<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

日が落ちないと一日は終わらないところだった

2017年12月29日 17時23分37秒 | Weblog

日が落ちた。一日が終わる。日が落ちないと一日は終わらないところだった。一日が終わるために日は落ちたのだった。やれやれ。孫たちといっしょにあちこちへ行った。朝昼と。

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詩「モーラ・パリッタ」

2017年12月29日 09時37分04秒 | Weblog

「モーラ・パリッタ」

わたしがわたしの無明から求めた欲望は
実現しなかったが
わたしの欲望がかなえられることが
大切ではなかったのだ
わたしが求めたものは
たしかにかなえられなかったが
それはしかし
ブッダがわたしに求めたものが
かなえられたということだったのだ
無明の願いが聞き届けられなかったのは
すなわち
ブッダがわたしに願われたことが
成就したということだったのだ

これで
ブッダの願いはすべて成就されたのだ
モーラ・パリッタだったのだ

モーラ・パリッタは
ミャンマーの仏教徒の孔雀護呪
「求めたものは
一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた」と
ここには書かれている 

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一つ一つの迷妄の度に

2017年12月29日 09時31分37秒 | Weblog

「迷妄」

仏陀は
では
どうご覧になられるだろう 

仏陀なら
ここを
どう歩みしめて行かれるか

ひとつひとつの迷妄のたびに
仏陀と
ふたりになることができる

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詩 「切れ目のない連続」

2017年12月29日 09時05分54秒 | Weblog

「切れ目のない連続」

原因が結果になる
でも
結果はすぐにその場で
次の原因になる

だからこの場に残っているのは
いつも
次へ向かう原因という原動力

ここへ
ぼくを運んできた結果は
種子をつけ終わった後の
しなった花弁のようだ

春になれば
その種子は又発芽をして
土に根付く

仏陀へ仏陀へ
仏陀へ
ひたすら仏陀へ進むために

一結果が一原因になり
一原因がまた
次の一つの結果になり
生死連続して切れ目がない

***

「仏陀へ」は「完成へ」としてもいいかもしれない。そうすれば臭いのする宗教詩ではなくなるかもしれない。

わたしたちはみな仏陀へ仏陀へと旅をして行く。人間完成を目指して行く。そしてとうとう完成者の仏陀となることができる。方向性がある旅をしているという点では救われるなあ。行き着く場所さえない旅だとすれば、さぞかし虚しいものだっただろうなあ。

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箒で庭の落ち葉を掃き寄せて

2017年12月29日 08時27分55秒 | Weblog

今日は12月29日です。お正月まで、30,31日の2日を残すのみとなりました。この老爺はこの1年ずっとぐうたらぐうたらして過ごして来たようです。特にこんなことをしたぞと誇るようなことはありません。情けない話ですが、怠け者をしただけのようです。

情けないというのは、「死ぬ人もいたというのにわたしは死なないでいた」にもかかわらず、それでもなお勤勉ではなかった、積極的な生き方をして来なかった、人のために尽くすこともなかった、という点です。

生かされていたのならそれに相応しい生き方をすべきだったでしょう。無念残念な気持ちで死んで行った人は、もし死なないで済んでいれば、「こんなこともしたかったあんなこともしたかった」という思いがあるはずです。でも死んで行くより仕方がなかったのですから。

新聞にお悔やみ欄というのがあります。氏名年齢が記載されています。たくさんの人が毎日亡くなっています。高齢者が多いのですが、中にはお若い方もいらっしゃいます。さぞ無念だったろうなあと思います。100歳を越えた方もあります。荒波の打ち寄せる長い人生を閉じられたのですから、まさしく「お疲れ様でした」のねぎらいを掛けてあげたくなります。やっと長い闘病生活の「店終い」が出来てほっとしておられる方もいらっしゃるかもしれません。

わたしは有り難いことにまだあたたかい息をしています。生きている間に何をしておくべきか。考えさせられます。かといって、いろいろしなければならない項目を打ち出してみたとしても、それができる確立は極めて少ないでしょう。でも、何か一つくらいやっておかねば申し訳なく思います。4歳下の弟は3年前に人生を閉じました。弟にも顔向けが出来ないように思われます。

今日は12月29日。落ち葉を掃き寄せて、外回りのお掃除くらいはしておきたいと思います。箒の目を立てておけばちょっとは清々しくなるでしょう。掃き寄せて集めた落ち葉は焚き火にして燃やして、煙にして。今晩遅く次女が京都から帰宅します。明日は朝から餅搗きです。

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わたしも起きてお付き合いをしました

2017年12月29日 06時36分43秒 | Weblog

おはようございます。お蒲団を列べている小学校4年生の孫が、ラジオで基礎英語を聞くために、6時前10分に目覚まし時計をセットしています。ベルが鳴りました。彼女はがばりと跳ね起きました。隣の部屋へ行き、ラジオを聴き始めました。彼女は意志が強そうです。わたしも起きてお付き合いをしました。

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