presented by hanamura ginza
いよいよ大寒ですね。
暦に合わせるように、
先週は東京都内でも初雪が観測されました。
暦の上では、この大寒が過ぎると立春となり、
厳しい寒さが少しずつ和らいできます。
寒さの峠を越えれば、春ももうすぐそこまでなのですね。
寒い季節の中で、
暖かな春を待つ人々の気持ちは、
今も昔も変わりません。
しかし、空調の効いた現代よりも厳しい寒さに対峙して
農耕生活をしていた昔の人々にとっては、
厳寒の冬は生死にかかわり、
春への思いも現在より切実なものだったことでしょう。
そのため、自然のわずかな変化から
敏感に春の兆しを感じ取り、それを励みにして
寒い冬を乗り越えていたのでしょう。
春の兆しが感じられる自然現象といえば、
花の開花や雲、太陽の光などさまざまにありますが、
その中のひとつに、「霞(かすみ)」があります。
お着物の意匠のなかでも霞は多く文様化されています。
今日はその「霞文様」について、
お話ししましょう。
霞とは、地表や水面の近くで、
水蒸気が固まって水滴となり、浮遊したもので、
湿気を含んだ暖かな空気が、冷たい地面などに冷やされることで発生します。
そのため、春が近づき空気が暖かくなると、
山裾などで霞がたなびいている様がみられます。
霧も霞も、同じ理由で起こる自然現象ですが、
平安時代に、春に見られるものを「霞」、
秋に見られるものを「霧」と区別してよぶようになりました。
平安時代の頃につくられた歌の中には、
霞を見て春の到来を喜んだものを多くみることができます。
また、当時つくられた「源氏物語絵巻」などの
「大和絵(やまとえ)」のなかにも霞は描かれ、
春の景色をあらわすこと以外にも、
過去と現在をへだてたり、
遠近感をだす効果のために用いられました。
平安時代のお着物の意匠にも霞は用いられていますが、
当時の霞文様は、ぼんやりとした様子をそのままあらわしたものだったようです。
鎌倉時代になると、
霞は文様化が進み、輪郭がしっかりとつけられたものが登場しました。
楕円形で横に長くあらわされた霞文様や、
片仮名の「エ」という文字のようにあらわされた
「エ霞(えかすみ)」などの霞文様が考案され、
能装束などに用いられました。
また、このころの霞は春をあらわす文様としてだけではなく、
抽象的に空間性や遠近感をあらわす文様としても使われ、
四季を通して用いられるようになりました。
江戸時代には、霞文様のなかに吉祥文様が配された意匠のお着物もつくられ、
お祝いごとの席に使用されるようになりました。
ちなみに俳句の季語では
「霞」といえばもちろん「春」をあらわします。
「霞」という言葉のみであらわすときもありますが、
1 月~2 月中旬ぐらいのまだまだ寒さが厳しい時季に見られる霞は「冬霞」、
3月上旬~4月中旬ぐらいの寒さがだいぶ緩んできた時期に見られる霞は
「春霞」と区別してよびます。
上の写真の名古屋帯は、
明治時代の帯地からお仕立てしたものです。
冬霞のはざまに、梅がのぞいていますね。
空を飛ぶ鳥は、春の兆しをいちはやく感じて喜んでいるようです。
それにしても、本来はかたちのない自然現象を文様化した感性は、
やはり日本独自のものといえるでしょう。
それほど、霞に対しての感じ入るものがあったのではないでしょうか。
この意匠を眺めていると、春を思うことで冬を乗り越えてきた人々の
心持ちが伝わってくるようです。
「冬きたりなば春遠からじ」なのですね。
※上の写真の「冬霞に梅と鳥の図 名古屋帯」は花邑銀座店でご紹介している商品です。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は2月2日(木)予定です。
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