今日は午後から大川へ行く。酒を買ってくる。正月用にまとめて3升。いつも飲んでいる酒だ。安物の酒である。でもこれがおいしい。口に合っている。この老爺は安物が似合う。大川までは車に乗ってこま1時間はかかる。筑後川沿いに広がる木工製品工場の町。ここには温泉もある。ついでに楽しんでくるか。行動はいつも一人。寂しいが自由だ。人に気兼ねが要らない。
今日は午後から大川へ行く。酒を買ってくる。正月用にまとめて3升。いつも飲んでいる酒だ。安物の酒である。でもこれがおいしい。口に合っている。この老爺は安物が似合う。大川までは車に乗ってこま1時間はかかる。筑後川沿いに広がる木工製品工場の町。ここには温泉もある。ついでに楽しんでくるか。行動はいつも一人。寂しいが自由だ。人に気兼ねが要らない。
李白殿おいでなさいなここへいま 時空といふはつくりごとなり 薬王華蔵
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時空。つまり時間と空間。これは作り事である。あるとしているだけの世界。ないとする者にはない。という仮定に立った歌。とすれば李白殿もすうういと此処へ来られるはず。彼も呼ぶ者のもとへ時空を抜け出て来れば清々しかろう。気宇広大の詩を吟じてもらおう。その代わり旨酒をお出ししよう。わたしも舞おう。「此処・今」は平面を成して落差なし。過去も未来もここへ呑み込まれている。
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わたしも誰かに呼ばれて此処へ今来ている者の一人だ。現象界には時空があるが、仏界真如界にはそれがない。すうういすうういだ。わたしを此処へ呼んだ者? それは明らかだ。仏陀だ。わたしを仏陀にしようとして此処へ呼んだのだ。
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ことごとに制限をしているのはわたしの無明の所為だ。時の壁を作り処の壁を作って、自由を限る。一切は皆空である。思いは何処へも行き来する。
寒い。指先が寒い。炬燵から外へ手を出していたくないほど寒い。だよねえ、12月も今日は22日。歳末も暮れどき。いよいよ押し詰まって来たという感じだもんね。でも朝の光は射しているよ。いまに寒さもやわらぐだろう。ね、サザエさん。
(語りかける人がいないので、ちょいと漫画のサザエさんに登場してもらう。老が一人いるだけの寂寞どころ。面食らったサザエさん、困った顔をするかな?)
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友人から頂いたツクネ芋がおいしかった。どさりと一塊を頂いた。二回に分けて食べた。昨日は2回目。
土から掘り上げてから1週間ほど経ったからだろう、ところどころ腐りかけていた。腐ったところを丹念に除去して、皮を剥き、摺り摺りに摺って、擂り鉢に入れ、擂り粉木で出汁の素を湯にとかしたのと卵黄を掻き混ぜた。上手に柔らかくできあがった。醤油を垂らして酒の肴にした。熱燗日本酒をちびりちびり飲んだ。
芋のねばねばが指の間にまといついた。老爺の皺皺の指にも痒みが出た。本物の山芋にはかなわないだろうが、それに準じておいしかった。友人に感謝だ。