りでバス乗り場が違います。・・・と教えてくだ
さる方があり、ぶじに帰れました。

最後に尋ねたのは、「志賀直哉邸」。彼自身のアイディアを生かして設計した家とか。



自分の書斎はもちろん、子供部屋やサロン風のスペースもたっぷりあって、とても明治の
個人住宅とは思えません。たくさんの文人仲間が集ったのが理解できます。
春日大社の南側のこのあたりは立派な個人住宅がたくさんあるようです。

帰りは、バスの席もとれて、ゆっくり帰ってきました。よく歩いて疲れましたが、まあ
まあ楽しい旅でした。

この街、大きなお寺はたくさんありますが、街そのものはあまり魅力がありません。
ちょっと残念ですね。

追伸 実は10月にチェコに行ってきました。
レポートにはまだ手が付けられません。何時になることか?

少年のように

2019-07-13 14:52:02 | Weblog
おひさしぶりです。
オジサン、元気です。

6月の終わり、今年も学習院大学で辻邦生関連の講演会がありました。
名古屋大学で佐保子の教え子だったかたの、邦生と佐保子のややプライベートな面にも触れる
お話と作家(元東大教授)の松浦寿輝さんのいわば「辻小説入門」といった感じのお話、どち
らも面白く楽しく聞かせていただきました。

まことに申し訳ないことにオジサンはこの高名なの芥川賞作家の作品を読んだことがありませ
ん。お話を伺う前に読んでおこうとも思ったのですが、どうも手におえない感じで、あきらめ
ていました。

<中断> セミが天井にぶつかってバタバタしている。かわいそうなので捕まえて逃がしてや
りました。長い棒を目の前に差し出したら上手に乗っかて来た。立派なクマゼミです。オジサ
ンたちの子供のころ、田舎では「ゴリンバサマ」と言っていました。

講演当日、学習院の即売コーナーで一番安い文庫本を、いわば渡世の義理で買いました。
いやいや、皆さん、これが大ヒット、アニメにもなって知る人ぞ知るお話のようです。

「川の光」 工事のために住処を奪われたネズミの親子(お父さんと男の子2人)が新しい住
処を求めて旅をするお話。これがほんとにおもしろい。何度も何度も危機を乗り越える、ハラ
ハラドキドキの連続です。オジサンなどもう泣きそうでした。講演で拝見した松浦先生優しそ
うなのお顔を思い浮かべてあの先生ならの「悪いようにはしないよ」と言い聞かせながら読み
終えました。

オジサンがカワイイ少年だったころ読んだ「15少年漂流記」や「ハックルベリー・フィンの
冒険」みたいです。「背教者ユリアヌス」もそうですね。

この本にはまだ続編があり、一昨日丸善に行って買おうと思い、出かける寸前に東京のガール
フレンド(失礼な)からこれが届きました。とってもラッキーです。
また、半べそで読んでいます。ありがとうございます。

さて、1999ねん7月に邦生が無くなって20年、6月の「永遠のアルカディアへ」(中央公
論新社)に始まって、「物語の海へ・辻邦生自作を語る」(中央公論新社)、「若き日と文学と」
(完全版・中公文庫)と続きます。

そして、7月19日(金曜日)には、NHKBSプレミアム・美の壺スペシャルで軽井沢の辻山
荘が取り上げられるみたいです。ひょっとしたら木村多江さんが来たりして・・・・・・。
9月と10月の山荘見学はもういっぱいとか。せめてテレビでご覧ください。
時間? 夜7時30分から」9時まで です。

畑のお野菜美味しいです。ナスのトマトソーススパゲッティ、上手になりました。

 


ナニの居ぬ間に・・・・

2019-05-08 16:31:41 | Weblog
今夜は珍しくナニはお出かけ、こんな時、オジサンは「さて、何を食べるか?」と考える。
いつもはほとんど「考える」なんてことはないので、こんなことでも3日ほど考えている。

どうでもいいけど、この前「考えるとは・・・」という哲学の先生の本があったので、こ
れでオジサンも考えることができるようになる・・・と意気込んで買ってみたけれど、結
局「哲学対話の方法」みたいな内容で、タイトルとは大違い。つまり、オジサンはいまだ
に「考える」ってどういうふうに脳みそを使うのかよくわからないままである。

お昼ならラーメンとか、味噌煮込みとか考えられるけど、夜となるとこれはと思うものが
ない。近くにあるのはとんかつかうなぎくらい。あまりそそられない。

よし、たまには自分でステーキでも焼くか! 大枚1000円の肉を自腹で買ってきまし
た。きっとおいしいに違いない。
3枚に切れているので、「おろしポンズ」と「わさびしょうゆ」と「甘辛にんにくダレ」
で食べます。

早く食べたいな。いま、4時50分、ナニは5時半には出かけるそうです。みそ汁は完成
しているし、副菜の「切り干し大根」「おから」「きぬさやとこんにゃくのピリ辛」も作
ったたし・・・・・。
あとは、肉を焼くだけ!

