外は雪が降り出しています。ちらちらちらと降っています。綿雪です。わたしはわたしの死後のことを考えています。死後を考えることは出来るのです。わたしはわたしの都合のいい考え方をして進めていきます。
1
死後1年、10年、100年、1000年経ったら? そんなことを考えます。わたしの死後の話です。わたしの肉体は死滅してありませんが、わたしは存在していると思います。たぶん、場所を移動していると思います。まあ、引っ越しのようなものです。
2
でも、こちらにもちょくちょく訪れています。物質ではなくなっていますから、移動が簡単なのです。光や音が届いているのに似ています。
3
無色無形なのですが、わたしは思い考えることが出来ます。「我思う故に我あり」はここでもしっかり成立しています。わたしは意思そのものです。それがとても優れた働きをしますから「霊」とも呼ばれています。「霊」はもともと形容詞で「スグレテイル」ことを表します。
4
わたしは懐かしんでいます。生きていた日々を懐かしんでいます。そして、「あんなことをすればよかった」だとか「こんなことはすべきではなかったなあ」などと口走っています。生きている内にしか出来ないことがたうさんたくさんあったことに、ようやく気付いています。
5
死後になると、わずかに賢者になっているみたいです。真理を見通せる目を授かっているようです。目は見えない目です。形のない目です。でもよおく見えます。核心を掴めます。ここでもガイド(指導者)がついていてくれているようです。
6
なによりかにより、わたしは明るく温かい発想が出来るようになっています。だから表情がおだやかです。にっこりしていてやさしいです。安定しています。ここでなら100年1000年も厭わないなあと思えます。
7
でもときどきふらりと生きていたところへ立ち戻ってきます。レベルアップしているのでそれを生かしたくなっています。仏教でいう還相廻向(かんそうえこう)です。還流して戻って来て、身についた功徳(くどく・利便性・利益)を廻向する立場に変化しています。「廻向」とは「廻し向けること」です。
8
分かり易く現代流に表現するとわたしは天使の羽を広げています。天使の心を持っています。ガイドができます。保護者になっています。苦しみにあえぐ段階にいる人々を助け上げようとします。守ろうとします。導こうとします。その数が一人二人ではありませんから、けっこうこれで忙しくなります。「ハイヤーセルフ(より進化向上した自分自身)」とも呼ばれています。
9
でも、これにもある一定の期間があります。わたしは次の段階へ進んで行かねばなりません。わたしの進歩向上の旅は続いているのです。旅が続くたびに、わたしは立ち寄った国々で仏陀が説かれた法華経を説いています。阿弥陀経や理趣経も説いています。つまり化仏(けぶつ)しているのです。仏陀に代わって仏法を説いているのですから。
10
わたしの明るさ・明度は、行く先々の地上でのエスケイプ活動によって数段階アップしています。輝きが増しています。わたしの肉体の死後1000年、わたしの輝きはほぼもう大陽と同じくらいになっていますから、直接目では見られなくなっています。だから、わたしがそこにいても、そこにいることは確かめられません。
*
ふふ。ふふふ。ね、都合のいい発想のトロッコ列車だったでしょ。このトロッコ列車を押してくれている者がいます。かすかにほのかに翼が見えます。キリスト教流に表現すればエンジェル(天使)のような、そういう白い、雪のように白い、淡々(あわあわ)とした翼です。