<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

これまでわたしの一部だったものが消える

2017年12月17日 23時40分39秒 | Weblog

第1回目のダム放水。小さなダム湖だ。

洋式に座して済ますと負担は少ない。立ったままよりは楽だ。どっかり座る。立つとき座るときは専用手摺りに掴まる。これで動作が緩やかになる。うまくしてある。

そこには本棚もあって眼鏡も添えてある。数ページが読める。この頃は専ら童話集をひもといている。案外楽しい。子どもに帰ったようで新鮮な感動がある。

丸出しのお尻が冷える。洋式放水はここが欠点だ。ほっそり細くなっている麻痺の足の、足の付け根あたりをシゲシゲ眺めることになる。可哀想になる。この大きさで体重を支えているのかと可哀想になる。

放水が終わるとそれだけ軽くなる。当たり前だけど防水はみな水分である。固形物ではない。透明で澄み切っている。これにも感心する。腎臓や膀胱などの消化器官の尽力のお陰だ。

お礼を言いたくなる。有難う有難うを言いたくなる。言う。温かい。湯気が立つ。ボタンを押す。忽ち流れて消える。これまでわたしの一部だったものが消える。

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干し柿が出来上がった まあまあおいしい

2017年12月17日 14時06分14秒 | Weblog

2時を回った。遅遅逡巡ばっかりしていると日が暮れてしまうぞ。そうやって自分を鼓舞する。よし、出ていこう。畑へ出て行こう。

家内が2階のベランダの干し柿を一棹下ろしてきた。最初に剥いた渋柿だ。期間はかなり経っている。「もう食べられそうですよ」という。食べてみる。1%くらいは渋みが残っているが、ほぼ大丈夫だ。一棹に16個を結んでいる。どれも小さいのばかりだが。家庭菜園の野菜類と一緒に、東京の孫たちに送ってやると家内は張り切りだした。

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覚悟を入れると免疫効果が現れるようだが

2017年12月17日 13時54分59秒 | Weblog

出ていったら出ていったで、体が覚悟するんだろうねえ。結局、そこでも仕事を遣り過ごす。

家の中に閉じ籠もっていたときに不安がっていたように悲惨にはならない。体を動かしていると却って、思いの外に火照る、そういう時もある。

覚悟というのは、そうすると、偉大だね。偉大な免疫効果を示して見せる。風邪も引かない。

覚悟というのは、お相撲さんたちが土俵上で、顔をバチンと平手打ちして鋭く気合いを入れるようなもんだろうかね。あんなに激しくはない。もっと安っぽくい。もっと薄っぺらだ。

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煩悩の火事場のような処に分け入って行く

2017年12月17日 13時45分01秒 | Weblog

山頭火分け入る青の深けれど我が眼に見れば火の燃え盛る     薬王華蔵

「分け入っても分け入っても青い山」と山頭火は歌った。これが下地にある。青い湖のような山、山の全体に山頭火は吸いこまれて行った。

俗物のわたしはどうだ。目指して行くところはそんなに静かにはしていない。火が燃え盛っている。そういう山の、全体の、煩悩の火事場のようなところに分け入って行く。

まあ、山頭火の山の季節は夏だったかも知れない。わたしの直面しているのは秋だ。山には紅葉が赤く燃え盛ってもいる。

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日は照ったり翳ったりしている 翳ると寒い

2017年12月17日 13時31分02秒 | Weblog

日は照ったり翳ったりしている。日が照っているときは、手袋やマフラーを外したくなるが、翳ると途端に寒さが戻ってくる。首をすくめて縮み上がる。天候が不安定だ。風も止まない。庭の南天の葉っぱがちらちら騒ぐ。農作業着に着替えはしたが、出て行くには勇気が要る。まだその勇気が手提げ袋一杯になっていない。畑に立てばするべきことは沢山見つかる。あれにもこれもにも手を出したくなる。そのうち日暮れが来てしまう。いつもこんな感じだ。こんな暮らしでいいんだものなあ。楽だよなあ。ままごと遊びの土弄(いじ)りにかかってもいい、かからなくてもいい。気紛れでいい。

洗濯物の下着類がベランダに吹いて来る風にひらひら舞っている。寒くないんだろうかねえ。寒いのは寒さを感じる感覚を持つ人間だけだろうかねえ。畑の白菜はけっこう寒そうな顔をしている。隣の畝のホウレン草もだ。