さて、今月の25日、東京で辻佐保子基金の美術史講演会があります。内容はほとんど理
解できるはずもありませんが、渡世の義理と東京行きたさで出かけることにしました。
いま、子供たちとお昼をどこで食べるかラインが飛び交っています。

たまに東京の空気を吸うのは楽しみです。

オジサンは体調も良く、元気です。

<追伸>
お肉はとてもおいしゅうございました。
申し訳けに、ナニのために二切れ残しておきます。

大腸検査のこと

2019-03-20 15:52:40 | Weblog
今日は暖かいですね。各地で20度を超え、桜は長崎県が一番乗りだったとか。
とにかく気持ちのいい日です。

我が家でも、あんずの花が満開になり、すももも咲き始めています。あんずは少し遅く、
すももは少し早い感じでしょうか。今年もたくさん実をつけることでしょう。



中之郷の畑でも梅が終わり、もうじきモモが花をつけます。しばらくほっておいた畑です
が、そろそろ草取りも始めないといけません。

何もしなくてもいい毎日にちょっと飽きてきましたし、いつもオジサンが家にいるとナニ
のナニもナンなので、週に一度くらいは草取りに出かけようかと思うこのごろです。


去年の暮れごろからなんだかおなかの調子が悪く・・・前にも書いたようにピロリ菌の退
治をしてから、ずっと快食快便が続いてたのですが、入れるほうは何でもないのに、出る
ほうの具合がよくない。なかなか回復しないので、ご近所の胃腸得意の先生に診てもらい
ました。

診断は「ストレス性大腸炎」、かわいそうにオジサンの大腸も苦労してたんですね。オジ
サンはストレスが消化器ににくるタイプのようです。この際に前から受けたいと思ってい
た大腸の内視鏡検査をうけることにしたのです。

昨日のお昼、ようやく検査が終わりました。先生曰く「きれいな腸ですね」、オジサンは
生まれて初めて身体の一部をきれいとほめられて、どうしたらいいんだか。
ただ、先生がこんなにきれいなんだから見てみろ、とかこれが小腸の開口部だから、カメ
ラが大腸の一番奥まで届いているのを確認しろとか大変。
「早く終わって!!」

小さなポリープが1つだけあったとか、簡単に切除して終わりました。
この検査、なかなか難しいとか、痛みがあるとかいわれてますが、まったくそんなことは
なく、先生がけっこう自慢みたいでした。イグノーベル賞でも話題になったように、かな
り苦痛を伴うということなので、やっぱり上手なんでしょう。
 ご町内のT先生です。 宣伝しておくと言いましたので・・・・・。

腸を空っぽにしたせいでしょうか、おなかがとても軽く気持ちがいいです、いつもの散歩
も快適でした。天白川沿いの公園には馬酔木がいっぱい咲いていました。

というわけで、オジサンはちょっと退屈しています。
 お習字、ちょっと上達しました。

隷書体が消えた

2019-02-07 20:00:01 | Weblog
オジサンはサラサラと達筆な人にあこがれている。
あくまでサラサラである。
オジサンはもともと看板得意だから、ゆっくり読みやすい字を書くことには
自信がある。しかし、手紙やノート、メモなどにきれいな文字をバランスよ
く連ねる人を見るととてもうらやましくなる。
昔から、字の上手な人は賢く見えるというでしょ、オジサンもそうなりたい
のです。

というわけで、去年の初めごろから、小学生の国語のノートに、1日数行ずつ
文字を書き連ねて、練習している。そして、そのときの書体が隷書体である。
決してサラサラ書ける書体ではないけれど、とりあえず大好きである。
お習字でいう隷書は難しいので、自分で文章を入力して、それを隷書体でプリ
ントしてお手本にしている。

今のお手本に飽きたので、昨日新しいものを作ろうとしました。辻邦夫のエッ
セイなどちょうどいいので、数行入力してフト見ると、「アラッ、隷書がない。
いくら探してもない。新しいオフィスには隷書という書体がありません。

オジサンは確かに、ヘソは曲がっているし、少数派だとは思っていたけれど、
書体までこんな悲惨な目に合うとは「シンジラレナイ!」
ほとんどの挨拶状や文章はすべてこの書体だったのに、オジサンはどうすれ
ばいいの?

そして、この1月から、もう1つ始めたよ。…お習字!!
子供のころからお習字は苦手、書初めの宿題はお袋の手本を下敷きにして、
丸写し、高校の習字の時間は出席の返事だけしてドロン、部室にこもって、
クラブのことばかり考えていた。
で、こちらは上手な字を書きたいというよりも、何か手を動かすことがし
たかった。

時間がある日は、4~50分、机に座っている。ゆっくり墨をすり、筆を動
かす時間も悪くない。
ところが、とにかく下手というか、線がきたないというか。どうしてこうも
思うようにならないんでしょう。
それでも、ナニに「上手になったよ」なんておだてられて、もう1ケ月が過
ぎました。
やっぱり、基本の筆使いくらいは習いに行かないとダメかなと思うこの頃で
す。

暖かかったり、寒かったり、どうぞお元気で。