OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

母の「助けて」という言葉・・・

2020-12-22 16:38:51 | Weblog
母が、わたしの部屋にやってきて「今日は何日?」と聞く。「今日は22日、12月22日だよ」と答えると、「植木屋さんが27日に来るんでしょ」と言う。「植木屋さんは一昨日の日曜日20日に来て、もう剪定してくれはったよ」と答えると、「日付が変や」と繰り返す。「どう変なの」と聞くと「なんかオカシイ」とのこと。母の中で、今日は"日付"というのが拘りポイントになっているみたいで、変だ変だ、最近日付が変だと繰り返す。

「日付は気にしなくても大丈夫。勘違いしても何も問題ないよ。気になるなら、この日めくりカレンダーを見たら、今日は何日か分かるし、大丈夫」と、母が食卓に座った時、正面に見えるように掛けてある日めくりカレンダーを指さすと、ぼんやりそれを見ながら「今日は22日。日付がオカシイ」と呟く。そして「わたし、おかしくなってるんやろうか」と・・・

「自分が変かもと思えるうちは大丈夫っていうよ。でも、気になるなら、病院で検査してもらう?」と聞くと、大きな声で「検査はしない。病院は嫌」と言う。わたしの素人判断では、検査してもらえば何かしらの病名はつくかと思うけど、まだまだ初期の段階だと思う。だからこそ、今のうちにお薬でももらえば、もう少し精神的に安定できるのかも、進行も遅らせられるのかも・・・でも、本人が嫌だというのに、無理には連れていけない。実際、今のところ、ときどき変なことを言う程度のことで、大きな日常生活の支障はないことだし・・・

その後も、「日付が変」と繰り返しながら、合間合間に「情けない、おかしくなったんやろか」と言っていたけど・・・ふと黙り込んだかと思うと、ぽつんと「助けてな」と言った。胸が痛くなった・・・

最近の変な言動で印象的だったのが、定期的に通って骨粗鬆症の薬をもらっている整形外科で、ドクターに「今は誰と暮らしているの」と聞かれて「お母さんと」と答えたこと。ドクターが「誰の?」と聞き返すと「わたしのお母さん」と答えたので、わたしが横から「わたしと夫と三人暮らしです」と答えた。母の心は、どんどん子供の頃に帰っていっているのだろうか・・・だんだん、わたしが娘ではなく母親になっていっているのだろうか・・・

母にはずいぶん世話になった。苦労の多い人生だったと思うけど、その苦労は全てわたしのためであったと思う。だから、今、母の世話をすることは、恩返しをさせてもらっているのに他ならない。わたしにとっては有難いことなのだと思う。夫の両親も、わたしの父も、長患いすることなく亡くなった。親の世話をさせてもらう機会がほとんどないまま見送ってきた。もう、恩返しできる相手は母しかいない。

それでも、母の変化に、わたしの気持ちはなかなかついていけない。体のことには比較的対応できる。今まで出来ていたことが出来なくなってきたのをフォローするのは、そんなに難しいことではない。けれど、精神的な変化に、母自身もだし、わたしもなかなか馴染めない・・・