雨が降り続いて外に出て行けない。炬燵の中に居る。万葉集を紐解く。珍しく挽歌を取り上げてみる。死者と生者。人は二つの生き様を生き分けることになる。死者はしかし、生者の化身(けしん)、変化身(へんげしん)である。わたしはそういうふうに思うことがある。
*
次の二首は姉が弟を悼んで作った歌である。前回ここに取り上げた相聞歌の大津の皇子が、あろうことは親友に密告されて国家反逆罪と問われ、自害した。
*
うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)とわが見む
磯の上に生(お)ふる馬酔木(あしび)を手折らめど見すべき君がありと言わなくに
*
どちらも大来皇女の挽歌、悼歌である。大来皇女は大津の皇子の姉にあたる。二人とも天武天皇の子。686年、天武天皇が崩御された。その年に、大津の皇子は密告されて国家反逆罪を問われてしまう。捕縛されて自害して果てた。享年二四歳。二上山に廟がある。
*
「うつそみ」は「うつせみ」に等しく「うつし世を生きる臣(おみ)」、この世を生きている者。現世を指すこともある。
わたしはまだこの世を生きています。あなたは死んで二上山に葬られました。これからさきは山があなたです。弟よ、ああ弟よ。あなたは雲に聳えるほどの崇高な山になっておられるのですね。
谿沿いの荒磯の見えるところに馬酔木の花が今を盛りに小さくかわいく咲いています。これを手折ってしまおうとしましたが、わたしの手はそこで止まってしまいました。見せるべき人はもうここにはいないということが分かったからです。
二上山は現在では「にじょうさん」と呼ばれているらしい。