花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「市松文様」について

2011-12-14 | 文様について

presented by hanamura ginza


まもなく冬至。
日が暮れるのがすっかり早くなり、
気がつけば夜空に星が瞬いています。

日が射している時間が短いため、
朝晩の冷え込みも一層厳しく感じられますね。

年末年始の準備に加え、
この時期ならではのイベントも多く、
何かとお出かけする機会も多いことでしょう。
体調管理には気をつけたいところですね。

イベントといえば、
毎年、年末年始には特別企画の歌舞伎が多く公演されます。
初春には、テレビなどでも歌舞伎を放映するようで、
お家でも歌舞伎を楽しむこともありそうです。
歌舞伎の華やかな舞台は、
年末年始の気分を盛り上げ、
新しい年に向けての活力ともなりますね。

物語や役者の魅力はもちろんのこと、
凝った舞台演出など、
歌舞伎の見どころはさまざまですが、
江戸時代の頃には、役者が舞台で着用する装いが
最先端のファッションとして注目されていたそうです。
このあたりは現代でもいわゆる「セレブファッション」が
雑誌に取り上げられたり、流行の発端となったりすることを思えば、
今も昔も変わらないということになるのかもしれませんね。

歌舞伎の衣装に用いられたり、
歌舞伎役者本人が着用したことがきっかけとなって
流行した文様も数多くあり、
そのような文様には歌舞伎にちなんだ名前が付けられていることもあります。

今日は、その中のひとつ、
「市松文様」についてお話ししましょう。

市松文様とは四角い枡を碁盤の目のように並べ、
白黒などの色が交互になるように組み合わされた文様です。
シンプルながらインパクトのあるそのデザインは、
古来より世界中で用いられてきました。

その起源は定かではありませんが、
紀元前 5000 年前の古代メソポタミアや古代エジプトの遺跡では、
この文様が壁画などにあらわされ、残されています。

西洋では、オセロやチェスの盤も、
この市松文様になっていますね。

日本で見られるもっとも古い市松文様は、
正倉院に伝わる織物にあらわされたものです。

平安時代には、天皇や公家たちが着用する
正装の地紋として用いられ、
有職文様になりました。

桃山時代から江戸時代初期に中国からもたらされた織地には、
この市松文様が地紋に織りこまれたものが多く見られます。
このような地はのちに「名物裂」とよばれ、
江戸時代には茶人の小堀遠州が愛用したことから、
「遠州緞子」ともよばれています。

この頃までは市松文様を「霰文」や「石畳文」とよんでいました。
市松文様が今日のように
「市松」という名前でよばれるようになったのは、
江戸時代中頃です。

寛保元年、美貌の歌舞伎役者として人気のあった
佐野川市松が、小姓の役を演じる際、
舞台で身に着けた市松文様が評判となりました。

当時、庶民たちも文様があらわされた着物を楽しむようになったこともあり、
市松文様が’配された着物は、
佐野川市松に憧れる女性たちの間で大流行しました。
この頃から、「霰文」や「石畳文」は
佐野川市松の名前で「市松文」とよばれるようになったのです。

当時の庶民たちは、
憧れの歌舞伎役者が着用した文様を
自らも身にまとうことで、
役者を身近に感じ、日々の生活の心のよりどころとしていたのでしょう。
また、歌舞伎役者にとっても、
文様は自分の美意識を観客に伝えることができる
重要な手段だったのかもしれませんね。



上の写真の名古屋帯は、
市松文に梅と菊を配した小粋な意匠の型染めです。
市松文様には、このようにいろんなバリエーションがあります。

花邑 銀座店のブログ「花邑の帯あそび」も
本年は来週で最後です。
この一年はやはり暗い一年だったと言わざるをえませんが、
来年は市松文様の桝のお色目のごとく、
白黒交互が逆になって、
明るい一年となるように願うばかりです。

※上の写真の「市松文に梅と菊文様 型染め 名古屋帯」は12月16日(金)に花邑銀座店で
ご紹介予定の商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は12月21日(水)予定です。

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