花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「柘榴文様」について

2010-09-14 | 文様について

presented by hanamura


台風が過ぎて、ようやく涼しい風が吹くようになってきました。
大合唱をしていたセミの鳴き声も
そろそ終演も近いようで、まばらです。
夜には、こおろぎなど、秋の訪れを感じさせてくれる虫たちと
バトンタッチです。

デパートやスーパー、八百屋さんでは、
秋の味覚である果物や野菜、魚などが並んでいます。
食欲の秋の到来ですね。

着物や帯の意匠には、
秋から冬にかけて収穫される葡萄や梨、柿などの果物をモチーフにして
秋の豊かな実りをあらわしたものが多く見られます。

今日お話しする柘榴文様もまた、
そういった果物のひとつです。

柘榴は、夏の季節に大きな花を咲かせ、
秋から初冬にかけて大きな実をつけます。
厚い皮におおわれた赤紫色の柘榴の実の中には、
赤く小さなたくさんの果実が入っています。
そして、その果実のひとつひとつに、
とても小さな種子が入っています。

小さくて赤い柘榴の果実は、
まるで宝石のようにきれいで、
そのまま食べるのがもったいないぐらいです。

柘榴は、現在ではいたるところで見ることができ、
なじみ深い果物ですが、
もともとの原産地は、
日本より遥かに西方に位置する
トルコやイランなどの西アジアとされています。

原産地の西アジアでは
柘榴がたくさんの種子をつけることから、
豊穣や、子孫繁栄を意味する果物として、
文様化されてきました。
紀元前数世紀前のペルシャの遺跡では、
柘榴文様が配された美術品が多く発掘されています。

そして柘榴はシルクロードを通じて
中国へも伝えられました。
そして、中国でも子孫繁栄を意味する文様になりました。

中国から日本に柘榴が伝えられたのは平安時代の頃です。
日本では当初、
柘榴の果実は食用ではなく、
衣服を染める染料として栽培されていました。

やがて、西アジアや中国同様に、
安産や子孫繁栄の象徴となりました。
柘榴と切っても切れないのが鬼子母神でしょう。



はるか昔、インドに500人の子を持った鬼女がいました。
鬼女は人間の子どもを数多くとらえては自分の子に与えていました。
人々は悲嘆にくれて、お釈迦さまにすがります。
そこでお釈迦さまは、鬼女が留守の間に鬼女の500人の子のなかから、
鬼女がもっともかわいがっていた1人をお隠しになりました。
帰宅した鬼女は愛息の1人がいないことに気づきます。
鬼女は半狂乱になって方々を探しますが見つかるはずもありません。
鬼女はお釈迦さまに救いを求めます。

お釈迦さまは諭します。
「お前の500人の子のうちのたった1人がいなくなっても、
お前はそのように悲しむ。
まして少ない子の人間の母の嘆き悲しみはいかほどのものか」
鬼女に改悛の様子を見たお釈迦さまは
お隠しになっていた子を返します。
加えてお釈迦さまはおっしゃいました。
「また悪い心が起きたら、
そのときはこの柘榴の実を食べるが良い」
そういってたくさんの種子がついた柘榴の実を鬼女に手渡しました。

その後、改心した鬼女は、
鬼子母神として安産の象徴、子供の守り神となり、
人々に敬われるようになりました。

柘榴はこのように大昔から神聖な果実として
扱われてきたのです。

ちなみに、柘榴文様は
16世紀のヨーロッパでも人気を博しました。
ルネッサンス全盛期だったイタリアでは
貴族が着るドレスなどにも多く用いられたようで、
こちらでも高貴な果実として
扱われていたようです。

※写真は花邑銀座店でご紹介している帯の文様です。

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次回の更新は9月21日(火)予定です。


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