花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「鰹縞文様」について

2011-05-25 | 文様について

presented by hanamura


まもなく 6 月ですね。
東京では梅雨の走りのような
雨の降る日が多くなってきました。

5 月も、もう残りわずかですが、
みなさんは、今年の初鰹はもうお召し上がりになられたでしょうか?
現在では養殖や輸入により、1年中目にすることのできる魚ですが、
やはり、旬のものが一番おいしく、
とても贅沢な心持ちでいただけますね。

鰹は、日本の太平洋沿岸に生息し、
夏になると北上し、秋になると南下します。
日本では古来から、若葉茂る季節に水揚げされる鰹を、
夏の到来を告げるものとして、珍重してきました。

「目に青葉 山ほととぎす 初がつを」という有名な俳句は、
豊かな四季をもつ日本ならではの情緒が感じられる句ですね。

さて、本日はこの鰹にちなんだ伝統文様の
「鰹縞(かつおじま)」文様について、
お話ししましょう。

鰹縞とは、濃い藍色から白色まで、
ぼかしをつけてあらわされた縞文様のことです。
その縞柄が鰹の体色を思わせることから、
「鰹縞」という名前が付けられました。
そこからは江戸っ子のお茶目で粋な感性が感じられます。

「縞」は、現在では見かける機会が多い文様ですが、
古来の日本では、たいへんめずらしい文様でした。
もともとは、南蛮貿易などで異国からもたらされた
縦縞の木綿のことを「島」からもたらされた「物」という意味合いで、
「島物」とよんでいたのです。

その島物に現代のような「縞」の字が当てられたのは、
江戸時代の中ごろです。
町民文化が花開き、
粋でいなせな「江戸っ子」という概念が広められた当時、
単純で明快な縞の柄は粋な文様として大流行し、
さまざまな縞柄が誕生しました。
鰹縞はその中で、考案された文様です。



上の写真の名古屋帯は、紗綾型文様に鰹縞を配した
粋な久留米絣からお仕立てしたものです。
すっきりとした鰹縞が爽やかです。

一方「鰹」自体は、古来より縁起の良いものとして、
珍重されてきました。
日本人が鰹を食べはじめたのは縄文時代にまで遡ります。
飛鳥時代の頃にはすでに鰹の干物、
つまり現在の鰹節などもつくられ、
朝廷に献納されたりもしていました。

その後、鰹節は神社などのお供え物にもなり、
戦国時代には、武人が縁起をかついで
「勝男武士」という漢字を当てたりもしたようです。

江戸時代になると、
初物を食すことが粋とされ、
なかでも鰹の初物は食すると750日も長生きできるとも言われました。
当時は「女房子供を質に出してでも食え」と言われたほど、
初鰹の人気は過熱し、高値で販売されたようです。

美食家で知られる北大路魯山人は、
鰹についてのエピソードで当時の江戸の様子を想像し、
「冬から春にかけて、しびまぐろに飽きはてた江戸人、
酒の肴に不向きなまぐろで辛抱してきたであろう江戸人……、
肉のいたみやすいめじまぐろに飽きはてた江戸人が、
目に生新な青葉を見て爽快となり、なにがなと望むところへ、
さっと外題を取り換え、いなせな縞の衣をつけた軽快な味の持ち主、
初がつお君が打って出たからたまらない。
なにはおいても……と、なったのではなかろうか。」
と言っています。

鰹も縞も江戸っ子の粋がふんだんに込められた文様なのですね。

ちなみに、同じく北大路魯山人は、
「昔は春先の初がつおを、やかましくいったが、
今日では夏から秋にかけてのかつおが一番美味い。
これは輸送、冷凍、冷蔵の便が発達したことによるものと思われる。
大きさは五百匁(もんめ)から一貫匁ぐらいまでを上々とする。」
とも言っています。

北大路魯山人の言うように
秋のもどり鰹もあぶらが乗っておいしいものですよね。
梅雨の走りにも勝るスピードで
まだ夏になりきってもいないのに
思わず秋の味覚にまで思いが先走りしてしまいました。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介している名古屋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は6月1日(水)予定です。

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