presented by hanamura
3月になるのも、もうまもなくということで、
春の気配がそこかしこで感じられるようになってきましたが、
それでもまだ、寒さに身を縮まらせる日も続いています。
北国ではまだ積もった雪が溶けずに、
相変わらずの冬景色のようです。
東北など北の地方では、秋から冬の農閑期の副業として
織物の生産が盛んだったことから、
現在でも有名な織物の産地が数多くあります。
しかし、雪深い東北でつくられてきたのは織物だけではありません。
青森県の津軽塗り、岩手県の南部鉄器、秋田県の川連漆器、
宮城県の宮城こけし、山形県の天童将棋駒、福島県の会津塗りなどをはじめ、
ほかにも多くの伝統工芸品の数々をつくってきました。
今日はそのなかでも着物や帯の意匠としても縁の深い
「こけし」についてお話ししましょう。
素朴でシンプルでありながらも、
手仕事ならではの深い味わいが感じられ、
どこかユニークな趣きをもつこけし。
東北の温泉地などで、そのかわいらしい魅力にひかれ、
思わず手にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
下の写真は、そのこけしをモチーフにしたこけし文様です。
愛嬌のあるこけしの姿が散らされた
なんともかわいらしく小粋な意匠になっています。
上の写真の文様のような
「こけし」がつくられたのは、
江戸時代の後期頃です。
当時、木のお椀やお盆をつくっていた木地師たちが
東北地方の山奥から温泉地に移り住み、
温泉に訪れる湯治客に向けてつくった棒状の木の玩具が
こけしのはじまりです。
温泉地には、とくに冬の間の農閑期になると、
多くの農民が湯治のために訪れ、
過酷な農作業による心身の疲れを癒し、
春の田植えにむけて、力を蓄えたようです。
こけしは、そういった湯治客に向けたお土産用に、
心身回復や五穀豊穣への力をもたらす象徴として販売され、
人気となっていました。
また、こけしに用いられた赤い染料は、
不治の病といわれた「疱瘡(ほうそう)」から身を守るともいわれ、
子供用の玩具としても重宝されました。
こけしは、東北地方の温泉地のいたるところでつくられていますが、
その技術や文様、かたちなどは師弟相伝のため、
各地域で独自のものがつくられ、それぞれに特徴があります。
そのせいもあって、実は「こけし」という名前も、
その地域によって「きでこ」や「きぼこ」など、
それぞれによび名が異なっていました。
そうした異なる名称を現在のように「こけし」とよぶようになったのは、
昭和初期の頃です。
こけしの「こ」は木、「け」は削、「し」は子で、
木を削って作った子供の人形と言う意味合いがあります。
また、「子授けし(こうけし)」という意味合いも持ち、
子供の健やかな成長を祈るお人形ともされました。
名前については、その語源を「子消し」として、
縁起の悪いものとする説もありますが、
この説の信憑性はまったくなく、
後に間違って解釈されたもののようです。
こけしは、江戸時代後期から明治時代にかけて、
盛んにつくられましたが、
大正時代になると、セルロイドやブリキでつくられた
西洋風のお人形が人気となり、
こけしは子供用の玩具として、
需要が少なくなっていきました。
その一方、昭和初期頃に
民芸運動が興って地方の民芸品が注目されると、
こけしも芸術品として集められ、
コレクションされるようになりました。
ちなみに、こけしがブームとなったのは、
過去に2回ほどあるようですが、
戦前、戦後といずれも時代の変革期なんです。
昨今では、またまたこけしが注目を集めていて、
観賞だけではなく、自身でオリジナルの
こけしをつくられている方もいらっしゃいます。
また、こけしの産地の区役所などでは
行き場のなくなったこけしたちを引き取り、
インターネットなどを利用してあらたなもらい手を探すボランティアなども
行われるようになっているようです。
素朴なこけしの姿には、
古きよき昔の日本人の心や文化が
色濃く映し出されている気がしますね。
そんなノスタルジーはさておいても、
愛嬌のあるこけしやこけしの文様が配された着物や帯を見かけると、
かわいらしい子猫や子犬を見つけたときのように
顔がほころんでしまいます。
※写真の名古屋帯は花邑 銀座店にてご紹介しています。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は3月2日(水)予定です。
帯のアトリエ「花邑hanamura」ホームページへ