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わたしの死後100年、1000年のイメージ

2017年12月17日 07時24分11秒 | Weblog

外は雪が降り出しています。ちらちらちらと降っています。綿雪です。わたしはわたしの死後のことを考えています。死後を考えることは出来るのです。わたしはわたしの都合のいい考え方をして進めていきます。

死後1年、10年、100年、1000年経ったら? そんなことを考えます。わたしの死後の話です。わたしの肉体は死滅してありませんが、わたしは存在していると思います。たぶん、場所を移動していると思います。まあ、引っ越しのようなものです。

でも、こちらにもちょくちょく訪れています。物質ではなくなっていますから、移動が簡単なのです。光や音が届いているのに似ています。

無色無形なのですが、わたしは思い考えることが出来ます。「我思う故に我あり」はここでもしっかり成立しています。わたしは意思そのものです。それがとても優れた働きをしますから「霊」とも呼ばれています。「霊」はもともと形容詞で「スグレテイル」ことを表します。

わたしは懐かしんでいます。生きていた日々を懐かしんでいます。そして、「あんなことをすればよかった」だとか「こんなことはすべきではなかったなあ」などと口走っています。生きている内にしか出来ないことがたうさんたくさんあったことに、ようやく気付いています。

死後になると、わずかに賢者になっているみたいです。真理を見通せる目を授かっているようです。目は見えない目です。形のない目です。でもよおく見えます。核心を掴めます。ここでもガイド(指導者)がついていてくれているようです。

なによりかにより、わたしは明るく温かい発想が出来るようになっています。だから表情がおだやかです。にっこりしていてやさしいです。安定しています。ここでなら100年1000年も厭わないなあと思えます。

でもときどきふらりと生きていたところへ立ち戻ってきます。レベルアップしているのでそれを生かしたくなっています。仏教でいう還相廻向(かんそうえこう)です。還流して戻って来て、身についた功徳(くどく・利便性・利益)を廻向する立場に変化しています。「廻向」とは「廻し向けること」です。

分かり易く現代流に表現するとわたしは天使の羽を広げています。天使の心を持っています。ガイドができます。保護者になっています。苦しみにあえぐ段階にいる人々を助け上げようとします。守ろうとします。導こうとします。その数が一人二人ではありませんから、けっこうこれで忙しくなります。「ハイヤーセルフ(より進化向上した自分自身)」とも呼ばれています。

でも、これにもある一定の期間があります。わたしは次の段階へ進んで行かねばなりません。わたしの進歩向上の旅は続いているのです。旅が続くたびに、わたしは立ち寄った国々で仏陀が説かれた法華経を説いています。阿弥陀経や理趣経も説いています。つまり化仏(けぶつ)しているのです。仏陀に代わって仏法を説いているのですから。

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わたしの明るさ・明度は、行く先々の地上でのエスケイプ活動によって数段階アップしています。輝きが増しています。わたしの肉体の死後1000年、わたしの輝きはほぼもう大陽と同じくらいになっていますから、直接目では見られなくなっています。だから、わたしがそこにいても、そこにいることは確かめられません。

ふふ。ふふふ。ね、都合のいい発想のトロッコ列車だったでしょ。このトロッコ列車を押してくれている者がいます。かすかにほのかに翼が見えます。キリスト教流に表現すればエンジェル(天使)のような、そういう白い、雪のように白い、淡々(あわあわ)とした翼です。

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屋根瓦には雪が積もっているようです わずかに

2017年12月17日 07時03分48秒 | Weblog

おはようございます。屋根瓦にはどうやら雪が積もっているようです。うっすらふわふわとではありますが。いよいよ冬が深まって来ます。寝ている間に合計4回も厠通いをしました。寒いせいでしょうか。或いは深まる老いのせいでしょうか。

7時になっていますが、家族の者も起き出してきません。みんなゆっくりしているようです。今日は日曜日です。わたしは寝るのに厭きました。夜が長いのです。布団を抜け出して炬燵の中に座りました。部屋にはエアコンもオンにして。手指がかじかみます。

夜中、電灯を明るくして仏教書を広げました。眠気が来るまで1時間そこらも読んでいました。それが繰り返されます。老人の夜はことさら長いのです。雑誌「大法輪」には仏教界の各宗派の貫首管長さん方が新春のメッセージを届けておられました。

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4時を回った 冷えるなあ アイスクリームになりそう

2017年12月17日 04時03分57秒 | Weblog

深い深い夜にいる。闇の圧力が最大値を示す。物音が消えている。底なし沼が吸い込んでしまったのだろう。冷えるなあ。僕のアイスクリームが出来上がりそうな。

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