「冥の照覧」というときの「冥」は目に見えない神仏のハタラキを指しているらしい。神仏の視線を意識することか。神や仏に見られている、見守られているということかもしれない。
「冥加(みょうが)」「冥利(みょうり)」「冥助(みょうじょ)という熟語もある。同じく、知らず知らずのうちに身仏の加護を蒙っていること、またはその報恩を指す。古代の人は「冥利に尽きる」「冥加に尽きる」などといって身仏の加護を有り難がったようだ。
「冥」そのものは「暗い」「目に見えない」「奥深い」などの意味がありそうだ。「正月は冥土の旅の一里塚」などという場合の「冥土」はこれは死後の世界、あの世を指している。
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わたしは現代に生きているが、この冥加、冥利、冥助を信じているフシがある。濃厚かも知れない。いつ何処に居ても守られているという感覚がある。これで安心に繋げているところがある。
わたしの父の母、つまりお婆ちゃんはいつも「あんたは仏さま神さまに守られとるから心配はせんでもよかよ」「神さま仏さまが見ているから悪いことはしちゃいかんよ」と言い聞かせていた。それがこの年までボデーブローのように効いているのかも知れない。