花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「青海波(せいがいは)文様」について

2012-10-11 | 文様について

presented by hanamura ginza


10月もはやいもので、
まもなく半ばとなります。
気がつくと秋も深まり、
空を見上げると、秋の澄んだ青空が広がっています。

日曜日に家の近所を歩いていると、
遠くから風に乗って「白組がんばれ、紅組がんばれ」と、
運動会のかけ声が聞こえてきました。
秋晴れのなか、赤や白の帽子をかぶって、
こどもたちが一生懸命走っている姿が、目に浮かびました。
運動会の時期が終われば、やっと訪れた秋も
駆け足で過ぎていってしまいます。

今年は残暑が厳しく、紅葉がはじまるのが例年より遅かったようですが、
すでに北海道や北陸では、見ごろを迎えたところも多くあり、
各地の名所に訪れる方も多いのではないでしょうか。

さまざまな木々の葉が、赤や黄色に色づいた光景は、
昔も今も変わらず、秋ならではの郷愁を帯びた風情を感じさせてくれます。
その美しい光景は、古来より詩や物語の中でも多く語られ、
ときに物語に叙情を醸す役割もしてきました。

平安時代に書きあらわされた「源氏物語」には、
「紅葉賀(もみじのが)」と名づけられた巻があります。
そのなかでは、紅葉の中で藤壺を想いながら、
「青海波(せいがいは)」という雅楽を舞う
若き光源氏の姿が書かれています。

雅楽「青海波」は、二人の踊り手が袖を振りながらゆったりと踊る
とても優美な舞ということで、
「紅葉賀」の場面では、その舞と紅葉の美しさが相まって、
光源氏の艶をさらに引き立てる役目を果たしているようです。

今日は、この雅楽「青海波」から名前をつけたともいわれている
「青海波文様」についてお話ししましょう。

青海波文様とは、鱗状の文様を上下左右に、連続的に配した文様です。
この青海波文様は、古代ペルシャで考案された文様で、
シルクロードを経て、中国に伝わり、
中国から日本へと伝えられた文様とされています。

中国から日本に伝えられた年代は定かではありませんが、
すでに、飛鳥時代につくられた埴輪には、
この青海波文様が描かれていました。

中国では、西方にあった青海国の山岳民族が
青海波文様を民族衣装に用いていたようです。
青海国からは、「青海波」とよばれる雅楽も伝えられましたが、
この「青海波」を舞うときに身に着けた衣装の文様に、
この文様があらわされていて、
いつしかその演目の「青海波」が文様の名前となり、
日本の古典文様として定着したのです。

やがて、日本ではこの青海波の文様が、
穏やかな海をあらわすものとされ、
海がもたらす恵をよび起こす縁起の良い文様とされ、
海が無限の広がりをあらわすことから、
「人々の幸せな暮らしがいつまでも続くように」という願いも込められています。


鎌倉時代になると、現在の愛知県瀬戸市でつくられた
「古瀬戸瓶子(こせとへいし)」とよばれる陶器に、
青海波文様が多くあらわされるようになりました。

元禄時代には、独特な技法と道具でこの青海波を意匠に多く用いた
勘七とよばれる漆工がいましたが、
青海波が人気となって陶器や染物などにも用いられるようになり、
その作品も有名になったために姓に青海と冠され
青海勘七ともよばれるほどだったようです。




上の写真は白色の地に墨色一色で、松青海波の文様が型染めによりあらわされた名古屋帯です。
和の趣きの中にも、優美な雰囲気が漂い、気品とモダンさが感じられます。
縁起が良いとされる青海波と松文様が組み合わされた意匠ですので、
吉祥文様が必須となる年末年始のお出かけの装いにも重宝いただけそうですね。

※上の写真松青海波(まつせいがいは)文様 型染め 名古屋帯は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 10 月 18 日(木)予定です。

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