presented by hanamura
小雪を迎えて、北海道や東北では雪が積もっているようです。
ここ東京でも、底冷えのする寒い日が続いています。
昼間に、近所をすみかにしている 2 匹の野良猫が、
その寒さから身を守るように身体を寄せあって
寝ているところを見かけました。
猫も寒さには弱いのですね。
しかし、童謡「雪」の
「犬は喜び庭駆け回り猫はこたつで丸くなる」
というフレーズのように、犬は寒さに強いようです。
寒い中を散歩している犬も、
しっぽをふりふりして、とても楽しそうです。
私の近所にもペットとして飼われている犬が
とても多くいます。
もちろん、「犬は苦手」という方もいらっしゃると思いますが、
みなさん総じてお好きなようですね。
時として着物や帯の意匠にも登場します。
毬などで遊ぶ狆(ちん)の姿が生き生きと描かれている着物や帯を
ご覧になったことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
それでは今日は、犬が意匠化された「犬文様」について
お話ししましょう。
現代でもペットとして愛されている犬は、
遠い昔から人間の良いパートナーでした。
古代のメソポタニアやギリシャの遺跡からは、
壺や彫刻に飼い犬の姿が描かれ、
古代エジプトでは、
飼い犬が死ぬと埋葬さえされていました。
日本においても、縄文時代の遺跡から
埋葬された犬が見つけられています。
日本にもだいぶ昔からいたんですね。
しかし、当時の日本にいた犬は、
すべて今でいう中型犬でした。
現在のヨークシャーテリアやマルチーズなどに相当する、
いわゆる小型犬は、日本には存在していなかったのです。
しかし、天平4年(732年)になると
小型犬が大陸から日本へもたらされました。
それまで中型犬しかみたことがない日本では、
この小型犬がたいへん珍重されたようです。
「日本書紀」には、新羅(しらぎ:当時の朝鮮)から天武天皇へ献上された
「高麗犬(こまいぬ)」とよばれた小型犬についての記述があります。
ちなみに、この小型犬が狆(ちん)の祖先にあたるようです。
天武天皇は、この高麗犬をとてもかわいがり、
死んでしまったときには、
その姿を忘れぬようにと木彫りの置物をつくらせたほどでした。
この高麗犬の置物は、後に宮廷において
魔よけや身を守るお守りになりました。
やがてこの高麗犬の置物と、
大陸からもたらされた「獅子」とが一体となり、
現在のような神社を守る狛犬(こまいぬ)の像ができたようです。
その後も日本での小型犬の人気は衰えず、
狆は多くの貴族や将軍のペットとなって
かわいがられました。
戌年の戌月の戌の日の生まれで、
「生類憐れみの令」を発したことで有名な
徳川家5代将軍綱吉は「犬将軍」ともよばれ、
狆を100匹以上も飼っていたとされています。
もちろん犬を大事にしたのは貴族や将軍だけではありません。
人間の命令を忠実に守り、多産であることから
安産を司り、子供を守る神様のしもべとされ、
「お犬様信仰」として日本の各地で大切に扱われてきました。
元禄時代には、
張り子細工で犬の姿をあらわした「張り子の犬」の玩具が
庶民の間で大人気となり、
子供が生まれたときなどにお守りとして贈られました。
上の写真は大正時代につくられた犬文様の絹布を
名古屋帯に仕立て替えたものです。
ゆるやかな線と、愛らしいたくさんの犬の意匠からは
犬に対する作り手の愛情が伝わってきます。
なお、犬は竹と組み合わされて意匠化されることが多いのですが、
これは、江戸時代に流行った「判じ絵(絵を用いたなぞなぞ)」のなかで、
竹と犬を組み合わせて「笑」と解いたことに由来するようです。
犬文様に限ったことではないのですが、
文様に込められたさまざまな意味を知ると、
さらに装いも楽しいものになってきますね。
※写真の犬文様の名古屋帯は花邑銀座店にて取り扱っています。
花邑のブログ、「花邑の帯あそび」
次回の更新は仕入れのため12月8日(火)予定です。
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