presented by hanamura ginza
10月も早いものでもう半ばを過ぎました。
今年は台風が多く、
秋をゆっくりと堪能できる日が少ないですね。
秋の楽しみといえば紅葉ですが、
台風で色づいた葉が散ったり、
葉が痛み、きれいに染まらないなどといった
影響がでているとのこと。
大きな被害がこれ以上でないことを祈るばかりです。
紅葉の名所は日本全国にありますが、
関東でいえば、栃木県の日光が有名ですね。
紅く染まった山間の景色も美しいのですが、
「見ざる言わざる聞かざる」の彫刻で有名な日光東照宮もあり、
その東照宮と紅葉の組み合わせも美しい風景ですね。
日光東照宮は、徳川家康を祀った神社ですが、
今日は、その徳川家の家紋に用いられている
葵の文様についてお話ししましょう。
葵といえば、
「ひかえーい、ひかえーい!この紋所が目に入らぬか。」
という「水戸黄門」のセリフを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
手に持った印籠には、この葵文様があらわされていますね。
葵文様は当時、徳川家しか使用できなかったものでした。
そのため水戸黄門では、黄門さまが徳川家と縁が深い人物と人々は察し、
恐れをなしてひれ伏します。
黄門さまの印籠にあらわされた葵の文様、
つまり徳川家の家紋は、
葵の葉が 3 枚あらわされていることから、
「三ツ葉葵(みつばあおい)」ともよばれています。
葵は古来より日本の林などに自生している植物で、
湿気のある木陰を好みます。
茎は地上を這うように広がり、
その茎が途中ですっと伸び上がって、ハートの形した葉を 2 枚つけます。
そのため、葵は「二葉葵(ふたばあおい)」とばれることもあります。
ちなみに、徳川家の家紋である「三つ葉葵」は葵を意匠化したもので、
実際には葵が葉を 3 枚つけることはほとんどありません。
葵は、常に太陽の光を追う向日性です。
茎を長く伸ばしながら光に向かって伸び育つという性質から
発展するという意味合いを持たされた葵は
縁起の良いものとされました。
葵の文様は、最も古い神社のひとつとされる
「賀茂神社」の神紋にも用いられています。
賀茂神社では、毎年 5 月に「葵祭り」とよばれる祭事が催されますが、
この葵祭りは古くから行われてきたもので、
源氏物語にもこの「葵祭り」の場面が登場します。
葵祭りでは、賀茂神社の祭神とされる「別雷神(わけいかづちのかみ)」が
下界に降りるとされていますが、
その祭礼では境内の至る所に葵の葉が飾られます。
ちなみに、葵(あおい)は古来「アフヒ」と呼ばれたようですが、
「アフヒ」は「神をもてなす日」という意味があるようです。
賀茂神社の氏子や、賀茂神社を信仰する家々でも、
賀茂神社の神紋である葵を家紋に使用しました。
たとえば、賀茂神社の神領であった
三河国の賀茂郡松平郷から発祥した松平家は、
賀茂神社の氏子でもあったことから、
家紋に葵をあらわすようになりました。
その松平家で生まれた徳川家康も、
この葵文様を受け継ぎました。
水戸黄門の場面に象徴されるように、
江戸時代には、一般の人々がこの葵文様を使用することは禁止されていて、
葵文様をあしらった着物を着た場合には死罪にされたという例もあり、
葵文様は特別な文様とされていました。
しかし、江戸時代が終わると、
一般の人々も葵文様を使用できるようになり、
縁起の良い文様として用いられるようになりました。
上の写真は
昭和初期ごろにつくられた
銘仙絣からお仕立て替えした名古屋帯です。
だいたんに織り出された葵文様がかわいらしく、
モダンな雰囲気も感じられます。
シンプルながら間延びがしないのは、
葵の葉の形の良さはもちろんのこと、
葵の文様が歴史的にもっている格の高さのせいかもしれませんね。
※上の写真の「葵文様 絣織り 名古屋帯 」は 花邑 銀座店でご紹介中の商品です。
●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 11 月 7 日(木)予定です。
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