presented by hanamura ginza
紫陽花が町を彩る季節になりました。
生い茂りはじめた木々の葉も風に揺れ、
さわさわと音をたてています。
暦の上では、梅雨入り前のこの時期を
「芒種(ぼうしゅ)」と呼びます。
「芒種」は、稲や麦のような、
穂先に芒(のぎ)のある穀物の種蒔きをする頃だとされています。
現在では、種蒔きをするのはもう少し前のようですが、
芒種を過ぎれば、夏本番まであとわずかといったところでしょう。
さて、麦を原料とした食材は多くありますが、
夏に食すことの多い素麺もそのひとつです。
蕎麦猪口を持ち、冷たくした素麺をすすると、
今年も夏がやってきたという実感が湧きます。
蕎麦猪口の形をした器は、
もともとは、惣菜を入れるためのものでした。
江戸時代になり、庶民の間にも麺類が広まると、
つけ汁用の器として定着していったようです。
また、蕎麦だけではなく、
湯呑みやお酒などさまざまな用途に使用されていたようで、
当時つくられた器には、この形のものを多く見ることができます。
蕎麦猪口の絵柄は唐草や草花など、
さりげなく粋なものが多いのですが、
その中でも粋といえば、
「麦わら」と呼ばれる縦縞のデザインでしょう。
「麦わら」とは、磁器に筆で線を描くときに、
筆の継ぎにより、線の途中に繋ぎ目のような節が入ったものです。
この節を麦わらの節に見立て、
そのような名前が付けられたのだとされています。
シンプルな意匠にアクセントを加えるために、
縞文様にあえて継ぎを入れる場合もあるようです。
この「麦わら」という名前もそうですが、
縞文様には、
鰹縞によろけ縞、親子縞や孝行縞(子持縞)、やたら縞など、
気の利いた名前が多く付けられています。
現代ではいたるところで見ることができる縞文様は、
江戸時代に入って庶民の間で人気が高まり、
粋な江戸っ子たちに好んで用いられた文様です。
日本には遠い昔から伝えられていましたが、
雅な文化がが花開いた平安時代には好まれず、
長い間、階級の低い庶民が着るものでした。
その縞文様が、注目を集めたのは、
室町時代の中頃です。
南蛮貿易が盛んに行われたこの時代、
日本には印度やオランダなどの国々から、
さまざまな縞柄の布地が輸入されました。
それまで、縞は「筋」と呼ばれていましたが、
異国の島からもたらされた縞柄は、
異国を象徴するものとして、「島もの」と呼ばれるようになり、
それが「縞」へと変化していったようです。
「縞」文様は、
そのシンプルで素朴な絵柄が
茶人たちによって愛され、茶道具の仕覆などに用いられるようになりました。
上の写真は、よろけ縞文様の八寸帯です。
「よろけ縞」とは、波状にあらわされた縦縞文様のことを指します。
縞柄がよろけるようにあらわされたことから、
この名前が付けられたようです。
よろけるという言葉からは、
女性のもつ艶が感じられますね。
粋な江戸の文化が育んだ縞文様を身につけて、
冷えた素麺やざるそばをさらりと食したいものですね。
※上の写真の上の写真の「よろけ縞文 織り 綿麻 八寸帯 」は花邑銀座店でご紹介している商品です。
●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 6 月 12 日(水)予定です。
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