花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「桐文様」について

2011-03-23 | 文様について

presented by hanamura


「暑さ寒さも彼岸まで」と昔からいわれているように、
お彼岸が過ぎてここ東京では少しずつ暖かくなり、
近所の木蓮の花がつぼみを少しずつ広げています。
しかし、この時期は花冷えのする日も多く、
ここ数日は霧雨の降る寒い日がつづいています。

今年の桜の開花は通年より遅くなるようで、
桜と同様に春に咲く花が見ごろになるまでには、
もうしばらくかかりそうです。

本日おはなしする「桐」の花も、
4月中旬ごろから初夏にかけて
薄紫色の可愛らしい花を咲かせます。

桐の木は軽く、通気性に優れ、
割れにくいという性質をもっています。
湿気の多い日本では、まさに最適な材料なんです。

桐でつくられた箪笥は湿気に強く、
むかしから着物や帯を収納するのに、
たいへん重宝されてきました。

桐の木は成長が早く、
昔は女の子が生まれると庭に桐を植えて、
結婚をするときに、
その桐で箪笥をつくり、嫁入り道具にしました。

また箪笥のほかにも、
桐の木は下駄や琴の材料とにもなります。
日本文化とたいへん縁の深い植物ともいえるでしょう。

そのためか、桐は古来より神聖化され、
古代の人々は桐の木には吉祥をもたらす鳳凰が棲んでいると考えていました。

平安時代の頃には、
桐をモチーフにした桐文様が考案され、
高貴な文様として皇室にゆかりのある者だけが使用することができました。



上の写真は、桐の文様を微細な鹿の子絞りによりあらわした訪問着です。
ひかえめなお色目と桐の文様があいまって格調が感じられます。

このため、武家社会が興ると、
桐の文様は武士にも重用され、
自らの権威を示す文様となりました。

足利尊氏は、後醍醐天皇より桐紋を賜り、
足利家の家紋として使用しました。

織田信長の肖像には、
桐の家紋をつけた織田信長があらわされています。

また、豊臣秀吉も桐紋を皇室より腸り、
太閤桐とよばれる独自の桐文も考案しました。
豊臣秀吉は、桐文を多くの忠臣にも与えたため、
桐文は多くの武家の家紋として広まりました。

桐の文様にはさまざまな意匠がありますが、
桐の葉に花がすっと伸びた様子を意匠化したものが多く、
枝に付く花の数が3-5-3となっているものを
五三桐(ごさんのきり・ごさんぎり)、
5-7-5となっているものは五七桐(ごしちのきり・ごしちぎり)とよびます。
ちなみに、織田信長や豊臣秀吉が用いたものは
五七桐ですが、五七桐はめずらしく、
五三桐のほうが多く見られます。

また、鳳凰と組み合わせて意匠化したものは、
とくに縁起が良いものとされ、
現代でもお祝いごとの席などに用いられることが多いようです。

実生活においても身近なところで
桐の文様は見ることができます。
皆さんのお財布のなかに500円玉はありますか?
そうです。500円玉硬貨の意匠にも
桐の文様が用いられているのです。

※写真の訪問着は花邑 銀座店にてご紹介しています。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は3月30日(水)予定です。


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