猛然とわが根本(こんぽん)を正したくなりぬ明るい草の萌え来て 薬王華蔵
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我が根本は何処にあるか。草には根がある。恐らく此処が草の根本であろうと思われる。地上部の草が明るく萌え出でていると言うことはどういうことか。根本が明るいからである。明るい発想をしているからである。僕は僕の根本を正したくなった。猛然と。春の野に来ている。そこに寝転がる。広々とした青空が見えて来る。
猛然とわが根本(こんぽん)を正したくなりぬ明るい草の萌え来て 薬王華蔵
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我が根本は何処にあるか。草には根がある。恐らく此処が草の根本であろうと思われる。地上部の草が明るく萌え出でていると言うことはどういうことか。根本が明るいからである。明るい発想をしているからである。僕は僕の根本を正したくなった。猛然と。春の野に来ている。そこに寝転がる。広々とした青空が見えて来る。
山鳩の「ぼほう」「ぶふう」の鳴き声の慕わしきとき春山深し 薬王華蔵
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「ぼほう」も「ぶふう」も鳴き声の擬音語である。山鳩の鳴き声がそんなふうに聞こえて来る。案外、地味で低音である。やわらかい。温かみがある。春の山々からそれが聞こえて来る。山鳥が元気なときには春の山も元気である。鳴き声に誘われて次第に春の山深くへ進んで行く。慕わしいところへ。
後はお布団を延べて寝る。寝るだけ。暗くなって強いてことさら老爺のすることはない。明るいときでさえそうなのだから。幼い者には、ねんねんおころりおころりよの子守歌、眠りを誘う歌があるのだが、老爺にはそれもない。あったらおかしかろう。おかしかろうか、ほんとうに。
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背中に翼がある天使が歌ってくれないだろうか。老人も嬰児に等しいところがある。あるのである。それを庇って慰めてここちよい歌声を響かせてくれないだろうか。天使エンジェルはキリスト教の色彩が強い。異教のそれを警戒する人はどうしたらいいだろう。異教といえどもそれは人間側の受け取り。神々の世界ではそういう偏見はあるまい。なべて等しいだろう。信じる宗教によって庇護に変化があるはずはない。
そこは平等界である。差別をつけない。つけないのだから、こちらもそれを受けることはない。安心しろ。
表現の違いである。ファッションの違いである。案じることはない。仏教では権現といい明王といい菩薩という。天界が二つ三つあるはずはない。
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などと考え考え考える。後はお布団を延べて寝るだけである。わたしは仏教徒だから、仏陀と仏国土を想起しながらこころやすけく寝るだけである。
ちんぽこもおそそもわいてあふれる湯 山頭火
湯田温泉にこの句の句碑があった。男性性器も女性性器も見える湯というからには此処は共同風呂だ。混浴風呂だ。昔はそんなのがあったのかなあ。わいてあふれるのは湯であって、性器ではあるまい。まあ、湯治客は大方がご老人であろうが。山頭火が日中の乞食から帰って来た。へとへとになって。冬の日は寒さで凍えそうだ。湯煙が湧いている。どぶんと浸かる。眼が暗さに馴染んできた後でよく見ると此処はオットセイの風呂だっだというわけ。人が懐かしかったのであるが。この句碑は中原中也の高等な詩碑の近くにある。それでちゃっかり調和しているのだ。
寒いからだろうか、今日は何遍もトイレに通う。この分じゃ、夜が大変だぞ。明け方までに何度起きねばならなくなるか。でも、不平は言うまい。これでよしにしよう。ご苦労をして下さっている腎臓様膀胱様おちんちん様に不平を言っていることになる。それじゃすまない。みながみなわたしへの愛情のアラワレではないか。
これでいい。これでいい。これでいい。ここまででいい。これ以上を言わないでおこうと思う。それ以上を言うと、それまでが空っぽになってしまうからだ。それじゃ、これまでを付き合ってくれた事々の事象に相済まない。
猫が尾を右へ左へ揺すりをり 家主が撫でに行きおさまりぬ 薬王華蔵
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観察したことを歌にした。ただそれだけの歌である。他愛ない風景描写である。
億劫(おくごう)を仏陀とともに過ぐ身なり 億劫といふはなつかしきかな 薬王華蔵
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億劫の過去から億劫の未来まで完成者仏陀は世にあって、いまし此処にわたしとともにある。彼が億劫に不在であれば現在のわたしもまた不在であった。しかし、死ぬまでの短い間と雖もわたしの肉体は此処に生かされて暮らしている。肉体を主宰している主宰者のわたしは、それを思いこれを思い、共通の軸であるその億劫の大切な時間が、親しくなつかしく感じられて来た。
億劫を過ぎて仏陀が誕生したが、実はわたしも仏陀とその時間をともにして来たのであった。これからもそうである。未来永劫わたしも仏陀とともにあるのである。そうであれば、わたしを小さい者とすることはできぬ。
小雨はもうすぐ雪になるかも知れぬ。風がやけに冷たい。高菜を畑に移植していたが、ぶるぶる震えてしまった。この山里も本格的な冬を迎えるようだ。
尽十方微塵(じんじっぽうみじん)を抜けしものなれや にんげんわれのけふつつがなし 薬王華蔵
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わたしは何処から来たか。尽十方微塵の素粒子宇宙世界からである。そこを抜け出して来たのである。そして此処で奇しくも人間となった。不可思議不可思議不可思議の出来事である。それがわたしに成就したのであった。今日12月4日、わたしはつつがなくしている。息を吸い息を吐いて暮らしている。しかし時が満ちれば亦もとの世界に帰って行く。わたしが帰っていくと亦もう一つの意思が人間になる道に就くのである。