花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「唐草文様」について-その3-

2010-09-07 | 文様について

presented by hanamura


残暑の厳しい暑い日が続いています。
今年もちゃんと秋はくるのかしらと、
心配になってしまいますね。

しかし先日、ふと空を眺めた、ら
透き通るような青空に鱗雲が浮かんでいました。
それでも季節はひそやかながら、
だんだん秋へと向かっているようです。

花邑では、9月1日から21日まで、
「更紗の帯展」を開催しています。
この厳しい残暑のなかでも
素敵な秋冬のコーディネイトが思い浮かぶような
秀逸な更紗の帯を取り揃え、
皆さまのご来店をお待ちしております。

今回は、前回に引き続き、
その更紗布に多く用いられている
「唐草文様」についてお話ししましょう。

「唐草文様」は、
古代エジプトで蓮をモチーフにした
「パルメット唐草」として誕生しました。
そして、かたちを少しずつ変えながら、
東方の国へと伝えられ、
やがて1世紀には中国にもたらされました。



1世紀は、中国に仏教がはじめて伝えられた時期でもあります。
そのため、中国にもたらされた唐草文様は、
はじめから仏教の装飾文様という意味合いが強かったようです。

それまで中国の文様には、
植物をモチーフにしたものは数が少なく、
龍や鳳凰、象などの動物文様が多かったようです。
装飾などに用いられる文様もこうした動物文様が主でした。

しかし、やがて南北朝時代になると、
シルクロードのオアシス都市だった
敦煌(とんこう)や北魏(ほくぎ)などの
仏教石窟などの装飾にも自然と唐草文様が
多用されるようになっていきました。

パルメット唐草は、
朝鮮半島においても、
同時期の三国時代に伝えられ、
仏教美術に取り入れられます。
そして、抽象的な花を唐草とともにあらわした宝相華文様といった
唐草文様を発展させた文様が誕生しました。

そして、ようやく日本にも飛鳥時代に入り
唐草文様が伝えられました。

日本に伝えられた唐草文様は、
はじめ中国のように
仏教文様としての意味合いが強いものでした。



しかし、やがて抽象的な草花や、
葡萄、鉄線、瓢箪などの蔓を持つ植物をモチーフにした
独自の唐草文様もつくられるようになります。
さらには、松や梅、菊などの
蔓をもたない植物の唐草文様もつくられました。

もともと、さまざまな文様を取り入れ、
独自の文様を考案するのが得意だった日本では、
唐草文様はアレンジのしやすい、
他のものとの相性も良い文様だったのでしょう。

無限の発展という願いが込められた唐草文様は、
日本においては、その文様の可能性も
まさしく無限に広まったのです。

※写真の名古屋帯はただいま「更紗の帯展」にてご紹介している和更紗です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は9月14日(火)予定です。


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