花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「蘭文様」について

2011-10-05 | 文様について

presented by hanamura ginza


10 月になってから、日増しに秋が深まり、
肌寒さを感じる日も多くなってきました。

季節の変わり目で、
冷たい雨の日が降る日も多いのですが、
一方で天気の良い日には、
天高く鱗雲が広がり、
時折吹く秋風も良い心地です。

暑い夏から寒い冬へと移りゆく
この季節ならではの美しい情景は、
人々の心を捕らえ、
昔から俳句や絵などの題材に好んで用いられてきました。

秋といえば、野山の枯れたイメージが強いものですが、
秋を彩る草花は意外と数多く、季語としても多くあります。
たとえば、菊や桔梗、秋桜(コスモス)、紅葉(もみじ)、薄(すすき)
といったものが代表的でしょう。

ところで、蘭というといつの季節に咲く花でしょうか。
春に多く目にするような気もしますし、
秋に咲いているような印象もありますね。
もちろん品種によってまちまちで、
開花時期は一年中に渡ります。
しかし実は、蘭も秋の季語なのです。

そこで今日は、蘭の文様についてお話してみたいと思います。

蘭は、世界各地に生えている植物で、
その種類は 15,000 種もあり、
種子植物のなかで最も種類が多いとされています。

蘭というと、お花屋さんなどで鉢に入れられ、
観賞用に手入れがされた華麗な姿を想像する方も多いのではないでしょうか。
お花屋さんに並ぶ蘭は、
現在、そのほとんどが西洋を原産地としたものです。

しかし、日本にも野山などに300種の蘭が自生しています。
野山に咲いている蘭は、日本原産のものが多く、
西洋を原産地とする蘭に比べて清楚で控えめな姿をしています。

そのため、趣きの異なる西洋の蘭を「西洋蘭」とよび、
日本原産のものと中国原産の蘭をまとめて「東洋蘭」とよんで、
明確な区別がなされています。



上の写真は、蘭文様をろうけつ染めであらわした小紋のお着物です。
可憐で品の良い東洋蘭が意匠のモチーフとなっています。

伝統文様における蘭は、東洋蘭とされていて、
着物や帯の意匠としてもその東洋蘭をモチーフとしていることが
一般的には多いようです。

蘭は、昔から人々にその姿が愛でられ、
中国では、すでに10世紀の宋時代の頃には、
観賞用として栽培化がされていました。

中国では古来から、蘭が草木の中でも気品が高く、
君子のような風格をもつとされ、
梅、竹、菊とともに、四君子(しくんし)とよばれていました。

さらに中国では、この四君子にならって
当時の画家がモチーフとした蘭、菊、梅、蓮を四愛とよび、
吉祥の花として多くの工芸品や装飾に用いました。

そうした中国の影響を受けて、
日本でも平安時代の頃から
蘭を衣装の文様や絵のモチーフに用いていました。

当時は秋の七草のひとつとされた藤袴(ふじばかま)のことも
「蘭」とよんでいたようで、
そのことから蘭が秋の季語となったとされています。

ちなみに、春に咲く蘭は春蘭と呼ばれます。
吉祥文様の紗綾型(卍繋ぎ)の一部には、
この春蘭と菊を配したものがありますが、
とくにこれを本紋(本紗綾型)とよび、
格が高い文様として、現在でも訪問着などの地紋に用いています。
下の写真は、本紋が地紋として用いられている訪問着です。
紗綾型に春蘭と菊が配されると、華やかさが増しますね。



江戸時代の中頃には当時の将軍であった徳川家斉を筆頭に、
各地の大名など、時の権力者たちが競って蘭の栽培をはじめ、
江戸時代後期には庶民の間でも広く行われるようになりました。

一方、西洋では19世紀前半に蘭の栽培が広がりました。
とくに、イギリスでは蘭の栽培が貴族たちのステータスとして
人気を博しました。

こうした華麗な西洋の蘭は明治時代に入ってから日本にももたらされました。
そして、この西洋蘭が東洋蘭に取って代わり
着物や帯の意匠にも登場するようになったのです。

蘭は、このように昔から東西で栽培が盛んに行われ、
その美しさが競われてきましたが、
西洋蘭は、人工交配により新品種を生み出したものが多く、
東洋蘭は、人工交配をしたものではなく、
自然の中で自生した蘭の中から姿形の面白いものを選び、
育てられたものが多いようです。

蘭という花ひとつをとってみても、
無為自然の中に美意識を見出してきた日本人の精神性が
そこから窺えるのではないでしょうか。


※上の写真の蘭文様 ろうけつ染め 小紋と、綸子に桐文様の鹿の子絞り 訪問着は花邑銀座店でご紹介しているお着物です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は10月12日(水)予定です。

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